隠居たるもの、揺らぐ炎に平穏を見る。今日、散種荘の薪ストーブに初めて火が入った。山間の白馬は冷える。11月ともなると強力な暖房器具がないと過ごせない、そう聞いていた。小さいとはいえそこに家を建てるからには薪ストーブ、当初からそう心に決めていた。山頂では数日前に雪が降ったそうだし、紅葉だって上からずいぶんと進んでいる。本日10月19日の朝方の気温は4℃だった。冷気が降ってくる。ファイアーワールド永和さんが、はるばる東京の墨田区からレクチャーにやって来てくれた。相談、選別、購入、工事、薪ストーブののすべてをお任せした業者さんだ。直接に火を扱うのである、「取扱説明書に目を通してからあとは自己責任でやってみてね」というわけにはいかない。
こちとら川っ子、ゆらゆら揺れるもので周波数を整える
頬にひっそりと風を感じたとき、とうとうと揺蕩(たゆた)う川を黙って眺めているとき、海辺で潮騒の音に聴き入っているとき、心持ちがすうっと穏やかにならないだろうか。焚き火や暖炉、薪ストーブで揺れる炎をじっと見ているときもなぜか似たような心持ちになる。あまりにも穏やかになってしまうものだから、「ああ、自分は今おセンチになっている…」とその落差にちょっぴり切なさを覚えることだってある。ひと通りのレクチャーを聴き終えて、ファイアーワールド永和さんに「さあ、どうぞ。最初の火はご自身でつけてください」と促される。私はストーブに積んだ薪に火をつけた。ゆっくりと火が回った。
「あちらは寒いんでしょ?」との問いに「薪ストーブを入れるから」と返答する。すると多くの方々は「そいつはいい、素敵だ!」と一緒になって喜んでくれる。一方で、「薪の調達がひと苦労だよ?」とか「手入れやら管理が大変で使わなくなるよ?」とか「えぇ?そこまでするの?」とか、どうにも水をかけたがる人も一部にはいらっしゃる。でも、考えてもみてくださいな。生活の拠点を建てるというんじゃなくて、道楽が高じて山ん中にちっちゃな小屋をこしらえようっていうんだ。大きな窓を通して緑や雪に囲まれているんだもの、眺めているだけで穏やかな心持ちにさせてくれる「揺らぐ炎」は、ここでは単なる暖房器具の範疇を超えて至高の「娯楽」だ。けたたましいものに出る幕はない。こちとら道楽に労力を惜しまない。
オーロラの炎
2月の「東武亀戸線に乗って薪ストーブを物色する」(https://inkyo-soon.com/wood-burning-stove/)で省察した通り、勝手知ったる墨田区で薪ストーブ屋さんを営むファイアーワールド永和さん(https://www.fireworld.co.jp/)を見つけてからというもの、おんぶに抱っこで頼りきりだった。散種荘の図面を見せて相談の上、機種はノルウェーのJOTUL(ヨツール)のモダンラインから、最新のクリーンバーン技術が生み出すオーロラの炎が美しいという省スペースモデルのF134を選んで、煙突からなにから設置してもらった。薪ストーブには、薪を燃やしてストーブ本体が熱くなってその蓄熱で室内を暖める輻射(ふくしゃ)式、ストーブに設けられた通気層に空気を通過させてその空気を暖める対流式、そのふたつを合わせ持った輻射式+対流式、この3つがある。F134はいいとこ取りの輻射式+対流式だ。化石燃料ではなく、薪を実際に燃やす薪ストーブの暖房力は群を抜いている。朝5時に東京の墨田区を出発し、約束通りに10時に散種荘に来訪されたファイアーワールド永和さんの車には、段ボール10箱の岩手の薪が積まれていた。勝手もわからず、しかもこの冬に向けて調達する余裕なんかなかったから、これまた抱きつき戦法で車に乗るだけの薪をと注文していたのだ。私たちの使用頻度だったら今冬では使い切らないという。
薪ストーブはフィジカルだ
「家を閉め切って換気扇を使っていると、煙突を通して外気が中に流れ込みますから、そこで火をつけると煙で大変なことになります」「風の具合によっては、煙突への通気を全開にしてはいけません。暖気もすべて外に流されてしまいます」「空気の取り込み量(吸気から煙突による排気まで、火を燃やすストーブに必要なものはすべて外からつながっている。だから換気の手間はかからない)は、炎の具合を見てこのレバーでその都度に変えてください」「オーロラの炎が上がるのは、もっと底に灰がたまってからのことですね」「はは、まあ、習うより慣れろ、ですよ」ボタンひとつで完了したりしない。これでこそ道楽というものだ。冷や汗が出るほどゾクゾクするするじゃないか。火を焚いてみたからこそ出てくる質問というものもあるもので、いつものように丁寧に教えてもらって素敵なカタログも置いていってくれたから、周辺グッズの選別や薪棚をどうするか等に思いを巡らせて、またしばらく楽しい。
卸したばかりの薪ストーブは、3回慣らし燃焼をさせなければならないのだそうだ。薪をひと通り燃やしてから一旦は本体を冷ます。それを3度繰り返してからでないと、ひっきりなしに薪をくべてはいけないのだそうだ。1回目の慣らし燃焼は終わって火は消えた。戸外から中に入ってくると、それでも室内は明らかに暖かい。ファイアーワールド永和さんはもう東京に帰った。2回目からは自分たちでやってくれろと言う。あと2時間もしたらまた火をつけてみるか、なんだかドキドキするなあ…、楽しからずや、ってのはこういうことだ。ああ、もうすぐ隠居の身。まだ「平穏」は先にある。