隠居たるもの、再結集に心が躍る。2026年4月14日、散種荘の庭は朝からにぎにぎしい。ウッドデッキすぐ脇に育つ「ニレもしくはシデ」を小型のユンボまで使い庭の隅に移植する。ユンボとは油圧ショベルの通称で、土木工事や解体現場で掘削・整地・積込みに使われる自走式建設機械のことである。また、愛でていながらも「ニレもしくはシデ」と曖昧なのは、まだ成長途上にあるため葉も小さく、かろうじて二つの樹種に絞り込んだものの、はたしてどちらなのか未だ識別に至っていないからである。この「ニレもしくはシデ」、どちらにしたって大きく育つ。よって我が庭の反対側に自生していたものを、隣地に「ヴィラ殺風景」が竣工したのに際して目隠しになるよう期待を託し、ウッドデッキの脇に移植し成功していたのであった。ならばすくすくと育っているこの「ニレもしくはシデ」を、「根づかないかも」というリスクまで冒して何故に再び移植するのか。この子がここに植っていると、この日に持ち込まれたユンボより一回り大きいユンボが庭に入ってこれないからである。

#山の家プロジェクト最終章は「ニレもしくはシデ」の移植をもって幕を開く

 #山の家プロジェクト最終章として庭にこしらえる離れは、小屋のような建坪ではあるが二階建てにするものだから、当然のこと強度を確保する設計を施し建築申請をしなければならず、その申請通りに建てるとなれば(こっそりそうしないという選択肢はそもそもないけれど)地面を掘削してきちんと基礎を打ち込まなければならない。つまり相応のパワーを持った重機が入ってこれなければ工事を始められないのである。かくして「ニレもしくはシデ」はあらためて移植される運命となった。根を傷つけないよう細心の注意を払ってシャベルで穴を掘り、「いける」と判断されればユンボを深く差し込み掬い上げる。私はというと次の冬に薪ストーブで着火剤として使うため庭に落ちている松ぼっくりを拾い集めながらその様子を眺めていたのであるが、その繊細な技量に惚れ惚れしたのなんの、大小さまざまな松の傘がたっぷり貯まるころには、二度目の移植はすっかり完了していた。新たな住処として広範囲に掘られた穴に収まり四方に広がっていた根もしっくりのびのび、水をやると春に誘われたのか、「ニレもしくはシデ」は萌え出し始めていた小さな葉をおずおずと広げ始めた。

社長は「オィーッス!」と現れる(ように常に錯覚する)

 「これ、小回りが利いていいなあ。Nさん、置いていけないかい?そうか、次に持っていく現場が決まってんのか…」と造園会社の社長は残念そうだ。「ニレもしくはシデ」の移植をしてくれたのは離れの施工を担当する職人さんで、そのための小型ユンボ(「こんなにちっちゃいのがあるんだ」と私も驚いた)を持ち込んでいたのも彼で、移植作業が終わったころにくだんの社長がダミ声とともにふらりと現れた。5年前の夏に庭を造ってくれた社長は相変わらずいかりや長助のようで、「8時だョ!全員集合」で育った私たちの世代からして湧き立つ親しみをどうにも禁じ得ない。雪が多くなかったこの前の冬、私たちはインバウンドさんによる敷地への度重なる不法侵入に悩まされた。不動産バブルが活況を呈しあちこちの雑木林が伐採される昨今の白馬の別荘地、ならされた我が庭は彼らからして「開けた通り道」に見えるようだ。この際そこにくさびを打つため「とおせんぼ」する常緑樹を何本か植え起伏をもたらすことにしたのである。

 「この前、(キツツキ科の)アカゲラが紅葉のこの幹の生え際をつついて樹皮を剥がしちゃったんです。とりあえず今は石で隠してるんだけど、なんか病気でもあって虫でも住みついてたんですかね」「いや、病気にはなっちゃいないな。おそらくここに蟻が列を作っていてそいつらを食いたかったんじゃないかな、アカゲラは。うん、次に来たとき薬を塗っといてやるよ」どこに何を植えるかの打ち合わせを終えて、つれあいが社長に「庭にまつわる相談」あれこれを持ちかける。私たちの要望を聞いた社長は「わかった、枝がうまい具合に広がってるのを見繕っとく」と打てば響いて相変わらず頼もしかった。道の方から電話で話す声が聞こえてくると思いきや、#山の家プロジェクト第二期工事を頼んで以来すっかり馴染みとなった地元工務店の社長だった。今回も彼が要だ。

社長たちが再び集う

 5年前となる外回廊と庭づくりが主眼の第二期工事の際、工務店の社長ともども私たちは“長介“社長から「順番が違うじゃねえか!」と叱られた。「重機だって入るんだ、建物がすっかり建っているその奥に庭を作れってか?順番からして間違ってるだろ!」というわけだ。道理である。もちろん私たちのような門外漢と違って工務店の社長はその道理もわかった上で「そりゃあそうなんだけれども素人さん相手にいきりたったところで仕方ないじゃないか。今から説明するが、この人たちはこういう順番じゃないと家を建てられなかったんだ。でも、こうこうこういう工夫したらできるんじゃない?雪山の暮らしをよく知る我々がせっかくだからいいもの造ってやろうよ」といった塩梅でとりなしてくれた。それでは叱られて私たち夫婦が震え上がったかというと、「なんだかこの人たち面白いねえ」と二人でクスクス笑っていたのである。社長たちとのつきあいはここから始まった。しかしこちとら初老の身、いい歳して同じ轍で叱られる愚を無分別に犯しちゃあいけない。ということで、快く仕事にかかれるよう、まずは“長介“社長の出番から整える。

 「ありゃ、こんなにカタクリが咲くんだ、ここ。う〜ん、埋めちゃうのは可哀想だけど…。じゃあこのあたりからだな。土が出たらここいら辺の窪みに流して、うん、このラインにピークをもってきて…」と工務店の社長が一人で残る職人さんに指示を出す。植樹に取り掛かるにもまず準備が必要だ。それは工事全体にも必須なもので、それにまつわる作業をこの職人さんが一手に引き受けていた。その作業とはウッドデッキの解体。そもそもからして離れは今ウッドデッキが張られたあたりに建てる。だからウッドデッキの一部は当然のこと解体する前提だった。しかしユンボの可動領域に余裕を持たせるためにももっと広いスペースが確保できることが好ましい。そうこうするうち、一部分のみの解体にとどめずいったんすべてを解体し部材は運んで倉庫で保管、離れが建ち上がった後にそのすべてをあらためて用いて形状も変えウッドデッキ自体を再構築、そういう流れに落ち着いた。「土が出るようであれば、隣地との境界部分でこちら側に一部だけ残ったままの窪みに流し込み、この際だから敷地の隅まで整えておいてくれ」、カタクリを気にかけつつ社長はそう指示したのだった。

花見の散歩

 一人残った職人さんはウッドデッキの解体作業の最後に四苦八苦した。簡素なものとタカを括っていたウッドデッキの礎石が(おそらく大半はそんなもんなんだろうが)予想外にしっかりしていたからだ。しかも深くがっちり埋め込まれていて、それを掘り起こすのに大変な労力を費やした。散種荘を建てたのは姪が勤める大手ハウスメーカーだ。庭に横たわる何本もの長く頑丈な礎石を前に「さすが大和ハウス」と三人そろってあらためて感心した次第。まずはこの大和ハウスが第一期を担って基礎体力に富んだベースを作り上げ、そこに雪山の洗礼を浴びて学んだ私たちの求めに応じ第二期から最後になるであろう今回の第五期にわたり少しずつ、雪山の流儀を熟知する地元の方々が必要な筋力を上乗せしてくれた。そうして#山の家プロジェクトは完結を迎えるのだ。

 いくぶん標高が高い散種荘の周りの桜が満開となった。例年からしていささか早い。その多くが自生する山桜だから、並木とはならずあちこちで花を開く。花見の散歩としゃれこんだ。いくぶんピンクが強い色合いがなんとも可憐で風情がある。帰ってきて昼食を済ませ腹ごなしに庭仕事をしていて驚いた。隅の方に勝手に伸びるがままにまかせていた3本株立ちの幼木がある。ひよひよしたそのうちの2本の幹にそれぞれまばらに三輪ほどの花が開いていた。なんだ、君、桜だったのか。いよいよ#山の家プロジェクト最終章の幕が開く。幼い桜が育っているのは離れの1階を占める私の書斎の窓からして真正面のあたり、楽しみがまたひとつ増えた。ああ、もうすぐ隠居の身。そしてどこかでウグイスが「ホーホケキョ」と鳴いた。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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