隠居たるもの、目には青葉 山ほととぎず 初鰹。「目に青葉」ではなく、正しくは「目には青葉」なのだそうだ。江戸時代の俳人 山口素堂が、江戸の人々が好んだ初夏の風物詩を詠んだ有名な句である。本来「耳には山ほととぎす」で「口には初鰹」と続くところを、季語以外は「目には」のたった三文字にしぼって調子を整えつつ余韻を醸す。「わかりきってるだろうよ。こちとら気の短い江戸っ子だぁ、そんなこといちいちつべこべとかいつまんでいられるかい。せっかくの初鰹がその間に古くなっちまうじゃねえか」というところだろう。そもそも現代の東京に、美しい鳴き声の山ほととぎすはいない。それに鰹はいつだってスーパーに並んでいる。2021年5月21日、私たちは風情を失くした街を離れ、白馬の散種荘に向かった。「目には青葉」だけでもたっぷり楽しもうと算段してのことだ。

「白馬はこの時期が一年でいちばんいい季節」

夕刻に到着し、いつものように数日分の食材の買い物を済ませ、白馬駅に戻ってタクシーに乗り込む。客待ちしていた白馬観光タクシーの同年配か少し年上と思われるドライバーは快活だった。「白馬はこの時期が一年でいちばんいい季節なんだ。新緑の盛りでさ、若い葉っぱは色が薄くてとても綺麗だしね。これから夏に向かって緑の色はどんどん濃くなっちゃう。実はゴールデンウィークあたりの新緑はまだまだなんだけど、ほとんどの人はそこで来ちゃうからやっぱり混む。だから最高なこの時期には人も車も少ないんだ。今日の昼までざあざあ降ってた雨はやんようだし、これから天気も良さそうだから、お客さん最高のタイミングで来たよ。はい、そこ左ね。あれ?前にも乗ってもらったことあったっけ?ああ、あなたたちか!」

新緑におおわれ、散種荘がにわかには見つからない

観光地といっても、来訪者も含めほとんどの人が自家用車で移動するから、タクシーの需要は少ない。したがって台数も少ない。よってドライバーも限られている。そこにもってきて私たちは「自動車を持たない挑戦」を継続している。自ずとタクシーを利用する頻度が高くなり、そうなると同じドライバーの車に何度も乗ることになる。このところ「前にも乗ってもらったことがありましたよね?」と確認されることが度々となった。ときには散種荘に来てもらうようタクシー会社に電話することもある。今や名乗っただけで「わかりました、すぐ行きます」と応えてもらえる。山の中で道順を説明する必要がないのは大変に楽だ。

「いつもありがとうございます。そうだよねえ、たまにしか乗らないなら車は持たない方がいいよ。手間もかかるし維持費だなんだって結局は高くつく。家はこの先だったね」この前までであれば、標高790メートル近くに登ってくると我が家の姿がくっきりと浮かび上がったものだが、このとき前方に見えたのはただただ輝くような薄い緑の重なりばかり。散種荘は萌え立つ新緑にすっぽりとおおわれていた。

「返却時間が多少遅れたっていいからね」

今回の滞在で最も天気が良いと予報された5月23日日曜日、久しぶりに行楽に出かけようとレンタカーを借りた。といっても行き先は白馬村の隣の大町市、北アルプス国際芸術祭のプレイベントに足を運び、ついでに山深い秘湯に赴こうと目論んだのだ(詳細は次段に)。駅前の馴染みのニコニコレンタカーに下る道すがら、気持ちのいい晴天に照らし出される初夏の田園風景にすっかり心を奪われた。いまだ雪をいただく山頂と萌え立つ新緑、そこに苗が植えられたばかりの田んぼがコーラスを入れる。いちいち感嘆していたら、予約した午前11時に17分ほど遅れてしまった。レンタカーのおじさんは催促の電話をしてくるでもなく呑気に待っていてくれた。

いささか恐縮する私に「お得意様だしもう知ってる人だからいいんだよ。返却時間が多少遅れたっていいからね。貸し出す車のキズだけど、あちこちにある、どこにあるかもわかってるでしょ?だからそれもあんまり気にしないで。ゆっくり楽しんで来てね」と応じてくれる。案の定、返却は21分遅れて午後5時21分となってしまった。おじさんはやはり呑気に待っていてくれた。レンタカー代金は超過なしの6時間2,860円で、ガソリン代は567円だった。「自動車を持たない挑戦」を継続している私たちであるが、やっぱり山の中、モータリゼイションを必要とするときは少なからずある。居を構えて8ヶ月、そうしたときの味方はどうやらしっかりとできたようだ。

萌える新緑がのしかかる

新緑の盛りに白馬に来たことがなかった。日に日に大きくなっていた若い葉があたり一帯をおおい尽くしている光景は圧巻だ。季節とともに色を変えていく風情をこれから楽しみたい。東京に帰ったらと思うと寂しくもなるが、仕方ない、「目には青葉 山ほととぎず 初鰹」、初でもない鰹をスーパーで買っていくらかなりとも風情を感じるとするか。ああ、もうすぐ隠居の身。今朝サニタリーの窓から見たのはホトトギスだった。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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