隠居たるもの、身体の塩梅に気を回す。もう無理も効かないのだ。とはいいながら、ついつい楽しいんで不摂生を重ねてしまうのが「人」というものだ。気がつけば、人間ドックまであと1週間…。今さらどうにもならないのは承知の上だが、付け焼き刃の節制を施そうと涙ぐましく考える。普段はまったく勉強せず、試験前に慌てて一夜づけの計画だけ立てる中高生のようなものだ。
365分の1
私はお酒を嗜む。外食しない日でも家で必ず晩酌をする。「休肝日は?」と問われれば、「1年365日のうち1日だけ」と正しく答える。「その1日って?」と問い返されるのが通例であるから、「人間ドックの前日」とこれまた正確に答える。昨日も昨日で「山の家プロジェクト・オーディオ談義」などと称し、「簡便で安価、それでいて納得のいくシステムをどうやって構築するか」という無理難題を肴に、近所の友人の家でわあわあ飲んでいた。その最中にも「これを最後に節制モードに入るから」と、求められてもいないのに自分に言い聞かせるよう口にしていた。そう、今度の日曜日が今年の「人間ドックの前日」なのだ。
飲んだビールが5万本
クレージーキャッツの「五万節」の一節である。飲んだビールが5万本に達しているかどうかは定かではないが、飲酒に関して大らかだった40年前に未成年にして飲み始め、若い頃は本当に強かったから、あながちないことでもない。それが45歳を過ぎたあたりから、からっきし弱くなり、目に見えて「酔っ払っう」ことも増えた。日をまたいで飲み続けることなど今やほぼ不可能である。以前よりお酒自体が美味しいと感じるようになったにも関わらず、癖のようなものなのか「飲むペース」がさほど変わらないから余計に酔う羽目になる。
飲酒の合間に
水を飲むと酔いの速度が緩やかになるそうだ。日本酒の界隈ではこれを「和らぎ水」という。洋酒のテリトリーで「チェイサー」があるのと同じ。つれあいは、私が酔い始めたことに気づくと水を飲まそうとする。彼女がそれほど酔ってなく、正気であるときに限られるが。しかし、酒を飲むことを覚えた環境がそうさせるのか、ただ酔っ払いだからそうなのか、そう言われると、ついつい「しゃらくさい」って雰囲気を醸し出してしまう。飲もうとしないか、イヤイヤ飲む私を、つれあいがビシッと一喝した。
水を飲むことは恥ずかしいことじゃない!
それ以来、飲酒ともだちの間でこの言葉は合言葉として流通し始めた。誰からともなく「水を飲むことは恥ずかしいことじゃない!」と掛け声がかかり、ゲラゲラ笑いながら率先して「水」を酌み交わす。昨日もそうだった。このコピーが私たちを救ったのだ。身体あってのものだねだから。
人間ドックまであと1週間。なのに、その2日前にうっかり飲み会を主催で設定してしまった…。ああ、もうすぐ隠居の身。酒とともに40年、数値に戦々恐々する日々である。だったら常日頃から節制せい!