隠居たるもの、なすすべもなく横たわる。2025年2月19日、暮らしている集合住宅からほど近い、東京は深川の消化器系に強い病院の内視鏡室で、私は大腸および胃にカメラを入れて検査を受けた。もちろんこんな大それた検査を「このところちょっと調子が悪くて」といった軽い気持ちでいきなり受けるはずもない。昨年末に受けた生活習慣病検診でひっかかりがあったからだ。こうした検診や人間ドックを受けた経験のある人にはごまかしも効くまいし、尾籠(びろう)な話であることは重々に恐縮しつつ、ことの顛末をつまびらかにしてみたい。具体的にいえば、提出した2日分の検便のうちの片方から潜血反応が検出され、精密検査を促されたのである。実は「もしかして」と予感するところもあったから、さして驚くこともなければ必要以上に落ち込むこともなかった。ともかく精密検査をするとなれば早いに越したことはない。ということで冬のシーズン真っ盛りにも関わらず、こうして東京に腰を落ち着け検査を受けている。

予感するところ

私には20年ほどもつきあう「大腸憩室炎」という「持病」がある。大腸憩室(けいしつ)とは、大腸の内壁の一部が小さな袋状に外側に飛び出しできてしまうもので、加齢とともにできやすくもなるそうだ。ちょっとした拍子にその「小部屋」で細菌が悪さをして炎症を起こす。激痛とまではいかないがもちろん痛くなるし、ひどくなると薄くなった腸壁が破裂して手術にいたることもある。食の欧米化を原因に、かつてより憩室を持つ人が増えているという。自分がなるまでそんな病があることなど知らずにいたが、初めて発症したときに入院させられ脅されて以来、左脇腹に鈍い痛みを感じ始めると、かかりつけ医にもらった抗生物質を飲み早々に対処するようにしている。一日に一度だけ数日にわたり飲んでおけば炎症は治まってくれる。

ところが、生活習慣病検診を受ける直前に、タイミング悪くこの憩室炎が出てしまったのだ。抗生物質を飲み始めつつどうしたものか考えはしたが「検診当日までには治まりそうだし、年末年始にかけて延期するのも面倒、まぁ予定通りでいっか」とそのまま受診した。しかし私の浅はかさとは裏腹に身体は正直で、正月休み明けに発送され届いた検診結果表にはくっきりD2判定、つまり「要精密検査」の5文字が印字されていた。治まりきっていなかった炎症が便潜血をもってして存在をアピールしたのだ。まったくもってニクいやつ、「もしかしたら出るかも」とうっすら抱いていた予感が的中し、やっぱり「出ちゃった」のである。潜血反応は2日にわたる検便のうちの初日の方だけだから、炎症はおそらくその日を境に治まったのだろう。とはいえだ、そんなひとりよがりの御託を並べたところで何も始まらない。「要精密検査」という警告が発せられた以上、最悪の場合はガンということだってあるのだし、そもそも大腸に問題を抱えつつ生活していることは間違いのない事実なのだから、「こうなったら内視鏡を入れて今のありのままを見てみようじゃないの」と即座に決断し、検査をしてくれる病院をインターネットで検索したのであった。それが1月10日のことだった。

川を渡った先に開業している病院

「これまでに便潜血があったことはあるんですか?ふむ、一度もない、なるほど。その状況から考えれば、おそらく憩室炎からの出血でしょうね。しかしこの際ですから、しっかり調べておきましょう、ポリープとかあるかもしれないし」我が庵から一本道を辿って川を渡ったところで開業しているKクリニック、電話で問い合わせたその日のうちに診察をしてくれた。翌日からまた白馬に移動する予定にしていた私からすればまさに「救いの神」、40代になったばかりというところのK先生は爽やかで内視鏡の手捌きも優しそうだ。そして手渡した検診結果表のページをパラパラとめくりながら「あれ?胃の検査はしなかったんですか?」とキョトンとした顔をする。

「憩室持ちであることを告げたら、先の病院は検査のためのバリウムがさらなる炎症を引き起こす可能性を懸念し、予定されていたレントゲン検査をしてくれなかった」と答えると「ついでだから胃カメラもやります?」と望外のオファーが提示される。こちとら初老の身、検査の間隔が長く開くことにいい心持ちはしない。かくして私は同日に双方向から消化器官全般の内視鏡検査をすることとなった。となると日程をいつにするか。すでに1月の予約はすべて埋まっているというし、検査前は3日にわたって食事に注意が必要だというし、検査中にポリープを見つけて切除した場合には一週間は飲酒を控えねばならないし「激しい運動の禁止」など行動に制限も生じるという(おそるおそる「激しい運動」にスノーボードは含まれるのかと尋ねるとぴしゃり「含まれる」との回答)。腸を空っぽにしなければならない当日の準備もとにかく大変だ。そんなこんなを考え併せ、検査日は2月19日午後1時、ということに決まった。

バレンタインデーに東京に戻る

豪雪の白馬から10日ぶりに東京に戻ってみると、新宿駅構内になにやら長蛇の列ができている。チョコレートのMary’sの即席販売スポットに並ぶ女性たちだった。この金曜日がバレンタインデーであったことにようやくのこと思い至る。帰宅先で同居する人に「儀礼」として渡すべく、それぞれ疲れもたまっているであろう週末の仕事帰りに、堪え忍んで口を真一文字に結び並んでいるという様子。「面倒だろうに。パートナー間の義理チョコも虚礼廃止でいこうよ。ケラケラ笑って『忘れてた』とビールをついでくれたらそれで充分さ」若いころにたくさんもらえなかったことに対する怨恨の裏返しかもしれないが、こんな列を見てやっとのこと何の日かを思い出す私なぞはそう考えたりもする。とにもかくにも、冬に東京に戻ってきて真っ先に浮かぶ感想はいつも同じ、「なんて人が多いんだ、しかも日本人ばっかり」だ。

15日の土曜日に新橋で顔を出すべき中華料理店での宴席があった。間違いなく酒もたらふく飲む。検査日はつまりここを基準に決められた。この日から食事に注意が必要な3日を隔てて19日。この間に確定申告を済ませ(なんと初日の午前中に提出!)、白馬滞在中に取れた被せ物の対処のためかかりつけ歯科医に出向き、カイロプラクティックでコンドーくんにポキポキやってもらい、いよいよ大規模修繕が始まった集合住宅の理事会に出席する。ポリープ切除の可能性も鑑み、宴席の予定もしばらくは入れてない。そして検査を迎える。

検査の結果やいかに

「あら、すごい血管!あれだけの下剤を飲んで脱水気味なのに、これだけくっきりと血管を浮かび上がらせられる人なんて初めて見ました!一生もんですよ、この血管!」思いもよらないポイントで看護師さんから賞賛を受ける。検査がつらくないようにと頼んでおいた鎮静剤の点滴針を刺そうと、横たわる私の左腕に彼女がポイントを探していたそのときのことだ。「はは、そうですか。下剤による大腸洗浄の進み具合をチェックするスマホアプリがこの検査のためにあるんで驚きましたよ。今どきですねぇ」などと応対しているうち、鎮静剤は身体に回り始め、私は“落ちた”。気がついたときには検査はあらかた終わっていた。

「たしかに憩室の数が多い。しかし胃も含めポリープもありませんでしたし、その他に問題らしいものは何も見つかりませんでした。今まで通り気をつけながら持病につきあっていくしかありませんし、そうしていけば大丈夫です。え?ああ、今日からだって酒を飲むのも激しい運動をするのもかまいませんよ」爽やかなK先生は太鼓判を押しつつ苦笑いだ。20年ほど前の発症時に比べて憩室の数が増えていたものの、立派に歳を重ねているのだから仕方はあるまい。どちらにしろ「持病」以外はいたって丈夫ということでホッと胸をなで下ろす。さて、検査結果を伝えるために、あらかじめ決めておいた暗号をつれあいに送っておこう、「晩酌あり」と。ああ、もうすぐ隠居の身。今の寒波が過ぎたころにはまた白馬だ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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