隠居たるもの、ご近所さんと会釈を交わす。午後から東京に戻る2021年11月3日朝のことだった。食事を終え、庭の紅葉を眺めながらコーヒーを飲んでいるときだった。敷地の端っこをピョコピョコ跳ねるように横切っていく者と目が合った。「あれ?まだいたんですかい?旦那、この度は長逗留でござんしたな。それでは道中お気をつけなすって」不法侵入に悪びれることもなく、ゆったり去っていったのはキツネだった。以前に白い毛を生やしながら転がっている獣のフンを見つけたこともあった。やはり彼らの通り道になっていたのだ。今年はダメかと思われた白馬の紅葉は、10月29日あたりから急速に色づき、この4日間ほどだけ盛りとなり、ハラハラと散り始めていた。
七倉ダムと高瀬ダムは中部山岳国立公園の中
到着した27日は、しつこく続いた高温に多くの葉が干からび枯れかけていたのだ。それから薪ストーブを焚かないといられない例年通りに夜がぎゅっと冷え込む日が続いて、最後の最後、なんとか落ちる前に駆け込みでキレイに葉は色づいた。このごく限られた期間、北アルプス国際芸術祭鑑賞のためレンタカーを借りて山中にも分け入ったものだから、幸いにも「葉が色づき濃くなって落ち始めるまで」その一部始終を観察することができた。とりわけても芸術祭参加作品を観るためドライブした中部山岳国立公園内の七倉ダムと高瀬ダム近辺はそれはそれは圧巻であった。
最果ての高瀬ダム(176メートルを誇る巨大な岩石や土砂を積み上げて建設する型式のロックフィルダム。大規模水力発電所の上部調整池を形成)そのものに度肝を抜かれる。石を積んだ丘のような壁の向こうにエメラルドの湖、その麓に地上絵のように並べられた石の群れが芸術祭作品で、そこにみっちりと紅葉がからむ。木が揺れていると思いきや、2頭の猿が喧嘩をしている。この荒涼と色彩、まるで宇宙との交信が執り行われる「神話の舞台」であった。
標高は1060メートル、気温はグッと低く紅葉のレベルも明らかに違う。実は、北アルプス国際芸術祭の会期は8月21日から10月10日までだったのだが、新型コロナ第5波・緊急事態宣言の影響を受けて延長されていた。それならばと私たちは紅葉シーズンに合わせて予定をずらしたわけだが、「不幸中の幸い」などと言っていいものか、そのおかげでピンポイントでこの絶景に接することができた。
「COP26」って?
国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)に出席するため日本を立つ岸田文雄総理が空港で取材を受けていた。そこで若者たちが声を上げた。「岸田総理!私たちの話を聞いてください!」気候変動を憂慮する若者たちが、「国民の話を聴く」ことをモットーとする岸田総理に(なのになかなか聴いてくれないから)直談判に及んだのだ。岸田総理は「話を聴く」どころか、うちの庭を横切るキツネと違って若者たちと目を合わせることもなく、そそくさとその場を後にした。若者たちの言い分はこうだ。「気候変動のツケを払うのは私たち、もしくは私たちの子供たちです。最もCO2を排出する石炭火力発電をとにかく早期に廃止してください。」10月21日か22日のことだったろうか、いつものように目を覚ましてNHK-BSのワールドニュースを見ていた。7時20分過ぎ、BBCニュースに「内部告発者によると、きたるCOP26に向けて、議決文書が骨抜きになるよう積極的なロビー活動をしている国が3つあります」という報道があった。「その3国とは、最大の産油国であるサウジアラビア、最大の石炭輸出国オーストラリア、そして最大の石炭火力発電所輸出国の日本」とのことだった。当然のこと、ヨーロッパ各国など40か国あまりが賛同した「脱石炭」の声明に日本が加わることはなかった。
自然と科学には謙虚であるべきではないのか、と私なぞは思う
岸田ジャパンは安倍ジャパンに続いてCOP26においても見事「化石賞」を受賞した。「化石賞」とは、気候変動に取り組む世界130か国の1500を超えるNGOのネットーワーク「CANインターナショナル」が、その日の国際交渉の中で、温暖化対策に消極的だった国に与える不名誉な賞のことだ。発展途上国に気候変動対策のための資金援助をしてお茶を濁したところで、浮いたお金で日本の石炭火力発電所を買うよう誘導したのでは、地球全体で排出されるCO2は結果的に増えるばかりである。高瀬ダムを持ち出すまでもない。資源はないけれど四方を海に囲まれ各地で温泉が出るこの国は、風力や地熱など再生可能エネルギーを作り出すための圧倒的なアドバンテージを持っている。そのための技術力も十分にある。それなのにどうだ、国として真剣に取り組まなかったからとっくの昔にヨーロッパの後塵を拝しているではないか。どうしたらこういうことになるのか口惜しい。「自然と科学には謙虚であるべきではないのか?」私なぞはそう思う。岸田総理、自分で言っているのだから、少なくとも車座になって若いものの話を聴いてみたらどうか。もう茶番はこりごりだし、そそくさと逃げるのは兎にも角にもみっともない。
ツキノワグマに安らかな冬眠を
白馬村防災ナビから情報が届いた。上左の目撃場所は、その日の12時半頃にまさしくそこを歩いていたあたりだし、右の目撃場所は1日前の11月3日午前10時40分頃に、(ギターを持ってこなかった)ギターを持った渡鳥と散歩していた地点だ。冬を前にクマたちは食いだめに忙しい。長すぎた夏のため食料も乏しく「ヒトの領域」にまで出てきてしまうのだろう。昨年より頻繁に顔を出している。誰もがクマ鈴を持ち、できうる限りお互いが出くわさないよう心がけている。山の中に居を構えてみると敏感に感じる。何週間にもわたって楽しめた紅葉も、今年はせいぜい1週間に満たなかった。じんわり進む気候変動は、臨界点を超えるとドミノ倒しのように襲いくるらしい。ああ、もうすぐ隠居の身。足音は如実に聴こえている。