隠居たるもの、贅沢の機をわきまえる。のべつ幕なしの不相応な贅沢は、その者の浅はかさばかりを浮き彫りにし、羨むどろこか鼻をつまみたくなるものだ。とはいえ、美味しいものはやはり美味しいので、たまの機会を見計らって、どうにかあやかりたいのが人情だ。今日、うなぎは大変に高価で、10年前からするとほぼ倍になった。とりわけここ数年の高騰は余りあり、私なぞは専門店からすっかり足を遠のけてしまった。
昨日は特別な日だった
他人さまにはどうでもいいことであろうが、昨日はつれあいの誕生日で、今後の円満な庵運営の観点からしても、重大な意義が付与された日であった。しかし、普段から二人で飲み歩いている私たちからすると、「ディナー」に新味をもたらすべく未知の店を探すのもどこか億劫だし、“外れ”だったりすると交錯する気持ちのやり場に困ってしまう。そこで思いついた。「君の誕生日は暑い盛りだし、うなぎを食す特別な日にしたらどうか?」と。ここまで高級品となったら、1年に一度でいいではないか。それならそれで、くぐったこともない老舗高級店の暖簾をくぐってみようではないか。昨夏の土用丑の日のあたり、吉野家のうな丼に絶望的な気持ちになったことも想い出す。
創業200年「鰻 駒形 前川」新丸の内ビル店で
うまきをひとつ、うな重(上)をそれぞれに、そして生ビールを一杯ずつ注文。美味しい、やっぱり美味しい、ふっくらして本当に美味しい。うなぎそのものを引き立てる、江戸前のからい味つけが好ましい。しばらくは目を閉じて想起できる、こんな美味しいうなぎを食べたのはいつ以来だろう。ちょっとした居酒屋での「ディナー」くらいの掛かりがあったが、それはそれ、1年に一度の特別なのだから、しっかと目をつぶろうじゃないか。それに、前川は従前よりこの料金で、市況を見て値を上げたわけではない。それはつまりこのご時世に良心的ってことだ。これなら来年まで耐えられる。
うなぎの生態を知る
うなぎは川で育ち、産卵する時に海に出るのだそうだ。そこで産まれたのが、うなぎの稚魚 シラスウナギ。その子たちが大きくなって川に戻る。うなぎというのは完全養殖ができないそうで、それでは「養殖うなぎ」って?というと、海で捕まえたシラスウナギを養殖用のいけすで育てたものなのだそうだ。シラスウナギを産むのは、今のところ天然うなぎだけなので、昔に比べて天然うなぎの数が少ない今の時代だと、シラスウナギの数も当然に少なく、その子たちを獲って、繁殖させずに養殖して食べてしまうものだからますます減ってしまう。うなぎの高騰は、私たちの飽食が原因なのだ。
うなぎを食べて考えたこと
食べたいのもヤマヤマだし、うなぎ屋さんにも申し訳ないのだけども、1年に一度で充分だ。「松屋のうなぎはそこそこいける」とも聞くが、それがシラスウナギの乱獲を呼びこむ一因となるなら、私は我慢する。そして思考はめぐる。小学時代の給食などに郷愁を抱くこともあるが「鯨が食べたい」と思うことはもはやない。あんなに嫌がるたくさんの人を押しのけるまでに美味しかったっけか?しかし、うなぎは年に一度だとしてもこれからも絶対に味わいたい。だからやっぱり我慢する。
ああ、もうすぐ隠居の身。特別な日に、足るを知る。