隠居たるもの、もはやうんざり食傷気味だ。東京オリンピックにである。「やるのか、やらないのか」それもそうなんだけど、五輪がらみで出てくる「話」が下劣すぎて目も当てられない。「オリンピッグ」?いい歳をしてどういう「頭の中」なんだか、いい歳だからそうなのか、それとも組織委員会にはそういう人しかいないのか…。どちらにしろ、この新型コロナ禍は「東京オリンピック」のみならず「近代オリンピック」の正体をあからさまに暴いた。だとしたら、もう今までと同じというわけにはいかないのではなかろうか。4年ごとに世界各地の都市を巡回する「祝祭空間」としてのオリンピックは、暮らす街で開催されたが最後、もはや私たちの日常を蝕むだけだ。
オリンピックは決まってアテネで開催すればいい
ご存知の通り、オリンピック発祥の地はギリシャだ。厳密にいうと、アテネから西へ190kmほど離れた、ペロポネソス半島の西部に位置するオリンピアという街。そこにある古代オリンピア競技場、ヘラ神殿において各オリンピック開催ごとに聖火は採火される。そこら一帯は、いわば「聖地」というわけだ。例えば、高校野球は必ず阪神甲子園球場で開催される。甲子園以外では開催されない。だから高校球児はまだろっこしく「全国高等学校野球選手権大会を目指すぞ!」とか「選抜高等学校野球大会を目指すぞ!」と言わず、「甲子園に行くぞ!」と叫ぶ。それに倣って、4年ごとのオリンピックも「聖地」で開催すればいい。2004年アテネオリンピックのメイン会場は「パナシナイコスタジアム」だそうだが、オリンピック出場を目指す少年少女は、「パナシナイコに行くぞ!」と具体的なイメージを喚起しながら目標設定ができる。わかりやすいし、なんだかありがたいじゃないか。
拝金主義者を絞め出せる
その実、IOCが拝金主義者の集まりでしかないことがこの間でよくわかった。彼らと開催国や開催都市の一部の者が結託して、いっときの「祝祭空間」をでっち上げ、そのどさくさに紛れて「規制」を取っ払ってやりたい放題、意図的に経費がかかるようにしてそこから上がる利益を仲間内で分配し、ツケは国民や市民に押しつける。まさしく森喜朗氏の得意分野だったわけだ。欲にかられた彼らに「中止」という選択肢はない。だから開催に立候補しようとする都市は少なくなり、気がつくとまたしても「北京」だ。4年ごとに「ああ、そういえばオリンピックだっけか」とテレビをつけて気づく私である、オリンピックがなくなってもさほどの痛痒を感じないだろう。しかし、真剣にスポーツに取り組む若者にとっては人生を左右する死活問題だ。それに、私だってそういう若者の姿に少なからず「感動」の涙を流し、心が綺麗になったような「快感」を味わう。オリンピックだけが「晴れ舞台」という種目だってある。だから「なくしたらいい」とまでは考えない。都市巡回をやめればいい。経費もかからないし莫大な利権がその都度に発生することも無くなるから、拝金主義者たちは自ずといなくなる。「祝祭空間」が一定であれば、より競技に集中して「アスリートファースト」になる。開催する都市の過剰な「破壊」も止まる。開会式・閉会式は、4年ごとに世界各国の美術家を招聘して監督させればいい。スポーツの祭典なんだから華美になる必要はない。
ギリシャが再生する
2009年、政権交代によって財政赤字が隠蔽されていたことが発覚、ギリシャに金融危機がもちあがる。「ギリシャ危機」が赤字体質のイタリアやスペインにも派生しヨーロッパが大混乱に陥ったことは記憶に新しい。ギリシャの財政赤字には少なからずアテネオリンピックが影響していたという。好んでギリシャ国民がするわけでもない競技のために作った会場の多くは、メンテナンスする予算もなくほとんどが今現在「廃墟」となっているそうだ。競技場についてはギリシャに限ったことではないだろう。開催都市は、作ってしまったものの維持にまずもって頭を悩ませる。毎回「アテネオリンピック」なら、それらが常に「聖地」として脚光を浴びる。それに、今般のパンデミックのようなことがあっても、臨機応変に何度だって延期することができる。だって「アテネ」のあとは「アテネ」で、お次がつまっているわけではないのだから。そうして観光立国のギリシャも再生する。そうそう、より立候補都市が「ない」冬季大会も、スイスあたりで固定したらいいんじゃないか?
東京オリンピックは「ボイコット」する
1964年東京オリンピックの年に東京に生を受けて以来、ずっと東京で暮らしている。そもそも「オリンピック、またやってみたい?」と住民投票などで意向を確認されることはなかった。それなのに、一方的に「オリンピックやることになったから感動で盛り上がろう」と「感動する」ことを頭ごなしに要求されている。東日本大震災の傷跡がまだ生々しいにも関わらず、必要かどうか首をかしげる大規模工事がどさくさ紛れにあちこちで始まり、大会ロゴの盗作疑惑とか情けない醜聞に明け暮れ、あげく流行り病のために1年延期、その間に「復興五輪」は「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証としての東京オリンピック」にすり替わった。しかし7月までに「人類が新型コロナウィルスに打ち勝てる」見込みはまずない。開催されるにしても、参加できる選手は限られる上に、コンディションも整っていないだろうから、実質「○カ国対抗戦」のような低空飛行の様相を呈するに違いない。そこで「日本のメダルラッシュ!」とか叫ばれても興醒めだ。スポーツファンであるからこそ、もういいんだ。ああ、もうすぐ隠居の身。東京オリンピックは「ボイコット」することにした。