隠居たるもの、雨に濡れても火を灯す。2022年4月15日、前日から引き続き冷たい雨が降っていた。夏日だった前々日から急転直下、再びウールのセーターを引っ張り出す。電車を乗り継いでいくらか遠出をする予定を立てている。東京メトロ半蔵門線からそのまま東武線に乗り入れ新越谷、隣接する南越谷駅でJR武蔵野線に乗り換えベッドタウンの風情漂う4駅過ぎて新三郷、電車に揺られて合計1時間と少し、iLBf(イルビフ)という「業界初の火の専門アウトドアショップ」が目的地だ。満を持して焚き火道具を見繕う、そんな魂胆あってのことだった。

I Love the bonfire.= 私は焚火が大好きです。

新三郷駅前のららぽーとを通り過ぎ、駅前通りを真っ直ぐみさと団地に向かう。どういった経緯でそうなったのかは知らないが、iLBfはみさと団地の1階に店舗を構えている。「I Love the bonfire.= 私は焚火が大好きです」この文章を形作る単語の頭文字を並べて店名にしたんだそうだ。昨夏、私たちの散種荘の庭もカッコがついた。そこで焚き火をしようじゃないか、ついでにその火で料理もしよう、妄想は広がるばかり。となるとまずは適切な道具を見繕わなくてはならないのだが、主用途が異なる各メーカーの商品それぞれを一堂に取り揃えている店がそうそうない。そこでようやく見つけたのがこのiLBfだった。焚き火にとことん魅せられた中年男が脱サラして始めたというから、きっと信頼のおける店に違いない。雨降りで静かな団地の奥に、不似合いなその店は唐突に姿を現した。

iLBf:https://ilbf.jimdo.com

「アド街ック天国をご覧になったんですか?」

初めて訪れた一見さんである私たちに、若い女性店員が「アド街ック天国をご覧になったんですか?」と尋ねてくる。聞いてみるとテレビ東京「出没!アド街ック天国」3月26日放送の三郷市編で紹介されたんだそうだ。なるほど一見さんも増えたことだろう。しかし私たちは違う。かくかくしかじか、こうした経緯を経て焚き火道具を欲しており、だから随分前からこちらのことは存じ上げていたが、残念なことタイミングが合わず、それに加えて季節的に急ぐ必要もなかったから、来訪するのはようやくにしてこれが初めてなのだ、と自己紹介する。このiLBf、商店にしては(きちんと案内した上で)結構しっかりと休む。月に一度、第三週など「研修」と称して必ず3連休をとる。「研修」というからには、たぶんスタッフそろってキャンプに出かけ、楽しく焚き火をしているに違いない。これまた信用できる。遊び道具の商いには一生懸命に遊んでいる者こそがふさわしいからだ。

無骨な焚き火台

iPhoneに庭の写真を引っ張り出して使用環境について伝える。写真は10月末の紅葉と芝生の庭だった。若い店員が私たちの要望に耳を傾け、まずは焚き火台について考える。しまう場所はあるし、車に積んでキャンプに持って出かけるわけではないから、選択において「コンパクトになるかどうか」は重要なポイントにはならない。そもそも風が強い日には焚き火などしないだろうし、周囲にスペースのある庭で使用するのだから、火の粉を飛ばしてしまうのではないかと必要以上に心配することもないそうだ。それに普段から薪ストーブを使っていて薪にだって慣れ親しんでいる。そうこうするうち、簡便で無骨なものに候補が絞られていく。

熱源の上に置いて、鍋、やかん、土瓶、鉄瓶、焼き網などを乗せるために用いられる支持具

「これ、ずっと外に置いて展示しているから錆びてますけど、新しいやつはもちろんもっとキレイです」若い店員は、最もシンプルな足のついた大きな丸皿のような鉄製の焚き火台こそ散種荘にふさわしいと勧めてくれた。もう一つ候補とした品物よりずっと値段も安い。とんとんと買い物は進む。次はそれに合わせた五徳を物色する。五徳を文章にすると「熱源の上に置いて、鍋、やかん、土瓶、鉄瓶、焼き網などを乗せるために用いられる支持具」ということになるが、これまたずっしり無骨な造りの黒い鉄製のものが候補に上がる。火を使うアウトドア用品である、自ずと質実剛健になるのだろう。子供の時分、私が育った町工場ばっかりだった東京の下町には、こんな感じの物品がそこいら中に転がっていたものだ。

雨に濡れながら立たずむ女(ひと)がいる

併設された焚火カフェ BFC(BonFireCafe)でコーヒーを飲みながら、いい買い物ができた満足感をかみしめている。購入したものはすべて白馬に配送してもらう。次の散種荘滞在時に軽く焚き火を楽しんでいる図をみなさんにもお見せできるだろう。細かい雨はまだ降っている。団地界隈に人の行き交いはあるものの、聞こえてくるのは駐車禁止をやかましく警告するスピーカーを通したパトカーからの声ばかり。かえってそれがもの寂しさをしっとり呼び覚ますのか、ふと幼少のみぎりに聴き覚えた三善英史の「雨」が口にのぼる。だからといって雨の中で立たずんでいる女(ひと)がいるわけではない。応対をしてくれた若い店員やカフェのスタッフ、この店の女性たちはみんな元気で心持ちがいい。さて、深川の庵に帰ろうか。新三郷駅までの道すがら、巡回するパトカーからのアナウンスは「オレオレ詐欺」への注意喚起に変わっていた。ああ、もうすぐ隠居の身。Come on baby, light my fire.

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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