隠居たるもの、しみじみと振り返る40年。2024年9月14日土曜日、残暑と呼ぶには過酷すぎる暑熱をかき分け、私は渋谷のライブハウスO-EASTに向かっていた。電車から降りてすぐ目の前にある階段を上れば道玄坂や109に出る改札にスムーズに至れるよう、東京メトロ半蔵門線の先頭車両に乗っている。勤めを辞してすでに4年、街中に出かけることがめっきり減った。となると半蔵門線と東急田園都市線の結節点となるこのホーム、いつだって人で溢れかえっていて恐怖すら抱くほどにストレスフル。できうるかぎり回避したい。改札を抜け人の少ない地下通路をつたって駅の中心からもっとも遠い道玄坂の出口から地上に出る。この日は地域一帯のお祭りだったらしく、渋谷の路上は普段にまさって人が多かった。

* 六十年以上愛され続ける稀代の名店!渋谷『中華麺店 喜楽』:https://ramen.walkerplus.com/tv/137/

「冷やし中華 終わりました」

道玄坂を上ると右手に百軒店商店街のアーチが現れる。それをくぐって左前方に中華麺店 喜楽がたたずむ。1952年創業、この地で70年を超える老舗だ。この店に通い始めたのは40年ほど前、私は大学3年だった。店を興した親父さんとともに当時も働いていたあの二代目が今も厨房を差配しているのだろうか。ON AIR系のライブハウスに向かうにはこの前を通るのが近道で、ライブ前の腹ごしらえに馴染みのラーメンを啜ることもある。この日の経路もご多聞にもれず、少し傾斜がきつくなる喜楽の店先で「相変わらず繁盛しているか」と顔を向ける。目に飛び込んだのは「冷やし中華 終わりました」。季節の風物詩として「始めました」の張り紙が取り沙汰されるのは常のこと、しかし「終わりました」は見たことがない。礼儀正しくて微笑ましい。この40年の間に店舗は建て替えられ、従業員は外国の方々ばかりになっているが、弁当やグッズの販売に乗り出すなど、喜楽は今もがんばっている。

*新型コロナ禍直前の2019年12月20日、列最後尾に並んだ私が撮影

ラブホテル街に ON AIR が突如として建ったのは1991年2月

喜楽のこととなると何故かSNSで知らせたくなる。すると同年代の友だちから必ず「あの焦がしねぎの味が…」とか「まだやってるんだ!」とかコメントが入る。この界隈には、1951年創業の印度料理ムルギーや、喜楽の斜向かいで1970年開場したストリップ小屋 道頓堀劇場など、今も変わらず営業しているところが他にもある。私がゆかりもなさそうな百軒店商店街に詳しいのにはワケがある。喜楽に通い詰めていた1985年から87年にかけて、私が所属していた各大学を横断する学生団体は、この少し奥に「アジト」のような事務所を借りていた。「後ろ盾もない学生がどうやって渋谷で部屋を借りていたんだ?」と訝しむ向きもあろう。単純な話である。ラブホテル街の真ん中だったから家賃がグッと安かったのだ。だから33年前に突如としてON AIRというライブハウスができたとき、まだGoogleマップなぞなくプリントされた地図で調べて「え〜!ラブホテル街だぜ、ここ!」と度肝を抜かれたのである。

ADRIAN SHERWOODとOn.U sound

家賃がグッと安いといってもそこは小僧の浅はかさ、年がら年中に滞納し、その賃貸物件の管理を任されていたおじさんがドアを叩いて頻繁に取り立てに訪れる。こちらは頭を下げ、あちらは説教したりしているうち、どういうわけかすっかり仲良しになる。1987年6月、末端ながら私たちが対峙していた全斗煥軍事独裁は打倒され、韓国はようやく民主化を果たす。それを見届けた私は次の春に一年遅れで大学を卒業した。そのうち「アジト」の必要性は薄れ、後輩たちは渋谷の部屋を引き払った。しばらく百軒店商店街をうろつくこともなくなった。しかして時はバブル、1,000人を収容する大箱のオールスタンディングのライブハウスON AIRが突如として現れた。プレハブの掘立て小屋にブッキングされるラインナップは私好み。私はまた百軒店商店街を行き来するようになった。そんな30年くらい前のことだったと思う。ADRIAN SHERWOOD(エイドリアン・シャーウッド)が率いるレーベルON.U soundのショーケースのようなイベントが開催されたのは。

DUBというジャンル

ダブ(DUB)とはレゲエから派生した音楽ジャンルだ。楽曲のリズムを強調してミキシングし、エコーやリバーブなどのエフェクトを過剰に施し、原曲を全く別の次元の作品に作り変えてしまう。リミックスの元祖であると同時に、今日のテクノミュージックの源流でもある。80年代にパンクやニューウェイブの要素を取り入れ、ダブにさらなる展開をもたらしたのがイギリスの偉人、エイドリアン・シャーウッドだ。その偉人が、レーベルのバンドを引き連れイベントをするというのだ。単身おっとり刀で駆けつけた。ところが1,000人収容の大箱はガラガラで、人目を気にする必要もないからか、マリファナの香りすら漂っている。単身で舐められまいと怖い顔した私にジョイントが回ってくることはなかったが、エイドリアンがかますリバーブに私は宇宙まで飛ばされた。他の出演者が誰だったかまたく記憶にないのだけれど、いつまでも忘れえぬ生涯いくつかのライブのうちの一つとなった。

ON AIRは1993年に道を挟んで斜向かいに600人収容のO-WESTを建てる。プレハブだったON AIRも20年ほど前に建て替えられ、現在は1階に渋谷duo MUSIC EXCHANGEというライブハウスがテナントで入り、2階から4階部分が1,300人を収容する本丸のO-EAST、5階に250人収容の小規模スペースO-Crestが配置される複合ライブハウスビルとなった。今や渋谷の音楽のメッカなのである。なのに周囲は変わらずラブホテル…、なんともいかがわしくていい。そこでまたエリドリアン・シャーウッドがイベントを開くという。しかも主催者BEATINKの30周年記念興行だという。

ADRIAN SHERWOOD PRESENTS DUB SESSIONS 2024

4組出演、スタンディングでトータル4時間半、初老の身にはこたえた。冗談まじりで「酷い目にあった」と口にするが「二度と行くもんか」とは思わない。途中に飽きる場面はあったにせよ、やはり宇宙まで飛ばされる。1970年代から不穏な残響を鳴らすCreation Rebelのリーダーは、メンバーを指し「Original!」と何度も叫ぶ。オリジナルな人たちはなにしろ濃い。予想に反しチケットは完売、30年前にガラガラだったホールはギュウギュウで、30代や40代と思しき通な観客が多い。これは個人的感想であるが、配信が中心になってからというもの新しい音楽が「いい子ちゃん」ばかりでつまらない。そんな欲求不満がそろそろ溜まり始めていて、こうしたイベントが好事家の捌け口になっているのではあるまいか。建物以外に目新しいものなど何もないヒカリエだって同じく味気ない。それより…。あれは大学に入ったばかりのころだ。映画を観た帰りに口車に乗せられて「映画の会員券」と称する紙屑を買わされた。あの建物の名前はなんだったっけか…。ああ、もうすぐ隠居の身。そうだ、あれは渋谷東急文化会館だった。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です