隠居たるもの、視線の先はドラマチック。ゆえあって新しくメガネをあつらえようかと思案してはいたのだ。父母が眠る墓所の近く、たびたび利用する弁当屋 筑地やまのの斜向かいに、その店DRAMATIC TOKYO はある。この店でメガネをこしらえた友だちから、ひとりで店を切り盛りする主が一風変わっているということも聞いていた。品揃えも面白そうだし、散歩のついでに軽い気持ちでひやかしたのが運のつき、私たち夫婦はそのままそろって新しいメガネを作ることになった。2022年11月8日、彫りが浅く平たい顔に合わせたフィッティングも完了、こうして新たな相棒が私の低い鼻に乗った。
店主のアドバイスがすべてを解決する
ご同輩にはご理解いただけると思うが、寄る年波である、目の衰えを隠しようがない。それでもって今般の「思案」の対象は紫外線。そもそも私の目は紫外線に弱い。もっとも悩ましいのは過酷な夏、短絡的に考えるとそうなりそうなところだが、夏は日の角度が充分に高いこともあって、つばの広い帽子をかぶれば紫外線の直撃は回避できるのだ。問題は秋以降、とりわけても冬、角度が低くなった陽光は帽子のつばを容易にかいくぐって直接に目に届く。標高の高い白馬に限らず、昼日中に屋外でブラブラすることが多くなった昨今の暮らしではこれがけっこうつらい。「それならサングラスをかければいいではないか」、もちろん正論である。するとなると、飲食店など出先の屋内施設でかけ替える普通のメガネも用意しなければならない。メガネに装着するサングラスアダプターにしたって同じこと、華奢な分だけかえって気をつかいつつ結局は2本を持ち歩くことになる。寄る年波である、財布だけ持って出かけるようなときにたくさんの荷物を抱えたくない、必ずいつか失くすし…。だから薄い色のついた度つきのサングラスを作って、外出時はそれ1本でまかなえないだろうか、そう思案したのだ。どこから見てもくせ者の店主が、そんな「思案」に一刀両断のアドバイスを下す。
「そういうことなら調光レンズにすべきですね」
調光レンズとは、普段は透明なのだが、紫外線に反応しその強度に応じて色を濃くするレンズのこと。つまり屋内ではただ普通のメガネでしかないのだが、日差しの強い外を歩くときにはレベルに応じて濃淡を調節するサングラスに変身してくれる。今時の調光レンズはとても性能が良いのだそうで、紫外線を照り返す雪に囲まれた晴天時にもっとも色を濃くするという。ここまで私たちの要望にこたえてくれるメガネがあろうか。にわかに盛り上がり、どのフレームであつらえようか物色し始める。くせ者の店主は「あなたには頑固っぽい渋いのをかけてほしい。これなんかどうです?ル・コルビジェみたいでいい」と、初対面の私にquepardというメーカーの1本を強烈にすすめてくる。それ以外のフレームを試してみても、横を向いて口笛を吹くかのような風情でまともに取りあってくれない。
「世界的にみても眼鏡の産地というのは今日、フランスのジュラか福井の鯖江なんですよ。こういうクラシカルなフレームはかつてジュラの専売特許だったんだけど、残念なことに製法が受け継がれないまま今は作ることができなくなってます。それを掘り起こして現在に蘇らせているのがこのメーカーなんです。ここは広告宣伝費をいっさい使わず、持てる資源をすべて製品に注ぎ込むことをポリシーにしています。だから掘り出し物のきれいなヴィンテージものに比べても断然に安いです。」実際、悪くない。彼の熱意にほだされて、私はそのフレームでそのままあつらえることにした。「そういえば、ここのところ用事もあったんでお店の前を通りかかることが多かったんだけども、たまたま定休日にあたっちゃうのか、いつも閉まってたんだよな」世間話のつもりでそう問いかけると、くせ者の店主は「パリに行ってたもんで」とニヤッと笑う。
「パリなんですよ、メガネは」
「メガネ界のアカデミー賞」と呼ばれるSILMO D’OR(シルモドール)グランプリという展示会がパリで開催されるのだそうだ。その視察に行っていたのだという。日本にMASAHIROMARUYAMA(マサヒロマルヤマ)という気鋭のメガネデザイナーがいて、SILMO D’OR2022においてもサングラスアイウェア部門でグランプリを獲得したのだそうだが、その瞬間を目撃できたのだと興奮気味に教えてくれた。店主はMASAHIROMARUYAMAにけっこう入れ込んでいるのである。「変態」である。彼がつれあいにすすめたのは、そのMASAHIROMARUYAMAの、薄緑で左右が微妙に違う形にデザインされたフレームだった。
DRAMATIC TOKYOでドラマチックに眼鏡を作る
そんな彼だから、検眼やフィッティングにはとっても時間がかかる。それまでかけていたメガネよりほんの少しでも「よく見える」そして「心地いい」ものにしてやろうとウズウズしているからだ。つれあいの場合なぞ「これまでの度をそのまま継承することが最善」という結論になって、「さすが999.9、よくできてるなあ」と地団駄ふんで悔しがった。その間に「もとは渋谷で働いていたんですけど、もうあの街自体が面白くないじゃないですか、今となってはなんか迎合しているだけのようでね。だから独立するにあたって実は全然知らないんだけど、これからは東東京だろうという気がしてこっちに来たんです」など彼の思い入れについてたっぷり聴かせてもらえる。こちとら年長な上にすれっからしだから、正直なところ感動するまでにはいたらないんだけれども、そのチャレンジャーな「熱意」に微笑ましく感心する。新たにメガネをあつらえようかと考えている御仁には、迷うことなくDRAMATIC TOKYOを紹介したい。さぞやドラマチックな体験になるに違いない。そして私は今、この新しいメガネをひっさげて1年ぶりに熊本を訪れている。ああ、もうすぐ隠居の身。紫外線を浴びた調光レンズがここぞとばかりに色をつける。