隠居たるもの、詩的でクィアな庭づくり。前日の夕方からときに強く降った雨は、毛布にすっぽりもぐりこむよう私たちをそそのかし、目が覚めるころにはすっかりと上がっていた。窓を開け、山に雨が降る匂いと冷気がしっとり残るウッドデッキに出てみると、何本か道を超えた先に流れる平川の音が「ゴオオッ」と聴こえてくる。梅雨のさなかだ、水量が多いのだろう。PCを開きNHKプラスに合わせて「おはよう日本」で今日2024年7月18日の天気予報を確かめると、熱中症への警戒を各地に呼びかけている。昼食を終えたころには白馬の気温も30℃を越える。「定点観測だ、平川の河原に行ってみようぜ」とつれあいを誘い、物置から水辺に強いKEENのサンダルを引っ張り出す。

想像通り、平川は水量が多くて流れも早い。膝近い深さに踏み込むとグイッと持っていかれそうになる。この時分の流れにはまだ標高3,000mから急いで下りてきた雪解け水も混じっているから、飛び上がるほどに冷たく長くつかっていられない。「初物」は見極めが肝心、適度なところで引き上げる。散種荘に帰ってスマホを開いてみると、関東甲信越の梅雨が明けていた。

河原で流木を物色する今日この頃

おおむね夏は、晴れれば平川まで散歩して、暑気払いとばかり水につかる。くるぶしまででやめておくこともあれば、水着にはきかえ腰まで沈めることもある。身体を巡る血液が冷え、体内にこもった熱がすうっと霧消する。そこに山からいくらかでも風が吹こうものなら望むべきものこの上にない。この平川での「行水」がほぼ日課と化すわけだが、この夏はもう一つそこに加わることがある。河原に打ち上げられた流木や石を物色および拾集するのだ。なぜにそんなことをするのかというと、あらためて庭を作るためである。どんな庭にしようと思ってそんな物を拾っているのかというと、「デレク・ジャーマンの庭」のような庭にしたいからである。

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「デレク・ジャーマンの庭」

私が若かったころ、デレク・ジャーマンという映像作家がいた。耽美的で近未来をイメージさせる映像を撮る人だった。当時には不治の病だったAIDSで彼は1994年に亡くなった。その彼が遺した著作に「デレク・ジャーマンの庭」がある。イギリスのケント州ダンジネスの、原子力発電所に面した、平坦で荒涼とした、人の気配もほとんどない玉砂利が広がる不毛な空間に、彼がHIVに感染したことが判明した1986年からこの庭はつくられた。彼の映像作品のように「生と死のコントラスト」に美しさが滲み出す。彼は「楽園は庭にあらわれる」と言ったそうだ。その過程を、ハワード・スーリーが撮影した写真とともに著したのがこの本だ。見かけることもあり、そのつど手に取りパラパラとやってはいた。そして6月に熊本に赴き徒然なるまま本屋さん巡りをした際にまた見つけ、この間に「『デレク・ジャーマンの庭』のような庭がつくりたい」と思うに至る環境の変化もあり、観念してとうとう購入するに至ったのである。どうしたのかというと、お隣が平坦で荒涼とした不毛な空間になってしまったのである。

ヴィラ 殺風景 あるいは コテージ ベルリンの壁

綺麗に紅葉する立派な楓があったお隣の雑木林が売りに出されたのは一昨年のことだった。「なんならどうです?」と購入を持ちかけられたものの、今や日本で土地の値上がり率が最も高い白馬である、さして財力があるでなし、残念ではあるが丁重にお断りした。あっさり買い手は決まり、昨年一年を通して、雑木林はすべからく伐採抜根され、土地がならされ、規制いっぱいいっぱい驚くほどに大きな箱が建った。春を迎え雪も解けて「さあお手並み拝見、庭はどうする?」と見守っていると、敷地いっぱいに除草シートを敷き詰め砂利を撒き叩いて固めるばかり。貸しコテージにするんだそうだ。今後とも手入れの手間を省きたいのだろう、あれではペンペン草すら生えない。致し方あるまい、考え方および感性の相違というやつだ。山間に突如として現れた荒涼とした空間に対し、見出しにあるような名前をつけて、苦虫を噛むつれあいを宥めて笑わせる。申し訳ない、これくらいの冗談は許していただきたい。

デレクの杖と門番コブラ

「デレク・ジャーマンの庭」は、ダンジネスで拾集した貝殻や流木そして石でつくった彫刻と、地域に固有な植物などを組み合わせてつくられており、その風景にこそ生と死の彼岸である楽園が浮かび上がる。大袈裟にいうならば、お隣がああなった以上、私たちの庭は楽園として屹立しなければならない。例によって道楽に裏打ちされたそうした使命感に勝手に駆られた私たち夫婦は、河原に散歩してはせっせと流木や綺麗な石を拾集する。すでに「結界」を明示するための彫刻「門番コブラ」と、庭のほぼ中心に打ち込み彼に捧げたオマージュ 「デレクの杖」ができあがっている。驚くことに、小鳥たちが早々にデレクの杖を居心地のいい止まり木とみなし、頻繁に庭に飛来するようになった。楽園に近づいたのかもしれない。

錆び鉄の祈り

この夏、お隣さんにお客さんが来る気配がない。「そんなことで建設費の借入れを払えるのだろうか」と心配しつつインターネットの予約ページを開いて確かめる。実のところは野次馬根性の発露でしかないから当然のこと料金にも目がいく。そして得心する。8人宿泊可で、トップシーズンである冬になると料金が一泊15万円前後、10日間貸し出せば150万円くらいなのである。もちろん貸しコテージだから食事なぞつかない。円安のおりだ、長期のバカンスを取るオーストラリアやチャイニーズの富裕層にとってそれくらいは容易いに違いない。つまりそんなお客さんが3組もあれば「ペイできる」って計算なんだろう。楽観的に過ぎないか、とも思うがそれ以上に気にかかることがある。それすなわち、冬の間のひと月くらいしか使わないのに、あの見事な雑木林をきれいさっぱり伐採したの?ということである。なおかつ雪に埋まる冬以外に客を期待してないから新たに庭を整えもしない。ここ数年、白馬では同様な貸しコテージ建設が続いている。これが「経済」ってやつ?それにしても短絡的にして傲慢じゃなかろうか。そりゃあ気候変動が止まらないはずだ。そのうち雪にもそっぽを向かれるさ。

やはり河原で拾集した錆びた鉄片を立てつれあいが作ったオブジェに「錆び鉄の祈り」というタイトルをつけてみた。彫刻とは、三次元空間に制作する造形芸術のことを指すわけであるから、拙いとしても芸術的意図をもって創作された立体物である以上、誰がなんと言おうとそれは彫刻としか呼びようがない。クィアは「奇妙」と訳す。ああ、もうすぐ隠居の身。この夏、詩的でクィアな庭づくりに励む。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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