隠居たるもの、絶体絶命の大ピンチ。2023年7月12日、雷鳴が轟きバケツをひっくり返したような雨が凄まじく降りしきる中、浸水目前のJR大糸線 根知駅の待合室に、私たち夫婦は取り残されていた。14時になろうかという昼下がりに、なぜにこの無人駅で二人きりただただ慄いていたのか、その経緯は前段において披瀝した。その続きである。私は繰り返される己の無謀を深く恥じていた。つれあいは糸魚川駅で一瞬「え?行くの?」という表情をして、「よりによって列車が運休になるこの日を選んで行くこともなかろうに」と私を諌めていたのだ。そこを「修正された天気予報によると雨は上がる。だから大丈夫、せっかくだから予定通りフォッサマグナパークに足を運んでみよう」と私がゴリ押ししたのだ。その結果、つれあいを巻き込み、こうして「身の危険」に晒されている…。

絶体絶命の大ピンチだ!

場合によってはこの待合室に籠城する可能性もあろうと、この簡素な駅を把握するため折り畳み傘を広げてひと回りしてみた。そして愕然とする。まずもってトイレがない…。目星をつけたドアの向こうが本来そうなのかもしれないが、そこにはガッチリと南京錠がかかっていた。1両編成とはいえ大糸線の車内にはトイレが設置されている。だから赤字路線に、しかも管理が容易でない無人駅に常設する必要はないと判断しているのだろう。この間も雷鳴は轟き凄まじく雨が降る。ホームの側からこちらに濁流のように雨水が押し寄せ、みるみると薄い引き戸をはさんだ向こうで水かさが増す。室内に流れ込んでくるのはもはや時間の問題、振替輸送の南小谷行き乗合タクシーが次にやってくるのは1時間半ほど先の15時28分以降、そもそもこれほどの豪雨の中それが運行されるかどうかも疑わしい…。ああ、つれあいはタクシーを下りてすぐに「ちょっと待ってもらったら?」と提案したのだった。私が煮えきらないうちに、しばらく停車していた車はUターンして引き返してしまった。絶体絶命の大ピンチである。

劇的に雨あがる

広くもない待合室で、いても立ってもいられず頭を抱えて立ったり座ったりしているうちに、それまで屋根を打ちつけ「バッタバッタ」と聞こえていた雨音が、「ポツポツ」と柔らかい音に変わった。「明るくなってきた!」つれあいがガラス越しに空を見上げてつぶやく。ぶ厚かった雲が動きも早く、切れ切れになって青い空すらのぞかせている。「豪雨の緩急」ということではない、雨があがりつつある。時刻はちょうど14時くらい、待合室で狼狽えていたのは時間にして20分ほどだった。1キロちょっと先のフォッサマグナパークまで往復しても15時28分発の振替輸送には間に合う(乗合タクシーなのでダイヤ通りに発着はしないが、定時より前ということはないだろう)。胸をなでおろした私たちはおそるおそる外に出て、ポツリポツリと舞う雨粒に折り畳み傘を開いて歩き始めた。しかしすぐに傘は閉じた。ほどなくして陽光がカッと射してきたからだ。劇的に雨があがったのだ。

フォッサマグナは私を待っていた

うっかり落とし過ぎてしまったものを、お天道様が慌てて取り返しているかのようだった。あちらこちらから水蒸気が沸き起こり、空に向かってまっすぐ吸い上げられていく。ついさっきまで降っていた豪雨はいったん根知川に流れ込み、濁流となったのちに姫川に合流する。国道148号線を歩いて根知川を渡り、入口にさしかかり山にそって階段を上り、眼下にJR大糸線の線路を越えていく。そこにドンと、準備万端あの豪雨にきれいに洗われて、フォッサマグナ=「大きな溝」が姿を現した。

国道148号線で根知川を渡る
入口、ここでも熊には注意が必要だ
金網越しにJR大糸線を見下ろす。写真の左下、線路をくぐって根知川が流れる。建物にはさまれたあたりが根知駅か。

フォッサマグナパークは、糸魚川-静岡構造線を人工的に露出させた断層見学公園だ。断層破砕帯をはさんで、くっきりと色が違う、東側の約1600万年前の岩石と、西側の約3億年前の岩石がここで接している。見当もつかないかつてのこと、日本列島はアジア大陸から分離した。その際、異なる方向から力がかかり、陸地が二つに裂けた。海となった裂け目すなわち「大きな溝」に土砂が流れ込み、新しい地層ができあがる。そして300万年前の地殻変動によって「大きな溝」が隆起し、高い山々を形成しながら一気に陸地化する。こうしてできあがったのが私たちが暮らす今日の「日本列島」だ。神話の類の荒唐無稽な物語ではない。だからこそ神秘的なのである。

再び無人駅の待合室で

性急なお天道様によって路面は乾き、国道を走る車はあっても人とすれ違うことはない。出くわすのはせいぜい雨蛙。無人駅ののどかさばかりを根知駅は漂わせていて、豪雨に怯えた1時間前と同じ場所とも思えない。線路に出てみると、JRの職員なのだろう、二人組が状況を点検している。今度はすっかり安心して待合室に座り、振替輸送のタクシーの到着を待つ。あとは南小谷でJR東日本管轄の大糸線に乗りかえて白馬に帰るだけだ。用意よく持参していた予備の一足に履き替えるべく、びしょ濡れになった靴下を脱いで、足とスニーカーそして折り畳み傘を乾かすことにした。

根知の駅前通り
ちょっとやそっとの雪ですぐに運休となるのだけど、駅舎の隣地には一応は除雪車両が
JR大糸線 根知駅
待合室入り口に雨蛙

糸魚川ユネスコ世界ジオパーク

ゲーテ著「イタリア紀行<上>」を、この旅行の「お供」に携行していた。紀行文は旅情を乙にかきたててくれる。この大文豪が1786年から88年にかけて記した書物が、230年以上を過ぎた今日でも、「イタリアガイド」として通用することに今更ながら驚く。その理由は、文豪の筆力もさることながら、イタリアに根ざす普遍性にこそあるのだろう。そう考えるとどうしてどうして、糸魚川だってヒケを取らない。乗合タクシーの車窓からより間近に見て痛感する。糸魚川-静岡構造線とフォッサマグナによって形作られた、ユネスコ世界ジオパークに認定されているこの奇特な地形、とんでもないのだ。そして230年どころの話ではない。地球がここに記した痕跡は、驚くことに3億年前とか、2000万年前とか、1600万年前とか、せいぜい300万年前のものなのである。

そういえば、背負ったリュックサックからぴゅうっと牛蒡を飛び出させて糸魚川駅で怒りに震えていたあのお婆さんは「小滝駅まで」とおっしゃっていた。その小滝は根知のひとつ先で、駅のまわりにだってほぼ何もない正真正銘の秘境だった。そこで暮らす彼女はあの日、友だちと連れだって糸魚川に買い物に出たに違いない。仮に廃線になったとすると、彼女たちは生活を維持することができるのだろうか…。とにかく、再び小雨が降り出した17時半ころに散種荘に帰り着いた私たちは、風呂につかって、餃子を焼いてビールを飲んで、疲れ切って21時過ぎに寝てしまった。山を越えた富山に線状降水帯発生のおそれがあるという。ああ、もうすぐ隠居の身。夢うつつの白馬は、夜通し雷雨だった。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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