隠居たるもの、とどのつまり買い揃える。結局、CDプレイヤーも散種荘のオーディオラックに並べることにした。イギリスのメーカーCAMBRIDGEのAXC35というやつだ。もちろん「舶来だからいい」というわけではないが、「GREAT BRITISH SOUND」と謳うこいつはなかなかにやる。山に小さな隠居小屋を持とうと画策したその妄想の中に「そこでかかる音楽はCDではなくレコードであるべきだ」という一項目があった。だから35年ぶりにレコードプレイヤーをTechnicsで新調したのであるし、レコード以外のデジタル音源全般をTEACのネットワークオーディオプレイヤーに一任することにしたのであった。しかしそれだけでは飽き足らず、少しだけ空いていたオーディオラックの隙間にCDプレイヤーも割り込んできた、結局はそういうわけだ。
雨の日に部屋の中にいると、ボブ・ディランが聴きたくなる
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に、レンタ・カー事務所の女の子が「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」とボブ・ディランを評する場面がある。2021年3月21日、関東から北日本にかけてはまたも春の嵐が吹いているようだが、ここ白馬にも雨が降る。だから新調したCAMBRIDGEのCDプレイヤーAXC35をセッティングし、ディランがザ・バンドをバックに従えたブートレグシリーズVol.11「ザ・ベースメント・テープス」コンプリート盤を聴いている。現在79歳のディランが、オートバイ事故を契機に世間から身を隠していた26歳の時に残した録音。アメリカのルーツミュージックを掘り起こし継承する素晴らしい作品だ。
散種荘ができあがって半年も経つと、木々に囲まれた環境にしっくり聴こえてくる音楽がどんなものかがわかってくる。季節と時間帯で変わりはするんだけども、それは、ルーツミュージックへの敬意を忘れないもの、音数が少ないもの、大地や宇宙と繋がっている感がするもの、そういった類のものだ。よって、こちらにいる時と東京の庵にいる時とでは自ずと聴く音楽が分かれるようになった。このところ深川の庵にいる時は「切り立った都会的な音楽」ばかりを聴いている。そうしてみると、東京の庵に並べてある手持ちのCDの中には、不遇をかこつものがいくつも現れる。彼らは「オイラも散種荘に持って行って、そこで鳴らしてみてくれないかなぁ」と言ってくるわけである。テレビがない分、散種荘においてこそ音楽はよりじっくり楽しめる。
「おそらく人生最後のなけなしの大散財」はすでにお開き
すでにCDで持っているものをいちいちすべてレコードで買い直すのは馬鹿馬鹿しい。中古で探すしかないものもたくさんある。そういうものはコレクターを相手に法外な値段になっていたりもする。東京であまり聴くこともなくなり、だけれども山の中でぴったりハマりそうなCD、そんなものはやっぱり散種荘で聴きたい。確かにBlu-rayディスクプレイヤーでも再生できるのだが、それもどうにもショボくてうら悲しい。こうなったら方針転換、CDプレイヤーを買おうと決めた。しかし、簡単に「そうは問屋が卸さない」。すでに「おそらく人生最後のなけなしの大散財」はお開きになっていて潤沢に「予算」がとれない。主役として迎えるわけではなく「いぶし銀の脇役」だから高級品でなくてもいいのだけど、そうはいってもデザインが貧相なものは嫌だ。中古に掘出し物はないかと探してみるが、動作が保証された適当なものがない。加えて、アオゾラカグシキ會社にスタート時の機材のみを前提に作ってもらったオーディオラックの「空きスペース」が決定的に限られる。ううん…、また楽しく困る。そこにCAMBRIDGEのAXC35が現れた。
CAMBRIDGEのAXC35しかない
まず、エントリー機種という設定だから、販売店によって違いがあっても「4万円くらい」と廉価だ。その割にシンプルなデザインが安っぽくなく、ボタンの質感も悪くない。なにより、場所をとらずAVアンプのすぐ上という唯一の空きスペース(高さ10㎝まで)に余裕を持って入る上に、幅がAVアンプとほぼ同じでスッキリ見てくれがいい。渋いグレーという色合いもコンビネーションとして悪くない。CAMBRIDGEによると「デジタルの音をアナログの音に近づけて再生させる」ことを目指しているという。つまりそれが「GREAT BRITISH SOUND」というわけか。頼もしい。私は性能が高く機能の多い「機械」が欲しいわけではなく、「いい音」を出すわかりやすい「再生機器」が欲しいのだ。残念なことに、日本のメーカーはこうしたところを勘違いしていることが多々ある。コードは、日本製のBelden 8412を広島の音光堂が半田付けしたものをAmazonで3700円で見つけて、少し奮発して発注した(上にはキリがない、私にはこれで充分)。つなげてみると、聴き疲れることのない潔いいい音を出す。くどいようだが、散種荘においてこそ音楽はよりじっくり楽しめる。
「ブラジルの声」ミルトン・ナシメント
「ブラジルの声」の異名をとるミルトン・ナシメントの大傑作「ミナス」を聴いている。かつて同僚だった歳上の人に教えてもらったミュージシャンだ。東京でかけることは滅多にない。なんというか、ここではキレイに上空に抜けていく。つれあいは今、部屋の向こうで私のカーディガンの綻びを繕っている。薪ストーブを焚いて暖かい部屋の中にミルトンの声が響く。こちらに持ってきてよかった。しかし、昨年3月末に在宅勤務を命じられてからというもの、夏にひと足早く「定年退職」を果たし、そんなこんなでもう一年…。ブラブラしていても必要に思えるものはあれやこれや出てくるし…。年金支給までは気が遠くなるほどにあと8年2ヶ月…。「ロングバケーションこそもうお開き」というわけか。ああ、もうすぐ隠居の身。そろそろ仕事を探してみようか。
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