隠居たるもの、慣れない土地で滲み出る「未踏の度量」を持っていたい。とりわけ海の向こうを旅すると、ドメスティックな「おごり」はいともたやすく崩壊する。2017年5月のヴェネツィアでの1週間について、すでにこの徒然なる省察に記しているが、水の都から急行列車に揺られること片道2時間、一泊二日の小旅行で、実はフィレンツェにも足を伸ばしていたのだ。今朝、つけっぱなしのTVに映る彼の地を目にし、つれあいと二人だけで赴いた34時間を想い出した。
「自由でいたいんだよ」
インターネットで予約され決済も済んでいることを記すホームページをブリントアウトしたA4の普通紙、それが切符。ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅にもフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅にも改札はなく、目的の列車を探して勝手に乗り込んで、動き出したらやって来る車掌にそれを見せる。エンポリオアルマーニのド派手なメガネをかけた髭面の車掌に度肝を抜かれ、つれあいと笑いを噛み殺しながら旅情にひたる。
Buca Mario dal 1886
Bucaとは「穴ぐら」という意だそうだ。ガイドブックで調べると、路地に面した階段を下る半地下のような店構えで、トスカーナの伝統的な料理が味わえる店だという。ホテルからも近い。せっかくフィレンツェで1回だけの夕食だもの、こんなレストランで土地のものを食べてみたい。しかし、フォーリンランゲージが心もとない私たちには予約する度胸がない。飛び込んでみたら、幸いにも1卓だけ空いていた。
I am same, peace.
ワイン担当のウェイターがやって来て、リストを渡された。わかるような振りして、適当そうなものを指し「This one, please」と微笑みかける。すると彼は、
「No,No,No」と右手人差し指を左右に振る。
さては、アジアから来た観光客に高いワインを押しつけようという魂胆だな。諍う気力もないから、適当にやり過ごそうといくらか高いものを選び直して、「This one, please」と再び微笑みかける。
「No,No,No」と、またしても右手人差し指を左右に振る。
もっと高価なものにしろというのか、この野郎なめやがって…。ワインリストを彼に渡し、「Which one is it?」と訊いてみる。彼は、私が最初に指差したのと同じような値段のトスカーナのワインを示し、「これにしたらどうだ」と勧めてくれた。「この土地のものだし、熟成されてて、こっちの方がいいぜ」ということだった。美味しかった。いい人だ。
フィレンツェといえば肉なんだそうだ。季節だったポルチーニ茸と、名物とされているトリッパ、ビステッカ(牛の炭火焼)を注文する。美味しいに決まってる。料理担当のウェイターは加藤茶のような愛嬌あるおじさんだった。食べ終えて、すっかり満ち足りた私たちのテーブルに、「デザートはどうだ?」とまたやって来る。
「Which is boss?」
コーヒーを給仕しながら、加トちゃんはニコニコしながら訊いてきた。少しおどけて私は答える。
「Of course, My wife.」
加トちゃんは満面の笑みでウインクした。
「I am same, Peace.」
「うちもそうだよ。その方が円満でいいよな。」ってわけだ。この店の人たちは、みんな誇り高く働いている一方で、とても人間味にあふれていた。
ミケランジェロとダ・ヴィンチとボッティチェッリ
メディチ家と芸術家の威光に満ちたルネッサンスの震源地。この旅を前にして、ダンテ「神曲」も今度こそと最後まで読み通した。おびただしい数の実物を前にして、感嘆の言葉しか出ない。素人の私がくどくど言うべきことでもない。ただ、こんな都が他にないのは確かで、フィレンツェを軸にもう一度イタリア旅行をしたいと思っている。その時も、あの車掌に検札して欲しい。その日に備えて、Eテレ「旅するイタリア語」を毎週欠かさずに見ているんだ。
ドメスティックな「おごり」で世界を不安定にする愚か者ばかりの今日、あの笑顔が忘れられない。私だってあなたと同じだ、そこに立ち返れば、とりあえずは平和なのに。ああ、もうすぐ隠居の身。I am same, Peace.