隠居たるもの、旅して生きた先達に憧憬がごときを抱くもの。いまだ隠居の身にたどり着いていない我が身の勤務地 日本橋には、言葉通りの老舗百貨店 三越本店がある。お盆にあたるこの10日ほど(8月19日まで)、老舗は「みんなの寅さん展」などという企画を7階で催している。なんと800円の入場料を徴収するというからビックリしたのだが、老舗発行のクレジットカードを見せれば無料というので、昼食の腹ごなしに寄ってみた。
「そういう難しい事は聞くなって言ったろう。」
企画そのものが、これから公開される「男はつらいよ」第50作のPRだから、渥美清の遺作である第48作をもってシリーズは完結していると考える私からすると、いささか鼻持ちならない。「とらや」のセットや、山田洋次の自筆台本原稿などを置いた展示もちょっと安易だ。それでは「腹を立てたか」というと、そんなこともなく、狭い会場を出たグッズ売場で、「白いハイソックスをはいたサクラ」が可愛くイラストされた品々を「どうしようか」などと物色していたりするのである。
「ほら、見な、あんな雲になりてえんだよ。」
それは、渥美清のスチール写真とともに、名台詞の数々が大書され展示されていたからで、なんか心持ちがすうっとなったからだ。いくつか記してみよう。
「何と言うかな、あー生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろう。そのために人間生きてんじゃねえか?」
「寂しさなんてのはなぁ、歩いているうちに風が吹き飛ばしてくれらぁ。」
「俺には、むずかしいことはよく分からないけどね、あんた幸せになってくれりゃいいと思ってるよ。」
「言ってみりゃ、リリーも俺と同じ旅人さ。」
「物心ついてこの方、そのことで苦しみ抜いております。」
「ザマ見ろぃ人間はね、理屈なんかじゃ動かねえんだよ。」
「燃えるような恋をしろ。大声出してのたうち回るような、恥ずかしくて死んじゃいたいような、恋をするんだよ。」
「青年、女に振られた時は、じっと耐えて、一言も口を利かず、黙って背中を見せて去るのが、男というものじゃないか。」
記憶の中で、穏やかで抑揚ついた口調が鳴り渡る。
「私より馬鹿がおりますか。」
翻って今日は8月15日。マスコミは朝からなんだか神妙だ。だけど白々しい。私は思う、「二度とあってはいけない」と言うけれど、実は真剣に考えているわけでもなくて、ただ季節的な踏襲をしているだけだから、言葉にふさわしい重量が込められていない。少しばかり頭がよいばっかりに、まったくもって危なっかしい…。
軽い「重苦しい」言葉に辟易し、情がこもるフーテンの「軽い」セリフに心打たれる2019年8月15日。さてと、今日はこの辺でお開きとしようか。ああ、もうすぐ隠居の身。ほら、見な、あんな雲になりてえんだよ。