隠居たるもの、山を見上げて度肝を抜かれる。新潟から北日本にかけて天候が荒れた2023年10月5日、山を隔てて新潟のお隣であるここ白馬、朝から断続的に雨が降る。気温は低くときおり強い風も吹き、さながら嵐の様相を呈す。「夕方から夜にかけて雨はやむ」との予報をあてにし夕食は外で食べることにしていた。2日後から始まる3連休に来客があり、それに合わせて買い物予定を組んでいて、食材らしい食材がこの夜まで残っていなかったからだ。予報どおり雨は小休止となったものの、経路から離れているとはいえクマ目撃情報は入ってくるし、風は強いままだし、やっぱり冷えるし、さほど遠くないなじみの店に足を運ぶにも心は安くない。今シーズン初、ダウンジャケットを引っ張り出す。店に入るなり火のそばに座りたくなるのも人情だ。

山の上では雪が降る

plats fromagers Où aller(プラ フロマジェ ウアレ)のオーナーは、この店を切り盛りしながら羊飼いをしている。久方ぶりなんで消息話に花がさく。なんとか牧場も軌道にのってきたそうで、「本格的に動き始めている」と充実した表情を浮かべている。そして「こんな天気の日にわざわざありがとうございます」と彼女は言うが、食材がない私たちにそもそも選択肢はない。「それとですね、こんな天気なので実はメインの食材が届かなくて…。すいません、野菜とチーズ、それにソーセージくらいしかないんですけど、それでいいですか?」と恐縮至極、それとて私たちに選択肢はない。ワイン2杯を飲み終えるころにはすっかり身体も温まった。「そうそう、(牧場のある)山の上、雪になったんですよ」帰り際に彼女からそう教えられたのだけれども、「下でもこれだけ気温が低いのだから雪が舞うのもさもありなん」、この時はそんな程度にしか捉えていなかった。

山を見上げて度肝を抜かれた10月6日

一夜明け嵐は過ぎ去った。雲は残っているものの晴れ基調、洗濯を済ませて予定どおり来客に備えた買い物に出かけようと山を下りる。散種荘を出てふと山を見上げたつれあいが、「ふぇ〜!見てごらん!見てごらん!」とジタバタする。仕方ないから私も「なにごとだ、やれやれ」と山を見上げる。そして「ふぇ〜!」と驚嘆の声をあげる。頂き付近に厚く雲がかかっているとはいえ、白馬三山に雪がのっている。白馬大雪渓ですら解けてしまうのではないかとハラハラ心配したあの白馬三山がびっちりと雪をまとっているのだ。ああ、山の上では昨日そこまで降ったのか。神々しい北アルプスが一日にして戻ってきた。

「日頃の行い」 Part.2

10月7日土曜日午前11時42分、あずさ5号に乗って友人夫婦が白馬駅に降り立った。「ふぇ〜!」、ふたりそろってそれが第一声だった。東京はつい一週間ほど前まで真夏日だったのだ、感嘆の情を抑えることなどできやしない。八方池に登るにしたがい雲が晴れ渡ったあの日に「日頃の行い」を自讃した私であるが、この日ばかりは「あなた方が白馬に来るとなると計ったようにその2日前に今シーズン初冠雪、しかも到着の日は快晴で山が出迎えてくれる、これは『日頃の行い』以外のなにものでもない」などと友人夫婦を散々に冷やかしたのであった。そうそう滅多にお目にかかれない絶景、ふたりもまんざらではない。駅近くの松庵で蕎麦をすすり、雲がかからないうちにとそそくさ岩岳にレンタカーで向かった。

そこかしこで「ふぇ〜!」という声があがる。岩岳マウンテンリゾートで遊ぶ人々の顔は晴れやかだった。友人はといえば、営業がこの日から始まったという、谷に向かって漕ぎ出すブランコに興じる子どもを、わざわざ写真に収めようと身構えている。まだ寒すぎるわけではないし、誰しもつい開放的な心持ちになるのもそれはそれで人情だ。とはいえ標高1,289メートル、ずっと山に抱かれたままだと身体は冷える。こうして遊んだ白馬三山を遠くに眺めるハイランドホテルの露天風呂にゆっくりつかり、旅行でやってきたという神戸の大学3年生と語り合ったりした後に、思い残すことなく私たちは散種荘に帰ったのであった。

3連休の中日、標高1,900mの栂池自然園は相応に混雑していた

「ごった返す」というほどではないのだが、3連休の中日にあたる10月8日、さすがに栂池自然園は混んでいた。みなさん当初より予定していたから立ち寄ったのであって、冠雪したからおっとり刀でやってきたわけではなかろうし、標高2,932mの白馬岳から重装備で下りてくる方々だってたくさんお見受けする。この方々は思いもしない雪でさぞや苦労されたことだろう。どちらにしろこの日は晴れ間もないほどにすっぽりと曇り、なのに山には少しも雲がかからない。紅葉が始まった自然園の向こうに、しっとり白地の空を背景に、キリッと白い山頂がぽっかり浮かぶ。やはり「日頃の行い」がいいのか、なんとも幻想的で、これはこれで滅多にお目にかかれない稀有な光景。タイミングよくここまで登ってこれを拝めたのは、一生ものの果報と言っても差し支えなかろう。

スケキヨの足

「焼きつけなきゃと思って、ずうっと目を開けたままにしていたよ。やはり自然に勝るものはないね」、「ここまでくればあとは本格的な雪を待つばかりさ」、そんな風に語らいながら、私たち4人は10月9日白馬午後3時16分発 あずさ46号新宿行きの乗客となっている。3連休の最終日、すでに全席が売り切れだ。右の車窓に仁科三湖の青木湖が現れたとき、栂池のロープウェーでの係員のマイクを通した案内がふと思い浮かんだ。「あちらに小さく見えるのは有名な映画『犬神家の一族』のロケ地だった青木湖ですが、Googleマップで飽きずに拡大していくと、なんと『スケキヨの足』というポイントがあるんです」というのだ。面白く気が利いた娘で、40分待たされてロープウェーに乗った満員の客の心をあっという間に和ませてみせた。車窓を眺めながら、「ほんとかねぇ?」とGoogleマップを飽きずに拡大してみる。「あ、本当にあった!」、こうして私たち4人の楽しかった2泊3日は締めくくられた。ご存じだとは思うが。ああ、もうすぐ隠居の身。快く度肝を抜かれると少しだけ若返る。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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