隠居たるもの、夕焼け空を幼な子と。ここ数年というもの、彼岸の声を聞いていったん鳴りを潜めた暑さが、10月になると潜伏先からひょっこり姿を現しぶり返す。夏モードの生活を切り上げ東京に戻ってから一週間経った2024年10月2日、最高気温が30℃を超えた。私は半袖Tシャツと半ズボンで一日を過ごした。所用あって外に出た夕刻においても陽光が首筋をじりっと焦がす。ここ数日で何度か顔を合わせている近所の所用先の担当者、気のいい人なのだが油断しようものならおしゃべりが止まらない。あ、話の合間にふっと笑いながら大きく息を吸い込んだ。ギアをトップに入れるべくクラッチを踏んだ瞬間だ。申し訳ないが「さてと、姪に頼まれてましてね、これから保育園に子どもを迎えに行かなくちゃならんのですよ」、話の腰を折らせていただいた。

住吉銀座商店街の買物天国を抜けて

吸った息をいっぺんに吐き出しながら「いろいろ大変ですねぇ!」と大爆笑する気のいい担当者。今はそれほど忙しく過ごしているわけではないからそんなに大変でもないんだけど、なんとも屈託なく笑う気のいい人を前にして「ハハハ、いろいろと」と話を合わす。夕方の買い物時間帯、住吉銀座商店街は車両乗り入れを禁じた「買物天国」になっており、まっすぐ向こうに聳え立つ東京スカイツリーを道の真ん中に立ってゆっくり眺めることができる。そういえばこの近くの店の外席で昼食にスパゲッティを食べたのは一昨日のこと。気のいいおしゃべりの担当者がカゴに大根を入れて自転車で通りかかった姿を見かけていたからそのことも話してみると、彼女は顔を赤くして「いやだぁ、恥ずかしい」とやはり大爆笑したのだった。

この住吉銀座商店街の近くに横綱 照ノ富士が在籍する伊勢ヶ濱部屋があるのだが、スパゲティを食べているとき鬢付け油の甘い香りが漂ったかと鼻をひくつかせたら、隣のラーメン屋に二人のお相撲さんが来店したところだった。そのうちの一人はとんでもなく大きくて、髪が短くまだ髷も結えていなかった。おそらく鳴り物入りで入門したばかりの大学出で、近いうちに関取になるに違いない。こんな界隈を抜けた向こうの保育園で、二人そろって仕事が遅くなった両親になりかわり、お迎えにくる私たち夫婦を、メロン坊やが待っている。

大叔母は「お•お•お•ば」であって「お•お•ばぁば」ではない

勿体ぶることもないから「早めに迎えに行く」と姪に伝えると、「いつも『遅い』って怒るから喜ぶと思う」との返答。いつも早く迎えに来れる親もいて、そうした友だちを見送ってるうちなんだか切ないような心持ちを持て余してしまうんだろう。そんなやり取りもあったから、早めに迎えに行くべく、気のいい担当者のおしゃべりの腰をパッキリと折ったのだ。わざわざ二人して保育園の中に迎えに入る必要もないから、私は外で待っていた。つれあいの話によると「あれ?いつもと違うじゃん。今日のお迎えはおばあちゃんなの?」とパーパー騒ぎ立てる友だちがいたという。

以前に保育園の中に入っていった記憶を辿ってみて「あの子か」と見当をつける。「珍しいことがあると必ず首を突っ込んでくる」という風情の元気な子だった。つれあいは「おばあちゃんじゃないよ、大叔母、お•お•お•ば、よ」と教えたという。しかし「大叔母」という単語を認知している幼な子など今の日本におるまい。メロン坊やもつれあいのことを自分の母親に倣って「〇〇ちゃん」と、名前に「ちゃん」をつけて呼んでいる。そう呼ばされている「大叔父」ならわかるが、「大叔母」と言われてもわからない。だからキョトンとしていたらしい。そのうち赤いTシャツを着た元気な子が「わかった!お•お•ばぁば、だね!」と勝手に合点したそうだ。

つれあいは「即座におばあちゃんの世代と認識されたことがちょっとショック」だったと言う。しかし「おおばぁば」とまで言われたこの場合、ポイントはそこではなかろう。外で待っていた私が観察したところによると、なかなか好転しないこの国のジェンダー観を反映してか続々と迎えに来るのは母親で、この30代からせいぜい40代前半という今の母親たち全般は、晩婚化も進み私たちが子どもだった時代に比較すると間違いなく年齢的には「高齢」になっているものの、誰もが身綺麗で断然に若く見え「そこはかとなく滲み出る生活感」といったものも感じない。だから幼な子が還暦を過ぎた初老の女性を「おばあちゃん」と考えるのは当然で、それよりも「おおばぁば」という単語があっさり出てきたことにこそ感嘆すべきポイントはある。「おおばぁば」とは「おお」きな「ばぁば」、祖母より上にあたる祖母、つまりは曽祖母、ひいおばあちゃんのことであろう。おそらく彼からすれば「お•お•お•ば」を知っている単語「お•お•ばぁば」に変換した「連想ゲーム」に過ぎないのだろうが、晩婚化の一方で長寿化が進んでいる紛れもない証左であることは間違いない。かくしゃくとした曽祖母がいる家族は、今や珍しいことではないのだ。現にメロン坊やの「おおばぁば」だって熊本と栃木で元気にしている。

5歳にもなれば「癒される」し「懐かしい」

「だからショックを感じるポイントが違うよ」とつれあいを冷やかしている横で、メロン坊やが「これ美味しいよ」と姪が作り置いてくれた鶏の手羽煮を勧めてくれる。このところ昆虫・化石・きのこ・細菌など博物学的興味を天才的に追求する、先日に歳を重ねたばかりの5歳児は、ご飯を食べながら「そうだよ、(そんなことも)知らないの?」と、ダンゴムシは虫ではなくカニの仲間だという衝撃の事実を、還暦を過ぎた大叔父と大叔母に教えてくれる。しかし「あのDVDを見ようよ」と要望するときの「DVD」が、愛人のように見える演歌歌手を従えた夢企画の社長の通販TVコマーシャルに影響されたのか、「デーブイデー」と発音されることが私にはなんとも気にかかる。

食後に「ヘラクレスオオカブト対カニ」の異種格闘技戦ごっこに興じながら聞いたところによると、メロン坊やはオオムラサキという蝶の幼虫がとても可愛いくて「癒される」のだそうだ。そして「明日は天気が悪そうだけど、軽い遠足のようなものに出かける予定だから雨ガッパを持参するように」という保育園からの指示を、帰ってきた父親に的確に伝え、引っ張り出された七色の水玉模様の雨ガッパを見るやいなや「あ、これ、思い出した!懐かしい!」とのたまう。一丁前に「癒される」とか「懐かしい」とかぬかすようになりやがった。保育園の外で待っているとき、半ズボンでいたから右膝の裏を蚊に喰われてしまった。もう季節の終わりで蚊の力も尽きていたのか、大して痒くもならなかった。3人でポテポテ歩いて帰る道すがら、夕焼けがとても綺麗だった。がんばって身体を鍛えて、もう少し健康に留意してみよう。姪孫のもとに生まれた子どもが私のことをなんと呼ぶのか調べてみると曾祖叔父(そうそしゅくふ)とあった。う〜ん…。ああ、もうすぐ隠居の身。ファンキーな略称を考えようと思う。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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