隠居たるもの、夕焼けを見上げて一年を振り返る。2024年12月25日、この日は朝からとても穏やかだった。大雪をもたらした前線は去り、次の大雪をもたらす前線はまだ先だ。「晴れた平日の午前中」という条件がそろえば日本一と言って差し支えない八方尾根スキー場に繰り出すには絶好の日和。すでに五竜スキー場で今シーズンの初滑りは済ませているが、八方尾根にスノーボードを初めておろす日というのはそれはそれでまた特別な感情が湧き起こる。いくつかの装備を新調した私からすればなおさらだ。となれば「ガンガンいくぜ!」としゃかりきになるのかというと、それはそれで年の功、「年寄りの冷や水」に変わる分岐点を心得ているから、そこに達する前にさらりと切り上げる。しかし、その分岐点が少しずつ前倒しになっていることはどうやっても否めない。いわゆる“老いるショック”というやつだ。

“老いるショック”に「さすが、みうらじゅん」と唸る

“マイブーム”や“ゆるキャラ”の名づけ親、6歳年上のみうらじゅんを、私はかねてより敬愛してきた。田口トモロヲとともにチャールズ・ブロンソンに勝手に人生相談をして、それにブロンソンになりきった自分たちが回答するという「ブロンソンならこう言うね」、月刊誌「POPEYE」で20世紀末に展開された抱腹に謎めく深い企画だった。しかし、常連出演者であった「タモリ倶楽部」が昨年の3月に放映を終了してからというもの、彼を目にすることがなくなった。YouTubeで「みうらじゅんチャンネル」を配信し相変わらずマニアの間では人気なようだが、あいにくYouTubeを恒常的にチェックする習慣が私にはない。そのうち彼のことは意識上から抜け落ちた。しかしそのこと自体まったく気にならない。それがまた彼特有の軽妙な魅力に違いない。その彼を、雑誌BRUTUSの年末恒例「本特集」号で久しぶりに目にした。「あ!みうらじゅん!」と嬉しくページをめくると、知らずにいたがこのところの彼の“マイブーム”の一環なのだろう、“老いるショック”という単語がさりげなくちりばめられていた。さすがだ。なんというセンス、ついとこぼれる笑みを禁じ得ない。

2年くらい前から“老いるショック”で耳鳴りがするようになって

この特集で彼が紹介する数冊の本の中に、「改訂版 日本産セミ科図鑑[鳴き声編CD付]」という5,060円の一冊があった。「2年くらい前から“老いるショック”で耳鳴りがするようになって、それがセミの鳴き声に似ているので、どんなセミなのか知りたくて」とコメントされていた。こんな立派な本をそんなことのために買い求めずにはいられない。みうらじゅんの真骨頂である。結局、「ヒグラシに近いなってことにした」そうだが、これを読んだつれあいが「私の耳鳴りはエゾゼミだな」と微笑む。今年から感じるようになった私の耳鳴りはというと、ただうっすら「ピーン」と底に張ったように鳴るばかりで、まだセミの域には達していない(笑)。

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/oirushock/

“老いるショック”の用法例

トイレットペーパー争奪戦に加わるにはまだ幼かったが、私たちは“オイルショック”を目の当たりに経験している。あれから半世紀、還暦を迎えた私たちを今度は“老いるショック”が見舞う。少しは遅らせることもできようが、まるっきりなかったことにしようと目くじら立てても、それは無駄な努力というものだ。嘆いてみたところで時間は元に戻らないし、財力でどうにかできると妄想するのもあさましい。ならばいっそのこと今あるがままの自己を肯定するべくクスッとするネタへと転換してしまうのだ。例えば私の場合、若い友だちと音楽の話に興じていて実際にこんなことがある。「ほら、あのバンドを脱退したあいつが出したあのアルバムのあの曲だよ」「さっぱりわかりません、それじゃあ」つれあいにだってこんなことがあった。「あれ?タイマーが鳴ってるぞ」「それがね、なんのためにタイマーをセットしたのか思い出せないの」ここでニヤッと笑ってキメるのだ、「ああ、“老いるショック”!」と。ロックだ、何だか楽しくなってくる。

ジャケットとゴーグルそれにヘルメット

今シーズンに臨むにあたり、私はジャケットとゴーグルを新調した。白馬をホームにしてからの4シーズンで着倒した黄色のジャケットはあちこちが擦り切れていたし、それより前からトータルで10シーズン使っているゴーグルは頬と接するウレタン部の劣化が一昨年の冬から少しずつ進んでいた。ジャケットは新たにノルウェーの Norrøna、ゴーグルは引き続き「全力でアスリートを重大事故から守る事」をミッションとするスウェーデンの新鋭POC、ともに丁寧な仕事をするブランドを選んだ。12月23日、それを身につけ悦に入り、「いざシーズンイン」と五竜スキー場に立ってみると、どこからともなく「違和感」が漂う。「固いものだしまだまだ大丈夫」とタカを括っていたヘルメットが、シーズン前に確認した時には問題が見当たらなかったのに、あれよあれよと劣化していたのだ。これまでのゴーグルと同時に10年前に買い求めたもので、シーズンに一度や二度は大転倒することもあるから、実はあちこち凹んではいたのだが…。ある意味これも“老いるショック”ではある。

時代は移り変わるもので、コースを滑降する者のほとんどがオーストラリア人というのはもはや日常の風景だ。とてつもなくでっかい彼らにまかりまちがって衝突されることもないことはなかろう。だから10年前、私たち夫婦はスキー場での装いの一部を、ニットキャップからヘルメットへ宗旨替えした。私の新しいゴーグルを羨んだつれあいが「私もゴーグルを新調する」というのに便乗し、命あっての物種、私はあらためて今シーズンモデルのPOCのヘルメットを買い求めた。上に掲載した写真にある通り、ニューモデルはいくぶん頭が小さく見えてカッコいい(もちろん実際は大きいままなんだけど)。しかし、ゴーグルもヘルメットも10年前に比較し価格が1.8倍ほど。八方尾根スキー場のリフト一日券も今シーズンから8,000円に値上がりしている。実質賃金が上がらないこの国で、スキーやスノーボードは「家族そろって楽しめるレジャー」ではもはやない。仕方ないのかもしれないが、これは単純に“ショック”だ。

還暦イヤーをまたとない夕焼けが締めくくる

八方尾根で滑った日、外で夕食をとろうと、穏やかに少しずつ暮れなずむ中、もう熊の心配がない林道を通って里に下りた。道が開け、ジャンプ台にさしかかったあたりでふと山の方を振り返る。一年最後のまたとない夕焼け。頭上で小さな猿が一頭、やはり山の方を見上げ樹の枝でたたずんでいる。なんとも静かで美しい、こんな光景にしみじみ感じ入ったりできるのだから、“老いるショック”も悪くない。この2日後、大雪に覆い尽くされ始めた白馬を後にして、私たちは東京に戻った。さて、2024年の省察はここまで。ああ、もうすぐ隠居の身。みなさま、よいお年を。そして来年もよろしくお願いいたします。

*最後にこの時点での最新の「みうらじゅんチャンネル」をアップしておきます。彼は以前から「みうらじゅん賞」を主催していて、自分が「今年はこの人!」と思った人を勝手に表彰しているのです。これからの生涯をかけて、「みうらじゅん賞」の獲得を目指したいと思います。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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