隠居たるもの、追憶の扉を開けてみる。2026年3月2日午後2時8分、私たち夫婦はみなとみらい線みなとみらい駅3a出口から地上に上がり、どれくらいになるのか思い出せないくらい久しぶりに横浜の地を踏んだ。コロナ禍以降に訪れたことは間違いなくないし、ではそれ以前のいつが最後だったかと問われてもさっぱりと思い起こせない。この界隈で勤め先のセミナーがあって、そこに出席したあとにせっかくだからとつれあいと合流し、中華街に出向いて老舗の広東料理屋さんで夕食をいただき、そしてその日はジャケットを羽織るといくらか汗ばむような陽気だったので山下公園をぶらつき海風にあたってから帰路に着いた。そうした細部ばかりははっきりと記憶しているのだけれども、それがはたして何年前のことになるのか、父親がまだ生きていた時分か天寿を全うした後か、はたまたそれが暑さはこれからという初夏のことだったのか、それとも残暑がいくぶん残る初秋のことだったのか、時節感とでもいおうか、こうしたことがいっこうに思い浮かばない。仕方ないから「10年ほど前」ということにしておこう。とにかく私たち夫婦は久しぶりに横浜にやって来たのである。

横浜への経路検索
あらためて調べてみると今を遡ること13年、東京メトロ副都心線と東急東横線が2013年3月に相互直通運転を始めてからというもの、東京の下町からこのあたりまでやって来るのはそれほど難儀でなくなった。たとえば我が家からの経路をたどると、清澄白河駅から東京メトロ半蔵門線に乗って渋谷駅、降りたホームから階段を上って改札を出ることなく渋谷再開発の皮切りとして地下駅となった東急東横線ホームへそのまま下りて、そこで横浜駅の先はみなとみらい線に乗り入れる元町・中華街行きの乗客となる。乗り換えは一回だけ、しかも東急東横線はほとんどが元町・中華街行きになっているから迷うこともない。うっかり各駅停車に乗ったりさえしなければ、所要時間も家を出てから1時間と少し。ここではたと気づく。紹興酒が入っているにも関わらず帰路に煩わしさを感じた記憶が残っていないから、前回に横浜に行ったのもおそらく2013年以降であるに違いなく、だとすれば暫定的とはいえ「10年ほど前」というのはあながち間違ってもいなそうだ。

いつも となりに いるから
日曜の朝のお楽しみ、3月1日に放送されたEテレ「日曜美術館 アートシーン」の特別編で、横浜美術館で開催されている「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」展が紹介されていた。戦争が終わって80年、日本と韓国の国交が再開して60年、その節目をアートという接点から顧みる展覧会だという。これが大変に面白そうで、考えてみればちょっとした小旅行といった心持ちで行けるところなのだし、「せっかく山を下りてきているのだからここはひとつ港町の美術館詣でと洒落込もうぜ」となったわけである。李禹煥(り うふぁん)の「点より」「線より」には相変わらず見入ってしまうし、村上 隆の視点は若いころからやっぱり一線を画していた。そしてナム ジュン・パイク(白南準)だ。大日本帝国統治下の京城(ソウル)で生まれ、戦後は世界中をまたにかけ、とりわけ冷戦下の1960年代から80年代にかけてビデオアートの先駆者となり世界的スターだったナム ジュン・パイク。サブカル的手法で様々な分断を軽やかに越えてみせたその作品が、深まる分断に憂鬱ばかりがつのる今となって意表を突いて新鮮だった。

そうだ、間違いない、同發だ
1時間半ほどで観終えるかと思いきや、解説をしっかり読みこみながら巡るにふさわしい展示だったので、濃密にたっぷりと2時間半かかってしまった。脳みそ的には「いやいやなかなか」と満腹感を覚えたが、身体的には「のど渇いた、腹へった」と不平がつのる。とはいえこれは小旅行、安易に美術館内のカフェ等でごまかすわけにはいくまい。横浜までやって来たからにはみなとみらい線で3駅先の中華街まで足を延ばす。インバウンドさんを含めて夕刻の中華街は賑わっていた。しかしこれだけある店の中でどこを選べばいいのかわからない。一刻も早くビールを喉に流し込みたいのも人情なら、せっかくなんだし店選びを失敗したくないのも人情、「10年ほど前」はどこに入ったのだろうか。たしか横浜で暮らす人に「ここによく行く」という店を教えていただき大変に満足したのを思い出した。うろ憶えで「同心って名前じゃなかったか?」と検索してみると同發(どうはつ)という広東料理の老舗がヒットした。そうだ、間違いない、同發だ。


まずは生ビール、そして貝柱入りの揚げ焼売、つい先日まで春節だったからまだメニューに残っていた中国の正月料理だという白身魚と野菜のXO醬炒め(彼の地で高級とされる魚なのだそうだが申し訳ないことにその名前は忘れた)、締めに海鮮チャーハン。欲張ってもう一品どうかと思いもしたが、初老の二人にはこれで充分だった。客席を占めるのはあの時と同じく地元住民ばかりと見受けた「10年ほど」ぶりの同發は、やはり申し分なく美味しかった。もちろんのこと町中華に比べて値は張るが、そこはかとない非日常感に「いやあ小旅行だね、こりゃあ」とつれあいもご満悦だ。



港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
東京の隅田川と荒川に挟まれた下町の一帯だけで世界が成立していた子どものころの私にとって、横浜は歌謡曲の中に存在する「架空の街」だった。それは小学校1年生になるなり聴いた五木ひろしの「よこはま・たそがれ」だったし、なによりも11歳で真似したダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」だった。だから来たからには海が見えるところに身を置かないと実感が湧かない。腹ごなしも兼ねて山下公園を散策すると、花束を持った子もいたから卒業にまつわるイベントを終えて集まっていた高校生たちだろうか、「じゃあね」「またね」と声をかけ合いながら名残惜しくも三々五々に別れようとしているところだった。なんとも微笑ましい3月の光景だ。だからこそその一方で切ないような心持ちにもなる。この2日前に、よこしまなエゴイストたちが世界に向けて地獄の扉を開けてしまったかもしれないのに…。

「Baby Insa-dong」
「いつもとなりにいるから展」に、高嶺 格(たかみね ただす)という日本のアーティストの作品が展示されていた。彼は「Baby Insa-dong」と題された作品の中に「このところ『国益』という言葉を当たり前のように使う者たちが幅を利かせていてうんざりする。彼らは暴力的に引いたものでしかない国境のこちら側、つまり自分たちさえ良ければよくて、その外側がどうなろうが知ったことではないというさもしさを隠そうともしない」といった思索を、はっきり文章にして散りばめていた。あからさまに「国益ファースト」を叫ぶ者が始めたイラン攻撃には本格的にAIが使われていると聞く。「著しく進化したAIやロボットが自立にまで至りいつか人類に矛先を向ける」という心配をしている方々はあまりに無邪気にSFを信じすぎだ。AIやロボットはどうやったって人間がプログラミングした通りにしか動かない。しかしそれだからこそ恐ろしい。よこしまなエゴイストが牛耳って設定したAIやロボットは、そのプログラミングに則して忠実に動く。破壊であろうが殺戮であろうが、瞬時に、そして躊躇もなければ容赦もなく。

よこはま・たそがれ
結局のところ、私たち夫婦は「10年ほど前」とセミナーが美術館に替わっただけで同發から山下公園へと同じ行程をたどり、午後8時にならないうちに帰宅した。変わったのは食べられる量が減ったことと元町・中華街駅から帰路につく時間が早くなったことくらいか。一方で10年前の世界のトピックといえば、イギリスの国民投票でEU離脱が決まったこととアメリカの大統領選挙にトランプが勝利したこと…。やれやれ、なんともトホホだ。とにもかくにも、フラッとまた小旅行に出てみよう。ああ、もうすぐ隠居の身。追憶を積み重ねるのは初老の嗜みである。
