隠居たるもの、指折り数えて感慨にふける。日が変わって2023年3月10日夜更けのこと、普段なら物音もしない山の中、ダンプカーが爆走しているかのような轟音が鳴り響き、何事かと目を覚ます。寝ぼけている頭がいくらか覚醒するだけで、轟音の主は判然とする。雷鳴だった。しばらくしてざっと雨も降り出した。予報された深夜の「みぞれまじりの弱い雨」は「雷雨」にとってかわられた。やれやれ、これほどに雨が降ってしまえばゲレンデの雪はどうにもシャビシャビだ。「みぞれまじりの弱い雨」なら「上の方は雪だったかも」とほのかな期待も持てるが、これではけんもほろろ、とりつく島もない。起きてからいそいそとスキー場に出かける準備をする必要もないから、私は再度もう一度ゆっくりと布団にもぐる。
SANFERMOの彼はブラジル出身なのであった
「嫌なことを思い出しちゃったじゃないか」という風情で彼はぎゅっと顔を歪めた。「このあいだのW杯、優勝するのは今度こそブラジルだと思っていたんだけどなぁ。なにしろあんなメンバーがそろってたろ?」と話を向けたときのことだ。開店当初よりここSANFERMOで働く彼が、ブラジル出身であることを今日はじめて知った。20歳で日本にやってきて、今はここ白馬で暮らしている。彼は「もうブラジルはサッカーで特別な国じゃないです。普通の国のひとつですよ」と苦々しげに答え、そして「雪は降らないし、今はサーフィンの国かもしれない」とおどけるように笑った。ピザが美味しいこの店に来るのは半年ぶりのことだ。夏の間は開放的なテラス席に惹かれて足繁く通ったものだが、秋風が吹き始めるのと同時に屋内席が少ないこの店からすっかり足が遠のいていた。道すがらの雪もすっかりなくなったことだし、ウォーキングがてら久しぶりにランチに訪れたのだ。私は「それに冬になるとさ、スキー場に行ってばっかりになるからね」と言い訳した。そう、条件の整わない今日こそ休んでいるものの、前日の五竜&47スキー場をもって、私は今シーズンで30日もスキー場に立ったのだった。
2022-2023 Hakuba Valley 全山共通シーズンパスとシャトルバス
もちろんこれほどまでに滑り倒したシーズンなどない。勤務する会社に日々に通っていたころはひとシーズンせいぜい10日がいいところだったし、散種荘ができてから2シーズン目の昨冬だってトータルで27日だった。それではなぜにここまで日参できたのか、なんといっても第一の要因は白馬全域9つのスキー場で使える2022-2023 Hakuba Valley 全山共通シーズンパス「スーパー早割」(販売期間は2022年8月8日~9月16日)を買い求められたことだ。昨シーズンまで99,800円の「スーパー早割」は、住民票を長野県に置く者にしか開放されていなかった(今も私の住民票は東京都にある)。今シーズンはそれが日本全域に拡大されたのだ。現在たとえば八方尾根スキー場のリフト1日券が6,500円することを顧みるとき、この99,800円は決して高くはない(単純に計算して八方尾根で15日滑れば元がとれるわけだ)。雪次第でGWまで続くひとシーズンまるごと楽しめることを考えれば、ゴルフのプレー料などと比較して「安い」とさえ言える。そして第二の要因は、シャトルバス網が新型コロナ禍以前に戻り充実したこと。オージーやチャイニーズに取り囲まれることにも慣れ、普通に挨拶もすれば、ときおり英語で話したりもする。そして最後の要因は、八方尾根に通じる林道を見つけ徒歩でだって通えるようになったこと。こうして今シーズン、私は日々に縦横におおむね午前中にスキー場を渡り歩いたのであった。
30日の内訳を勘定してみると、八方尾根スキー場11日、五竜&47スキー場12日、栂池スキー場4日、岩岳スノーフィールド3日となっていた。全山共通シーズンパスの対象となる残りの5つのスキー場はいささか遠くて散種荘から直通するシャトルバスも運行されていない。主要ゲレンデのひとつである乗鞍スキー場には行ってみたいと思うが、自動車も所有していないのだし、まあ致し方ない。どちらにしろ、昨冬よりまた早く雪がダメになりつつあっても、頂上付近ではまだ滑れるし、八方尾根と五竜&47には今しばらく足を運ぶに違いない。シーズンが完全に終わったとき、初老にさしかかった男が果たして何日スキー場に立つことになるだろうか、飽きることがないからこその道楽、楽しみである。そして来冬のシーズンパス購入の原資を作るため、私はまた4月末からアルバイトを始めるのだ。採用試験に合格したのは2月半ばのことだった。
「日本に働きに来てくれるなんて本当にありがたいことですよ」
「この冬はオーストラリアから働きにきた若い子たちも多かったでしょう。その子たちもね、ほとんどが今週いっぱいでアルバイトを切り上げるみたいなんですよ」馴染みの一成でいっぱいやりながら夕食をとり、散種荘に帰ろうと呼んでもらったタクシーの車中でのことだった。季節が逆のオーストラリアからやってくる方々は、夏のバカンスとしてここ白馬を訪れる。そのバカンスシーズンもほぼ終わりで人も減っているのではないか、私たちが運転手さんにそう尋ねたのだ。運転手さんは「その通り」と答え、さらにつけ加えて教えてくれた。栂池スキー場のゴンドラ乗り場で穏やかに働いていた、鼻ピアスにドレッドロックのオーストラリアの男の子のことを思い出す。
「お客さんが減っているから、あの子たちも少し暇になりましてね、夜の遅い時間に遊べるようになって、ここんとこよくタクシーを使ってくれるんですよ。でもね、日本に働きに来てくれるなんて本当にありがたいことですよ。だってそうでしょう?日本のアルバイト料なんてオーストラリアの半分か3分の1ですよ?白馬はキレイだ、日本人は親切だ、そう言ってくれます。あの子たちはね、日本が好きだからと、それだけで来てくれるんですよ。帰りがけに東京や京都を観光するみたいですけどね。」反対のケースもある。賃金の高さを求めて日本の若い子がオーストラリアに「出稼ぎ」に行く時代でもある。しかし、目端の利くそういう若い子が、必ずや日本に戻ってくるという保証は、もうどこにも見当たらない。
100歳までスキーで滑降し続け、101歳で天寿を全うした三浦敬三氏(冒険家 三浦雄一郎氏のお父さん)は、「ただ滑りたいんだ、好きだから」とおっしゃっていた。なんともカッコいい。ここ数年の白馬の各スキー場で、ゆっくりと滑りおりる丸まった背中のお婆さんを何度もお見かけする。冒険などという大それたことは望まないが、私だってあと32年、密かに「90歳のスノーボーダー」を目指している。しかし、そう簡単なことではあるまい。だってそうでしょう?あと32年、年々と早まる雪解け、この国のどこかに間違いなくスキー場が存在しているという保証は、もうどこにも見当たらないのだ。ああ、もうすぐ隠居の身。私が危惧するのはそちらの方だ。