隠居たるもの、起点めがけて掘り下げる。これまでの年月で培われてきた「人となり」、還暦も過ぎるとなるとそんなものがどうやっても滲み出る。いまさら「こういう人間に見られたい」と気取ったところで、しかるべき年月を重ねてこなかったのであれば、あくまで表層的で胡散臭い上滑りした「こういう人間」にしかならず、またそもそもからして「こういう人間」の素養に欠けている場合など、本人の意図に反して物悲しさが漂うばかり。だからといって「控えめであることが肝要」と訴えたいわけではない。こちとら初老の身、どちらにしろお里は知れるのだから自身が「好きなもの」に忠実であれかし、このところそう痛感しているのである。ということで、2026年4月4日土曜日、つれあいと連れ立ち私はドイツ語Q組の友だちとTOHOシネマズ日比谷に足を運んだ。映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」をともに観るためである。

ストリート・キングダム

 雨模様だというのに、TOHOシネマズ日比谷が入る東京ミッドタウン日比谷の前には人だかりができていた。ちっとも知らなかったのだけれども、「ウィキッド」という「オズの魔法使い」に登場する魔女たちの物語を描いた大ヒットブロードウェイミュージカルがあって、それを実写映画化した2部作の後編がロードショー中だったのだそうだ。劇中に登場するセットのようなものが広場に設られていて、子どもを含めたファンたちが、そこで順番に記念写真を撮ろうと並んでいたのだった。いそいそ映画館にやってきたからには私も記念の写真を撮りたいと思うのだが、かつてと違ってシネマコンプレックスには看板もかかっておらず、ましてやこちらお目当ての映画はそもそもメジャー筋というわけではないから、どこを探しても撮影スポットなぞ見つからない。「それにしても還暦を過ぎた友だちどうしが映画館で示し合わせていっしょにワクワク映画を観るなんて…高校生みたいでいい」なんてほくそ笑んでいると、雨模様だというのにいかつい革ジャンを着込んだ、同じ年恰好と思しきご同輩が横を通り過ぎていく。私たちと同じく16時55分上映開始の「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」を観に来たに違いない。滲み出る「人となり」、おそらくこの人もあの当時、パンクロックの現場にいたのだろう。

自分の音を鳴らせ。

 今から半世紀ほど前となる1978年に東京ロッカーズというムーブメントがあった。ニューヨークとロンドンで勃発したパンクロックに刺激を受けて東京のパンクを鳴らそうとした数バンドがジョイントしてツアーやイベントを繰り広げた一年ほどのムーブメントだった。当時の私はまだ14歳、なにやら危なそうなライブハウスに出向くなど夢にも思わず間に合わなかった。しかし当然のこと東京ロッカーズ以後もバンドたちはそれぞれに活動を続ける。15歳にもなれば思慮もなく度胸が芽生えるもので、ひと足さきに出入りを始めた友だちに誘われ私もまさに「魔窟」のようだった当時のライブハウスを初体験、以降はせっせと小遣いを貯めては足繁く通うようになる。「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」は、この国のインディーズの起点となった者たちのそんな1978年から1982年にかけてを描いた青春映画だ。

公式HP:https://happinet-phantom.com/streetkingdom/

 原作を書いたのは実際に彼らの裏方として働いていた地引雄一さん(当時を伝える写真の多くは地引さんが撮影したもの)、脚本を担当したのは私たちより少し年下でパンク愛を共有する宮藤官九郎(言わずと知れた当代きっての売れっ子脚本家)、メガホンを取ったのは映画に出てくる人たちに影響されて1984年にガガーリンとかばちかぶりってバンドをやっていた田口トモロヲ(後にNHK「プロジェクトX」のナレーションなんかするから笑った)、なんとも執念を感じる、観ないわけにはいかない映画なのである。登場するのはリザード、フリクション、S-KEN、ZELDA、スターリン、じゃがたらの江戸アケミ、ノンバンド(劇中ではバンドも人物もすべて違った名称にされているが、面倒くさいのでここではそのままにしておく)。演じるのは若葉竜也、間宮祥太朗、大森南朋、吉岡里帆、仲野太賀、中村獅童ら。売れそうに思えないこの映画によくもまあここまで錚々たる俳優陣が集まったものだと感心する。

*上映期間や上映時間は日々に変化しますのでHP等で調べてください。

豚に真珠

 映画を観終わった友だちと私たち夫婦は感想を語り合うためTOHOシネマズ日比谷近くの鹿児島料理屋に駆け込んだ。そこに、都合が合わずいっしょに観ることはできなかったものの、いっしょに語り合いたいがゆえ数日前に鑑賞を済ませていたもう一人の友だちが合流する。(ドイツ語Q組4人組のもう一人は、この日がお父さんの命日だったので残念なこと参加が叶わなかった。)あのバンドの誰それがどうとか、「映画で描かれていたあの時の新宿ロフトに俺はいた」とか、「鹿児島から東京に出てきた年にノンバンドのレコードを下北沢で買った」とか、狭い範囲にも関わらず私たちの話は尽きることがない。だもんではたと気づき店員さんに頼んで雁首そろえて写真を撮ったのは豚しゃぶをほぼ食べ尽くした頃合い、鍋にも皿にも申し訳程度にしか食材が残らず侘しいかぎり。「これじゃあブログに使えないな」とぼやいてみたところ「豚の頭があるという設定はどう?」とふざけた提案を受けた。誤解なきよう断っておくが、下の写真はそんな経緯で友だちがAIに作らせた「フェイク画像」である。大学一年の春、スターリンというバンドをきっかけに私たちは友だちになった。映画にもあったように、初期のスターリンは肉屋で買ってきた豚の頭を観客に投げつけたりするスキャンダラスなバンドだった。それにしても用心した方がいい、フェイク画像などこうしていとも簡単にこしらえられる。鍋の中まで豪勢になっているではないか。しかし拡大してよく見てみると、映画のパンフレットに載るカタカナが骨抜きになってグニャグニャになっているなど、細部にいたってはいい加減なもんで、注意を払いさえすれば嘘を見抜くことはまだまだ可能なのである。


「自分の踊り方で踊ればいいんだよ」

 土曜日の劇場は思いのほか様々な世代で混雑していた。10代のころに距離感近くその場を取り巻いていた私に内実に基づき躍動する群像劇が面白くないはずはない。それだからこそ東京ロッカーズを知らない人たちにこの映画がどう見えたのか私には想像もつかない。よって評することはあえて差し控えよう。兎にも角にも、東京ロッカーズとは1978年に捲き起こった日本で初めてのパンク・ロック・ムーブメントで、「売れる」ことが主眼の音楽シーンに対する反発と斬新な表現への渇望から生まれたそれまでにない潮流だった。それ以降、彼らは大手レコード会社に頼らず、ライブハウスを拠点にオールスタンディングを導入し(それまではどこも着席が常識)、自主レーベルを立ち上げ自分たちの力で音楽を作り、そして発言した。つれあいが好きなじゃがたらというバンドのフロントマン、不慮の事故で36歳で逝ってしまった江戸アケミはこう言った。「自分の踊り方で踊ればいいんだよ」

「お前はお前のロックンロールをやれ!」

 「お前はお前のロックンロールをやれ!」、アケミはライブでそうとも言った、そんな言葉に感化されて私は「やりたいようにやるさ」と文学部に進んだ。そしてドイツ語Q組で彼らとなるべくして友だちになった。なにも私たちは懐かしい昔話に花を咲かせているつもりはない。今も好きなままなのだから私たちからして現在進行形な話をしているだけだ。このところの若い子は長い文章を読むのを面倒くさがってChatGPTに要約させる、なんてことを聞いた。誰もが発信できるようになった上に過去のコンテンツにも容易にアクセスできる今日、確かに情報流通量が多すぎる。スマホには濁流のように情報が流れ込む。しかしそんな真偽もおぼつかない濁流に呑み込まれず自覚的に「お前のロックンロールをやる」ためには、ときに長い文章も読んで思考を巡らす必要もあるだろう。友だちがあっさりと作ったフェイク画像がそうであったように、見極めるポイントは細部に宿るのだ。映画を観た3日後、引越し屋さんが段ボールを届けてくれた。今般の大がかりな取捨選択を経て、私たちの「人となり」はより研ぎ澄まされるに違いない。ああ、もうすぐ隠居の身。そしてまた「自分の踊りを踊る」のだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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