隠居たるもの、移ろう街の面影を見る。生まれてからこの方、東京は隅田川の東のほとりにしか暮らしたことがない。中学に上がり、行動範囲が飛躍的に拡大してあちらこちらに出向くようになった後も、お里は知れてしまうもので、居心地の良さを感じるのは自ずと東京の東側であった。もちろん、小僧には日本橋や銀座は敷居が高過ぎるから、そのふたつの街については勝手に親しみを寄せていたにすぎないが、それより西の街には足しげく通っていたとしても、心から打ち解けることはなかったように思う。
喜楽のラーメンだけがよりどころ
いまだ隠居にたどり着いていない我が身、仕事で久しぶりに渋谷の客先に出向いた。前からごった返してはいたが、人が人を呼び、観光客がさらに拍車をかけ、根拠のない躁状態に取り囲まれているようでどうにも生きた心地がしない。この街はもうきつい。公園通りからほうほうの体で道玄坂百軒店の喜楽にたどりつき、少し並んでいた列の最後にやっとのこと連なる。カウンターに座り、学生の時に好んで食べていたラーメンをすすって気持ちはようやく落ち着いた。ちょうど一週間前の先週の木曜日、やはり仕事で出向いた上野のことが頭に浮かぶ。同じようにカウンターで昼食を食べていた。すしざんまいのカウンターで海鮮丼を…。
柴田恭兵が「しのぶちゃん」を見つけたのは上野の不忍池
お昼時の職人頭なのだろう、この初老の人が、並んで寿司を握っている職人さんにネチネチと小言を繰り返す。イケ好かなさが突き抜けている。カウンターで私の隣に座った人は、不穏な気配を察し「あ、会社に忘れものした」と嘘をついて注文する前に席を立った。私はというと、「フン!」と余裕さえ漂わせた顔で我慢している職人さんを目にするにつけ、「さすが上野ぉ…」と、なぜか昔のドラマを見ているような気持ちになっていた。その後、先輩がダイナマイト・キッドを襲撃した犯行現場を検分し(参照:爆弾小僧の一周忌、「昭和のプロレス」っていうけれど https://inkyo-soon.com/the-dynamite-kid/)、目的地に向かうべく不忍池の脇を抜けようと公園の中に入る。するとどうだ。上の写真を見て欲しい。かつては日本ランキングくらいに入っていたボクサーだったのではないか、と思わせる風情のおじさんが、これまた凡庸な人間には醸し出せないたたずまいで自転車にまたがっている。ここは1979年の赤いシリーズ第8作「赤い嵐」で、警官に扮した柴田恭兵が、血まみれで記憶喪失になっているヒロイン 能瀬慶子の「しのぶちゃん」を発見した場所だ。向こうではコスプレ用のセーラー服を着たおじさんの一団が談笑しながらのんびりとタバコを吸っている。目眩がした。さすが上野である。
「考える人」の前で、上野について考える
上野公園に来る機会があると、必ず国立西洋美術館に立ち寄る。入場料を支払わなくても入れる前庭に、ロダンの「考える人」「地獄の門」「カレーの市民」があるからだ。これらはレプリカではない。そもそも彫刻というのは、原型と呼ばれる型を作り、そこに材料を流し込む。これらは、ロダンが作った原型から生み出されたれっきとしたオリジナルで、世界にいくつか存在するうちのひとつなのだ。
かつては北日本への玄関口だった上野駅。ほとんどの線が東京駅まで延伸し、現在の上野駅にその面影はない。乗降客も大きく減っているのではないだろうか。もともと「時代の先頭」ヅラして消費をあおるような街でもない。財閥が仕切る他の街と違って、新しく目玉になるような建物も簡単に作れない。また、同じ台東区の少し離れた浅草のように、わかりやすいキラーコンテンツつまり「浅草寺と雷門」も持っていない。底なしの混沌こそがアメ横だし、シャンシャンはもう2歳半だ。若い者も来ないし、外国からの観光客もムキになって押し寄せない。しかし、そんな上野だからこそ、行き場を失った匂い立つ「いかがわしさ」が寄り添っているのではなかろうか。東京にこんな街はそう残っていない。居心地が良く好ましい。誰もがいかがわしさのひとつやふたつ持っている、人間だもの。
「いかがわしい」と「卑劣」は違う
台風19号が迫る10月12日、台東区は「雨風だけでもしのがぜてほしい」と申し出たホームレスの避難所利用を拒否した。どことなく「いかがわしい」上野は「セクシー」だが、台東区役所は権威的で「卑劣」だ。そして「卑劣」の親玉は、来年の「桜を見る会」はやらないという。ならば、春になったら名所 上野公園で、勝手に「いかがわしい」私たちの「桜を見る会」をしてみたらどうだ?もう定義がないから反社会的勢力の人だって構わないよ。ああ、もうすぐ隠居の身。だけどもさ、もちろん持ち寄りだぜ。
追伸:「セクシー」の使い方、間違えてないよね?