隠居たるもの、馴染んだ風で心を洗う。こうしてひとっところばかりをウロウロしていると、ふとしたはずみで「行動半径」なんて言葉が頭に浮かぶ。このひと月たるや、その行動半径とやらはいかばかりか。おそるおそる地下鉄に乗った2度は例外にして、日課にしている散歩やウォーキングを合わせてみても、おおむね3kmといったところに納まるんじゃなかろうか。かてて加えて、この半径3kmをもってして行動範囲はきれいな円を形作っているのかといえば、南方面のみの歪(いびつ)な半円もどきでしかないことにも気づく。暖かく晴れた4月26日日曜の春の日、午後遅くは強く風が吹きつけるというから、人が少なそうなお昼時に隅田川テラスに足を運んだ。この日の散歩、進路は“北”にとる。久しぶりに隅田川を浅草に向かって北上することにしたのだ。
元関脇 安芸乃島の快癒を祈る
まずはいつものように小名木川を伝って、葛飾北斎 富嶽三十六景の一景にもなっている名橋 萬年橋に向かう。新小名木川水門の向こうにかかる萬年橋をくぐると、小名木川は晴れて隅田川に合流を果たす。その水門手前の対岸に、元関脇 安芸乃島が親方を務める高田川部屋はある。まわしがよく干されている5階建、大半の窓が開け放たれている。25日の土曜日、親方と弟子の十両 白鷹山が新型コロナウィルスに感染していることが公表されていた。驚きはしたがこのご時世、少しも不思議なことはない。ご近所さんの快癒を祈るばかりだ。
新大橋の向こうは趣きが変わる
萬年橋から隅田川テラスに下り、前の週とは反対に北に向かう。人との距離を気をつけて、新大橋をくぐると墨田区だ。箱崎に向かい絶えず渋滞する首都高速 両国ジャンクション、この週末はさすがに空いている。そいつをくぐって両国橋、その次にかかるのは総武線の鉄橋で、それ伝いにちょいと西に向かえば国技館、そんな寄り道せずにさらに北上して蔵前橋を目指し、そこそこの道のり歩いてここで引き返す。ただ戻るだけでは変わり映えしない、川を渡って台東区。蔵前橋から眺める隅田川、きらめく陽光に心持ちが清々とする。
あらためて隅田川テラスに下りて南に向かう。ふたたび総武線の鉄橋をくぐったあたりでせわしなくテラスから上がる。向かう方向、両国橋の手前で隅田川と神田川がつながりテラスが途切れるからだ。ここは浅草橋の裏手、いまだ船宿が残る柳橋。かつての江戸の奥座敷。新大橋を境に北と南でこうも趣きが違うものかとあらためて感じ入る。北にあるのは国技館に柳橋、それでもって浅草寺。南にあるのは箱崎ジャンクション、IBM、とどめに佃島のタワーマンション。この日にたどった行程は、名作落語「船徳」の舞台そのものだ。江戸の風が吹いているのである。
お前さん、もう少しで土左衛門になるところだったぜ
神田川を柳橋で渡って、またしてもテラス(なんていうけど、実のところは土手だよな)に戻る。するとなにやら騒がしい。両国橋をくぐって行く先を見やると、巡査やら担架を抱えた消防隊員やらが其処此処の階段をわらわら駈け降りてくる。下流から救急艇のサイレンまで聞こえてくる。あっという間に密集ができあがる。「おいおい、このご時世に物騒じゃねえの。」と致し方なくテラスを上がる。ソーシャルディスタンスを保ったまばらな野次馬の一画になってみると、どうやらジョギングをしていた者がどうしたことかフラついて、柵を越えて川に落ちてしまったようだ。一部始終を目撃したと思しきやはりジョギング中の兄ちゃんが、柵のそばで巡査に身振りを交えて伝えているのが遠目にもわかる。なんとか救い出されはしたのだろう、白いシャツを着た渦中の若い衆が水を滴らせてテラスにグッタリと横たわっていた。大丈夫だったのだろうか。気の毒だとは思うが、気をつけたがよかろう。最寄りの都立墨東病院だって、新型コロナ禍で救命救急を一部受入れ停止しているんだ。
焼き鳥屋「うきち」のテイクアウト
7kmを超えて歩いていささか疲れた。近所の馴染みの焼き鳥屋「うきち」(https://tabelog.com/tokyo/A1312/A131201/13063755/)がテイクアウトをしていると聞き及んだから、この晩は喜び勇んで久しぶりの居酒屋メニューを楽しんだ。気のいいアンちゃんたちが肩組んで営んでいる私たちお気に入りの店だ。料理は当たり前に美味しいし、酒はなみなみと注いでくれるし、それなのに安いし、BGMは残響ただようレゲエ一本やりだし、焼き鳥が食べたくなったらここを訪れていたのだ。だから心配していたのだ。休業となった鈴本演芸場で4月下席のトリを務めることになっていた春風亭一之輔が、その時間に合わせて10日間連続YouTube生配信をしている(https://spice.eplus.jp/articles/268243)。それを観ながら、焼き鳥をほおばった。相変わらず美味しくて、少し安心した。ああ、もうすぐ隠居の身。そう悪くない一日だった。