隠居たるもの、苦み走った「大人」に心を寄せる。つれあいの診断が確定し、ほっと胸をなでおろした2023年8月23日、甲子園で慶應高校が107年ぶりの優勝を遂げた。さほど興味もないからテレビ観戦することもなかったのだけれど、大学の先輩がわざわざLINEで話題にするほどに、世間は様々な角度から沸騰したようだ。徒然なるまま、あちこちのニュースを読んでみると「なるほどこれはこれで今日のこの国の縮図のような…」と腑におちる。
「いけ好かない」のはナゼ?
日刊ゲンダイの見出しにいたっては挑発的だ。そもそも公益財団法人日本高等学校野球連盟、略して高野連は「大日本帝国高野連」と揶揄されるほどに前時代的かつ抑圧的な組織。かつては「高校生らしくない」とユニフォームの色にまで口を出し、「高校生らしい」と丸坊主を暗に奨励する。しかし高校生らしい高校生たるもの、派手な色のユニフォームに身を包みたかろうし、ヘンテコな髪型に憧れることもあるだろう。なのに真夏の炎天下、制服姿の女学生に先導された大勢の丸坊主の男子が、両手両足を振り上げまなじり決していっせいに行進する甲子園大会開幕式、「偉い」おじさんの訓示を勢揃いして謹聴する姿も含めまるで戦前の学徒出陣壮行会を彷彿とさせる。さらさらヘアの慶應がそうしたものに反旗を翻している、と当初は好ましく思ったものだ。しかし勝ち進むにしたがって、どうも「いけ好かな」くなってくる。
「なにかと慶應に比較される学校の出身だもんでやっかんでいるのだろ?」との指摘はあたらない。仮に早稲田実業高校が勝ち進んだとしてあれほどに盛り上がるかというと然に非ず(さにあらず)。そもそも早稲田実業は私の母校ではない。慶應高校優勝の感想を求められた慶應義塾大学出身で元巨人の高橋由伸も「ぼくは同じ神奈川の別の学校(桐蔭学園)出身ですから、ちょっと複雑…」となんとも困った顔をしていたらしい。となるとマナーもわきまえず甲子園でどんちゃん騒ぎをしていた者たちの大半は「付属からの慶應」と推察されよう。代々に幼稚舎(小学校)から通う者たちがそうであることは周知の事実だが、慶應の付属は東京と神奈川のブルジョワを最も象徴する学校である。一世紀ぶりであるから無理もなかろうが、そうした者たちが関西人が「聖地」ともみなす場所を傍若無人に占拠してやりたい放題にはしゃぎ倒し、東北で質実に野球に取り組む子どもたちを威圧して屈服させた。なにごとも自己責任の時代であるから、敗れた仙台育英は「相手が強かった、自分たちが弱かった」と唇を噛む…。
この図が、今日のこの国の野蛮な格差のあり様をそのまま露骨に反映しているようで気が滅入るのだ。応援の問題ではない、彼らがここを顧みようともしないから「いけ好かない」のだ。それに加えて、慶應出身者も多いマスコミが、大スポンサーである慶應出身者に忖度してか、公正を欠いて過剰に「フィーバー」を煽り、「お祭り」ムードを醸成した。さらさらヘアで高校野球に新しい風を吹き込むかに思えた慶應ナイン、がんばって優勝し「フィーバー」を巻き起こした結果、社会に巣食う本質的問題を意図せずあらためて表面化させてしまった。
池波正太郎の大人の風格
そこにもってきて池波正太郎なのである。勤めに出るわけでもないから、私の朝はゆっくりしたものだ。トイレで少しずつ本を読んだりもする。ここしばらくは8年前に購入してから積ん読の憂き目にあっていた、徳間文庫カレッジの池波正太郎のエッセイ選集「酒肴日記」を手にしていた。ひと月ほどかけて読み終え、巻末の高丘卓氏の「編者解説」に膝を打つ。あまりに深く同意したので、その一部をここに引用したい。「とてもお歳には見えません、お若いですね。こう挨拶して他人をよろこばせるのは、社会常識ともいえる時代である。これは、いうならば若いことは善であり、老いることは悪ということでもある。(中略)なんのことはない、世間から『大人』がいなくなり(老人は増殖傾向にあるのに)、子どもが幅を利かす社会になった、ということに過ぎないのではなかろうか。(中略)池波正太郎氏には、この『大人』の風格がそなわっていた。」
生まれ育った地域が似通っている池波正太郎、あんな風格をそなえたいと、ある晩は信州名物ジンギスカンを、次の夜には鯖なんぞを、七輪でみちみち焼いてみた。そもそもパンクロックに夢中だった高校生のころ、恥ずかしいことに私は「『大人』になんかならない!」とうそぶいていた。若気のいたり、とにかく視野が狭かった。歳を重ねるにつれ、様々な世代の方とご一緒し、そこで物の道理に精通した「大人」という人種を発見する。パンクな「大人」でいることも可能だった。こうした人たちは、集いはするが徒党は組まない、長いものには巻かれない、世の風潮に付和雷同せず、自身の趣味に忠実で、吟味して判断を下そうとするから若輩の話にも耳を傾ける。高校生のころに抱いていた「大人」のイメージとは正反対だった。私はその人たちの流儀というか嗜みに憧れを抱く。
なんともしまらない話
甲子園のスタンドを埋めつくした面々は、得点のたび「若き血に燃ゆるもの♫」で始まる彼らの応援歌を、肩を組み喜び勇んで何度も歌ったと聞く。子どもじみていてなんともはしたない。それでは早稲田方面はどうかというと、おなじみのどこに出しても恥ずかしい森喜朗大先輩が、統一教会の支えでかろうじて当選するくせに見苦しいほど権力欲旺盛な下村博文先輩69歳を、安倍晋三亡きあとの自由民主党安倍派集団指導体制から、裏で手を回して先日に追放なさった。86歳が今も権勢を誇るなんとも辟易な「老人」の天下だ。なにかと「グローバル」とか「世界」とか口にする両校であるが、6月に発表された世界大学ランキング2024によれば、早稲田が199位で慶應が214位、まあ「目ク○鼻○ソ」というか、なんともしまらない話ではある。
*【2024年最新】QS世界大学ランキングTOP50・日本の大学TOP20全リスト:https://eleminist.com/article/2804?page=2
マイルス・デイヴィス大学
鯖を焼いた晩のこと。後かたづけをしつつ家の中に入ると、どういうわけか階段にキリギリスがいる。ウェイン・ショーターのアルバムを聴きながら酒をちびちび続ける。帝王マイルス・デイヴィスのキャリアの中でも、才気溢れる若手を抜擢して組んだ60年代の黄金クウィンテットを私は好む。ウェイン・ショーターはそこでサックスを吹いていた。髪に白いものが混じった彼とやはりそのクウィンテットでピアノを弾いていたハービー・ハンコック、大家となった二人が「俺たちはマイルス・デイヴィス大学出身さ、ありとあらゆることを彼から学んだ」とゲラゲラ笑い合って「師」を偲び称えているビデオを観たことを思い出す。浅草のはずれで育った池波正太郎の最終学歴は小卒だ。ああ、もうすぐ隠居の身。キリギリスは苦み走った顔をして音楽に耳を傾けていた。