隠居たるもの、照れる幼な子に相好を崩す。2025年1月26日の日曜日、晴れていたかと思えば雪が舞い、はらはら落ちてくる乾雪に見惚れているとひとすじの陽光が差し込む。窓の外は出入りが頻繁でなんとも落ち着きがない。週末ともなると国内から押し寄せるお客さんも加わってスキー場は混雑を極める。そうしたことを諸々考慮し計画的にこの日を休養日にあて、徒然なるままこの省察をしたためている。この冬の私たち、出入りが頻繁で落ち着きがない。ゆえあって東京と白馬の往来がせわしないからだ。東京に身を置く数日は抜き差しならない用件に追われ記憶が曖昧になりがちなのだけれど、スーパーに買い物に行く途中で唐突に出くわしたメロン坊やの顔がふと鮮明に思い浮かぶ。母親が運転する電動アシストつき自転車の後部チャイルドシートに座ったあいつ、なにやらしきりに照れていた。

一年半ぶり、通算2度目の「お泊まり保育」

メロン坊やに出くわしたのは、一週間にわたる白馬滞在から深川に戻った翌日、1月18日土曜日の昼下がりのことだった。そして、最初は嬉しそうな顔をした彼がみるみると「照れ」に覆いつくされた理由にはたと思いあたったのはその3日後、湯船で「戦略経営者」のページをパラパラめくっている20日火曜日の晩のことだった。それは1月9日に遡る。5日間にわたる白馬滞在を経て2日間だけの予定で東京に戻ってきていた私たち夫婦は、その夜メロン坊やを預かり、一年半ぶり通算2度目の「お泊まり保育」に臨んでいた。

*「戦略経営者」、つれあいの小さなアパレル会社の顧問税理士が所属しているTKCという会計業ネットワークが発行する月刊誌。月初のたび顧客のもとに届けられる。さしたる戦略もなければ持とうともしていない「無戦略経営者」である私たちだが、世の変化に無頓着なあまり後になって酷い目に遭うのはご免こうむりたい。だから私が風呂につかりながらざっと目を通している。

ポケモンカードゲームに興じた夜

「それはちがうよ!」と幼な子は容赦ない。このところ彼はポケモンカードゲームにご執心だ。いっしょに風呂を済ませた後、そのまま私が対戦相手をおおせつかる。そもそもこちらはポケモンがなんなのかもよくわかっておらずルールもちんぷんかんぷん。そのうち「ははあ、このかわいい子が成長進化してこうなるのね」とポケモンの構造自体がようやくわかりかけるが時すでに遅し、もちろん惨敗である。ともに働く姪夫婦が出張やらなにやら重なることなきにしもあらず、そんなときこそ近所で暮らす初老たちの出番。より幼かった一年半前と違って「お泊まり保育」自体に駄々をこねることもなかったと聞いていた。

保育園に迎えに出向き、そのままKUMONに連れて行き、隣の団子屋で一本の胡麻団子を食べながら終わるのを待ち、くら寿司でエンターテイメントな夕食を済ませ、連れ帰ってともに風呂に入りポケモンカードゲームに興じる。しかし、前回と異なりときおり神妙な顔になる瞬間が彼に何度か訪れる。心細さを心細さとしてはっきりと認識し、それをじっと我慢しているように見受けられた。仕方ないと駄々をこねなかったこと、心細さを認識すること、そしてそれを我慢すること、すべてが成長の証に違いなく、大叔父は感慨を深くする。10日の朝に迎えに来た姪に「大叔父と大叔母が『グッとこらえてがんばっていた』とすごくほめていた、あとでメロンにそう伝えておいてくれたまえ」と耳打ちする。きっと姪がそう伝えたのだろう。つまり「すごくほめてくれた人たち」を前にして、メロン坊やはしきりに照れた、そういうわけだ。

赤星の中瓶で昼から祝杯をあげる

「せっかくだから寿司にして、ビールも頼んで軽く祝杯といこう」明るいうちから飲まないよう心がけている私であるが、1月20日は例外とすることにした。売買契約を昨年8月に済ませていたつれあいの仕事場 鳥芽囁(ちょうがしょう)の最終引き渡しが、とある銀行の錦糸町支店2階において午前10時から執り行われたのだ。トークに妙がある司法書士の差配で書類への記入押印が粛々と進み、それに合わせて資金決済が行われ、私たちの銀行からも「入金があった」との一報が届く。売買代金を原資に、私たちが購入する際に借り入れたローンと新型コロナ対応融資の残額がともに繰り上げで一括返済される。すべてかたがつき、最後につれあいが新しい所有者に鍵を手渡した。

たしかに大叔父馬鹿には違いないが、なにも「お泊まり保育」のためだけに慌ただしく東京に2日間戻ってきたわけではない。繰り上げ返済依頼書類や抵当権抹消依頼書類を、引き渡しを前に作成し銀行に提出しておかねばならなかったのだ。そうした前段階を経て、とにかく引き渡しは滞りなく完了した。気に入っていたものを手放すことで「ある時代」が終わったような一抹の寂しさと、タイミングを間違えずにうまく肩の荷を下ろすことができたような安堵感がないまぜとなり、私たちにえも言われぬ心持ちが去来する。だからこそすべてが終わった昼に、軽くビールでも飲んで寿司なんぞつまもうとなったのだ。錦糸町の駅ビル テルミナ5階に入る築地玉寿司、ことさら高級店というわけではないのだけれど、そこがまたちょうどいい。メロン坊やの照れについて思い至ったのはそんな日の夜だった。それもあながち偶然とは言い切れまい。

鯵フライ定食(骨つき)に舌鼓を打つ

「ここって以前はスーパーのライフの並びにあったあのまぐろ屋さんだろ?」1月21日の昼、住吉駅近くの新大橋通り沿いにある「もとみや」という店の前で私たちは逡巡しつつ佇んでいた。ずいぶん前に移転し業容を広げていたのだ。初老の身には魚中心の飲食店は魅力的。引き戸を開けて顔を見せた気が利きそうな店員さんから「お二人ですか?もう少しで席が空きますので今しばらくお待ちくださいね」と声がかかる。仕事場を移転した以上、周辺の飲食店事情に早急に精通せねばなるまい。ほどなく案内された満席の店内で食した、山口県で漁獲された鯵フライ定食(骨つき)は大変に美味しかった。お気に入りの店を新しく見つけたことに気分も華やぐ。この日の午前中、顧問税理士とともに2024年度の決算をあらかた終えていた。

予備日に足を運んだ坂本龍一展

滞りなく予定をこなし予備日としていた22日がぽっかりと空いた。ただでさえインバウンドさんに人気だし会期末に近づくにつれより混雑するだろうから、東京都現代美術館で開催されている坂本龍一と映像作家たちがコラボレートしたインスタレーション作品の展覧会「音を視る 時を聴く」を、散歩がてら観覧することにした。平日しかも開館直後の午前中だというのにたいそうなお客さん。これだけ人が集まるのだからさぞや素晴らしいかと思いきや…。感想をありていに言わせていただくと、つまらなかった。さすがに音楽はいいのだけれど、そこにかぶさる映像がありきたりでもったいぶっていて冗長でいただけない。「時間」を縛られる映像作品というのはこちらのペースで鑑賞することができないから、共鳴できるポイントがないとけっこう辛い。なのに最初の作品なぞだらだらと40分、10点ほどの全作品を鑑賞するのに要した時間は2時間半、疲れた。生前の坂本龍一の意向がどれだけ反映されているのかはわからないが、かつてタモリが重厚長大こそを良しとする日本のあり方を「ネクラ」と喝破し揶揄したことを思い出す。

軽やかにいこうぜ!

そして1月23日、今月3度目の白馬入り。彼らの本格的なバカンスシーズンが始まったのか、村はオーストラリアの方々で溢れかえっている。私たちが東京に戻っていた間はこちらも暖かく雪もさほど降らなかったようで積雪量は減っていたが、さっそく私たちはゲレンデに繰り出す。ひらり軽やかにいきたいと思う。ああ、もうすぐ隠居の身、初老の私たちにもはや照れている暇はない(笑)。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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