隠居たるもの、節目節目に気を配る。「大人になってみてどうだい?」なんて尋ねてみると、つれあいの従姉妹の孫は迷うことなく「オトナとっても楽しいです!」と即答した。その楽しさが直に伝わってきてなんとも喜ばしい。2026年3月21日、昨年末の誕生日をもって二十歳となった彼女をこのところのマイフェイバリット、錦糸町の中華料理屋 栄福に迎え、一族郎党が馳せ参じささやかで遅ればせながらの成人祝いを催した。1月の成人式当日は近しい人たちで集い祝うものであろうし、「大学生てえのは1月後半から2月は後期試験やらレポート提出に追われるんだ、したがってそこも外してだな…」などと悠長に日程調整するうち3月も後半になってしまった。一昨年の5月に催された私の還暦祝いに、18歳で受験生だった彼女が彗星のごとく現れた。顔を合わせるのはその日以来となる。彼女はこの間にめでたく大学生にもなった。よってこの会は大学入学祝いも兼ねている。こちらはより一段と「遅ればせ」に違いないが、そこは親戚、そもそも細かいことに目くじら立てることもない。

2009年9月5日の写真
彗星のごとく現れた彼女をここでは新星(ニュースター)と呼ぶことにしよう。新星の母親はつれあいのまたいとこ(つまり従姉妹の娘)である。ルーツは同じく熊本だ。新星の父親も九州の出身で、二人は大学を卒業し東京に職を得て上京することとなった。東京生まれの新星には東京に親戚が少ない。だから私の還暦祝いで初めて「東京で暮らす親戚」に囲まれたことが彼女には少なからず嬉しかったようだ。しかし顔を合わせるのは実のところその時が初めてではない。幼かった彼女が憶えていないのは無理もない。しかし私の方には脳裏に浮かぶ「絵」があった。愛らしい幼な子だった彼女を写真に収めた記憶がはっきりと残っているのだ。「昨年末に二十歳になったのなら17年くらい前になろうか」と探してみる。カメラの主流がアナログからデジタルへと完全に移行してすぐの時分だから、目当ての写真は簡単に見つかった。

日付には2009年9月5日午前11時39分とある。まだデジカメの性能もよくなければ画素数も少なく、光量が不十分だったようでいささかぼやけている。この年の夏はそれほど暑くなかったのか、9月も上旬だというのに写っている登場人物はみな長袖を着用している。おそらく新星の伯母が妹を頼りに熊本から東京に遊びに来た際、私たち夫婦も含めて皆で昼食をともにしたときに撮影したものと思われる。一心不乱にスタンプ押しに興じるプクプクした3歳の幼な子、それが今や「オトナとっても楽しいです!」とのたまい酒を飲み、ピータンや紹興酒に「初めて!」と目を輝かせる大学生になっているのだから、この間の成長になにひとつ関わっていないにも関わらず、なんとも嬉しいやら感慨深い。

そのまんま真に受けて
それにしても、それぞれの忙しさにかまけて疎遠になりかけていたつれあいのまたいとこが、どうして娘まで連れて唐突に私の還暦祝いに来たのだっけ。そうだった。顔を合わせることがなくとも年賀状のやり取りはお互いに続けていて、先方から届いたその年の葉書に「今年は会いたいですね」と手書きで記されていたから、「私の還暦祝いといえば義兄夫婦から我ら夫婦へと続いたここ数年の還暦ツアーのいわば大トリだ、よって親戚のあの子が年賀状に書いていたのをそのまんま真に受けて、この際ずずいっと誘ってみたらどうだ」と進言したからだった。こんなこともあるから「年賀状じまい」とかよしといた方がいいと私なんかは思う。またこの席には昨年5月に参列した熊本のお弔いで20年ぶりくらいに再会した東京在住の親戚も参加してくださった。さらにこの日はメロン坊やの保育園卒園式当日でもあった。いつの間にかこの子も小学生。カメラを向ければ必ずや変な顔をしようとする、油断ならないそんな年頃になった。

ことりの大将を香取鮨に誘う
3月22日、前夜からそのまま東京に残った宇都宮組を、私たち夫婦の今後の「東京事務所」となる銭湯の2階にお招きしてあれこれゆっくり語らい過ごす。そして3月23日は両親の墓参だ。3連休明けの平日の月曜日にしたのにはワケがある。お彼岸および父母それぞれの命日に墓参を終えた後、私たち夫婦は必ずといっていいほど清澄白河の香取鮨に立ち寄り絶品の鮨をつまんで「法事の真似事」をする。実は同じように考える方々がけっこういらっしゃるらしく、お彼岸の香取鮨はいつも満席なのである。なのでいくらかでもライバルの少ない平日に越したことはないと考えた。しかも馴染みの「ワインと料理 ことり」の大将から「前からずっと行きたいと思ってたんですが機会がなくて…、こんど連れてってくださいよ」と頼まれていたのだった。

なんとか確保できたカウンター席で、ことりの大将が念願かなった香取の端正な鮨にゆっくりと舌鼓を打つ。職業がら研究熱心な彼は味わうことに専心し多くを語らない。冬の間はほとんど白馬にいるので顔を合わせるのは久しぶりだ。もう一軒ハシゴして積もる話を語り合いたいが真昼間だから飲み屋は開いてない。なにより自分の店の開店に向けて買い出しに行かなくちゃならない大将が酒を飲むわけにもいかない。ということで柄にもなくカフェ、隅田川っぷちのiki ESPRESSOに行くことにした。午後には総武線に乗って下総中山の主治医シックスのもとへ足を運ぶつもりだったから、そのあと川っぷちをそのまま北上し両国駅に向かえばいい。

iki ESPRESSO
コーヒー激戦地といえば東京は清澄白河、その中でも頭ひとつ抜けているのがここiki ESPRESSO。満席の店内はほぼおしゃれな女性客で占められている。「そういえばFBにアップしてましたよね、白馬でここのコーヒーが出てたんすか?」とスノーボーダーでもある大将が尋ねる。乗鞍温泉スキー場に今シーズンなんだか力を入れて売り出していたコーヒーコーナーがあって、「春の陽気を浴びつつコーヒーで休憩」と注文してみたら、カップに見憶えのあるロゴがプリントされていて驚いた。どうやらフランチャイズ契約していたようなのだ。中国語と英語を話し日本語も少しだけわかるチャイニーズの女の子が店を切り盛りしていた。そんな身近な雑事やらサッカーやらロックの話に、平日の昼下がり、私たちはひとしきり興じたのであった。


平成14年5月場所
両国は風情の残る駅だ。最後の2日とも負けて締まらなかったものの優勝は優勝、霧島が大関復帰を決めた大阪場所直後ということもあって、構内にかかった古い優勝額が気にかかる。もっとも目立っていたのは武蔵丸、横に「平成14年5月場所」とある。自身が生まれた昭和だけはかろうじて西暦と整合させることができるものの、今や年号を使うことなく暮らしているから平成と令和はさっぱりピンとこない。調べてみると平成14年は2002年、私にとって何もかもが激変したあの年だ。親父から継いだ工場を廃業して転職したのがその年の4月、ひと月の研修を終えてドキドキしながら初めて営業に出たのがまさにこの5月、そんなころ千秋楽で千代大海を下して武蔵丸が優勝を決めたのだという。いかばかりかおセンチになりつつ「わかりやすい選択的夫婦別姓は一向に認めずややこしい旧姓併記で押し通そうってんだから、いっそのこと年号と西暦も併記にしてくれると容易に想い起こせてありがたいんだがなぁ」なんてひとりごちていたら、はたともうひとつ想い起こしたことがあった。

少年ナイフのCD
今から45年ほど前に結成され今も活動を続けている少年ナイフというガールズバンドがあって、二人姉妹の妹の方の姪が「自分のものである初めてのCDが少年ナイフで、今もこのアルバムが大好きなんだけど、ねだって買ってもらったんだっけなぁ、はっきり憶えていないんだよねぇ」などとのたまうから、「その当時に少年ナイフの曲『バナナチップス』がNHKの『みなんなのうた』で採用されていて、宇都宮に遊びに行ったとき小学校低学年だった君が嬉しそうにそれを歌っていたから、少年ナイフ好きの私がプレゼントしてあげた、とまあこういうわけだ」と謎解きをしてやった。武蔵丸が強かった平成14年時分のことである。「まだ少年ナイフはやってるんだぞ」と教えてやったら「自分の音楽的原点だし観てみたい!」というから、新星の成人祝いのときに相談し二人で7月に下北沢で催されるライブに出向くことにした。やれやれ、かつて「少年ナイフ熱」を焚きつけた責任をようやく果たせる。しかし初老の叔父と今や2児の母となった姪、なかなかに乙な組み合わせじゃないか。鮨の話題も出たことだし、今回は「バナナチップス」でなく「Sushi Bar Song」でいこう。ジャケットは言わずと知れた奈良美智だ。節目節目に気を配る。ああ、もうすぐ隠居の身。これもまた初老の嗜みであろう。