隠居たるもの、夏のこの日を待ち侘びる。2026年8月9日、午後遅くに宇都宮で暮らす義兄夫婦および姪一家が白馬にドヤドヤとやって来た。4時間を超える長旅を終えて自動車から降りてくるなり、8歳3ヶ月と5歳11ヶ月の姉弟はかしましい。翌10日になれば、東京から新幹線に乗って長野駅に降り立つメロン坊や御一行を迎えるべく、私は朝から新車を走らせる。小学一年生となったメロン坊やだって6歳と11ヶ月、年子のような姪孫(てっそん)3人がそろう「THE 夏休み」である。三菱UFJ銀行の尋常ならざる仕打ちに諦めることなく歯を食いしばり、なんとかその日のうちに白馬へと帰ってきたのは、準備万端この一大イベントを迎えるためだった。「子どもってえのは一年のうちに何回か、自然の中で思う存分に遊ばなきゃロクなもんにならない」、これはこれでとっくに大人になった者の勝手な言い分には違いないが、気候変動いちじるしいこのご時世だ、地球環境に思いを巡らせる素地を幼少期に形成しておくために大切きわまりないこと、私はそう考える。

的確なほうれい線
皆で温泉に出向き、帰宅し寝巻きに着替えてついた夕食の席、姉と弟の姪孫二人は母である姪に「さあ、渡すものがあるでしょう」と促される。夫婦で並ばされ、表彰状のような、巻物のようなものを手渡された。8月はつれあいの誕生月、いささかフライングをしてプレゼントを用意してくれていたようで、それはというと姉弟が手書きでこしらえた「バースデーポスター」だった。私も図柄に加わっているので贈呈のご相伴にあずかった、とまあこういうわけだ。こんな風にデコレーションして字を書けるようになったかぁ、似顔絵がちゃんと人間になってらぁ、しかもほうれい線(小鼻の脇から口元にかけて伸びる溝やシワのこと。加齢や肌の弾力低下、表情筋の衰えによる頬のたるみが主な原因で発生する)がくっきり伸びやかに的確かつ写実的に描写されているではないか、当たり前なようで大したことだ。

「こちとらそれを誤魔化そうとほっぺにヒアルロン酸を注射する浅ましい芸能人じゃあるまいし、忖度はいらないやな、ありのままに描いてもらえてありがてえ」などと、的確なほうれい線描写にどういうわけか爽快な心持ちだ。「ところで私の横に描かれた十字架のような、煌めく星のような、これはなんなんだ?」と尋ねると、「手裏剣、弟の方がいま忍者にハマっているんで」と姪からの返答。弟が今どんな忍者にハマっているのかはあずかり知らないが、私だってこの子の年恰好の時分には「仮面の忍者 赤影」にぞっこんだった、これまたなんとも痛快なことである。翌10日の夕食時にもメロン坊やからバースデーカードを贈られてつれあいはご満悦、使ってない額を引っ張り出して目下「額装」を画策中である。

タブレットを捨てよ、山と川と海へ出よう
「いとこたちは早くから川で遊んで楽しかったって。今日は天気もいいし、着いてお昼ご飯を食べたら私たちも川に遊びに行こう!」と呼びかける姪に、「いやだ。ぼくは家にいたい」とメロン坊や。長野駅でピックアップして散種荘まで帰る車中での会話である。親の干渉を嫌がりとりあえず口答えや屁理屈で返す中間反抗期特有の受け答えではあるが、あながち「それだけのこと」と片づけるわけにもいかない。せっかくの白馬だというのに本当に「家にいたい」という理由が彼にはあるのだ。では何故に「家にいたい」のか。YouTubeを見たいからである。メロン坊やの求めに応じて何度か一緒に見るうち気づいたが、「アクセス数を稼ぐために子どもの思考力を奪い中毒になるよう作っている」と疑わざるを得ない、さもしい「人気コンテンツ」がYouTubeには散見される。まったくもって油断もスキもないのだ。ここはひとつ大叔父は鬼になる。「悪いな、散種荘ではYouTubeは禁止なんだ」と釘を刺す。


裏を流れる平川を熟知する私である、「めったに人は来ないんだけれど、水量・深さ・流れの早さ、申し分ない特別なポイントにご案内しよう」と皆を誘う。メロン坊やも「渋々」というポーズをとりながらついてくる。そして結局は「お前は河童か」というくらいに思いっきり川につかってケタケタと笑っている。そんなもんだ。宇都宮組だってエンジニアである義兄の薫陶のもと、石積みの「ダム造り」に余念なく、気がつけばたいそう立派な代物を造り上げる。「その時がくれば、こいつらは立派なビーバーになる」とは義兄の弁。いつしか私の足はサンダルのストラップの筋を残して日焼けしていた。熊に気をつけ音を立てながら夕暮れ時に皆で帰り、子どもたちは姪の一人と義姉にすぐにシャワーを浴びさせてもらい、残りの大人は近所のホテルの日帰り温泉につかろうと、着替えを手に下げすっかり涼しくなった戸外をまたブラブラと逍遥する。

日本海の荒波
新潟県糸魚川市のヒスイ海岸で拾ってきて散種荘のところどころにディスプレイされていた石の数々に、実は「石愛好家」である妹の方の姪は「萌え」ていたのだそうで、「今回こそは車を走らせ日本海に面したヒスイ海岸まで石採集に出向きたい」とのたまう。私たち夫婦もマイカーを持ったことだし、8月11日の山の日に、一族郎党雁首そろえて日本海まで往復およそ150km、ドライブに出かけることにした。ところがどうだ、ヒスイで一攫千金と目論んでいるのか、夏休みのピークを迎えた海岸にはおびただしい人、人、人…。これまで空いている平日を見計らって訪れていた私たち、ここまで混雑する光景を見たことがない。そして関東地方を横断した台風の影響もあったろうか、この日の波はことのほか荒い。とはいえこちらの主眼はあくまで石。採集に励む私たちの横で、姪孫たちは歓声を上げながら押し寄せる波と戯れるのであった。

そして念願のカニ
どこで憶えたのか、年嵩の姪孫がこのところ「カニが食べたい」と口にするのだそうだ。となれば、せっかく糸魚川まで来たのにマリンドリーム能生のカニ横丁に足を延ばさない手はない。家で幼な子3人とカニを囲むとなるとカニ汁にまみれた手であちこち触られ大変なことになると踏んで、フォッサマグナミュージアムの帰りがけ、現地に立ち寄りさっと食べて帰ろうと目論んだ。ところがどうだ、恐るべきは夏休みのピーク、こちらの施設でも驚愕するほどの人の数、つまりごった返している。しかもそこいら中で車座になってカニをむさぼっている。あたり一面に茹でガニの匂いが漂う。「だめだこりゃ」と即座に判断し、大ぶりのカニを4杯買い求め早々に帰宅した。「カニを食べるときはカニに集中して!カニを食べ終えたのなら手を洗って!」、姪二人の小言がその夜の食卓にこだましたのは言うまでもない。しかしこれだけの人に供するべく漁に勤しんだからか、これまでにここで買った中で、この日のカニがもっとも新鮮で身が詰まっていて美味しかったのも事実。実のところ混雑が予想される日に立ち寄り買って帰るのが一番いいのかもしれない。年嵩の姪孫は念願のカニを食べ終え、満面の笑みを浮かべていた。

「THE 夏休み」
楽しかった「THE 夏休み」もいつかは終わる。8月12日朝、散種荘の前を散歩で通りかかったご近所の犬に姪孫3人は群がり、朝食を終えて落ち着いたころにちょっとした行楽として皆でジャンプ台に足を運び、午前11時過ぎに解散と相なった。年嵩のお姉ちゃんが「あと5回(5日の意と思われる)泊まりたいな」と呟いたのを合図に宇都宮組は自前の車に乗り込み帰路に着き、東京組は長野駅に向かうべくまたうちの車の乗客となる。物作りが好きな最年少5歳11ヶ月の姪孫に「壊れているこれを君にあげよう。思う存分に分解してみたまえ」と小さな目覚まし時計をプレゼントしたのだが、2日も経たないうちに3度も分解し、そしてまた組み立てたのだという。

「なんでYouTubeを見ちゃいけないの⁈」「見過ぎるとバカになるからだよ」「YouTubeが見れないと死んじゃうよ〜」「大丈夫、人間はそんなことでは死なない(笑)」「じゃあ勉強を一回したら1分見ていい?」「よし、話し合ってルールを決めようか」、この間に盗み聞きしたメロン坊やと父親の会話である。大叔父が出しゃばって心配することもなさそうだ。そんなメロン坊やも、自身の名前の由来となった花を一輪、散種荘の庭から大事に摘んで東京に持ち帰った。今回のタイトルを目にしてほくそ笑んだ方も多いだろう。寺山修司の著作「書を捨てよ、町へ出よう」のパクリである。「本の世界に閉じこもっていないで、現実がスピードを上げて渦巻く町に出ろ」と寺山は説いたわけだが、AIに支配されつつある現在の町(街)は、ある意味タブレットの延長に過ぎず虚構ばかりが幅を利かす。それが私が街から去る決断をした理由の一つでもあった。


川遊びをするためにそれぞれがサンダルを持ち寄っていたから、「THE 夏休み」の間、散種荘の玄関土間にひしめく混沌は大変なものだった。姪孫たちが去り日常が戻ると、その土間もひっそりガランと普段の様子に立ち返った。初老の夫婦二人きり、ゆっくり音楽を聴きながら、そう、ほっとするような寂しいような。ああ、もうすぐ隠居の身。タブレットを捨てよ、山と川と海へ出よう。