隠居たるもの、新しい眼鏡に心も躍る。2025年9月14日の午後4時35分、散歩がてら訪れた近所のDRAMATIC TOKYOというメガネ屋さんで私はあれよあれよという間に検眼まで進んでいた。「これからなら予約もなくすぐに検眼ができるんですけどよかったらどうですか?」と誘う店主に、私は最初「いや、これから家に帰ってテレビで大相撲秋場所の初日を観たいんだ」と答えた。すると店主は「そうですか、パリに買付出張に行くんで9月22日から10月3日まで臨時休業するんです。もし作るとなれば、今日に発注してもらえれば来週の21日に上がってくるもんですから」とつけ加えた。もちろんメガネ屋さんに立ち寄るからには「新しいものをあつらえようかしら」との色気がそれ相応にあったことは否めないわけで、では「新しいもの」を求める動機はどこからくるのかというと、それはそれで至極簡単、「度が合わなくなってきたのでは」という疑念を持ち始めたからである。私は検眼することにした。

DRAMATIC TOKYOでドラマチックにメガネを作る
この夏の暑さときたら文字通り「殺人級」、それゆえ家内にこもって本を読んでいることが多かった。とりわけ「大江健三郎全小説その4」などという二段組の全集本にも取りかかったものだから、その細かい文字がどうにもおぼつかず「ううむ、老眼が進んでいるのであろうか…」と忸怩たる思いを抱え込むことにもなった。果たして私の検眼の結果やいかに。「老眼は進んでいません。でもね、遠視が進んでいました。あなたは遠視と老眼の遠近両用メガネですから、遠視が進みますとね、その境がすごくボヤけてしまうんです。もちろん今の度に合わせて新しく作ればそれが解消してよりよく見えるようになります。とはいっても少し進んでいるだけですから、今のメガネでどうにかなるかといえばなんとかなる。どうします?」そう、私のメガネは遠視と老眼の遠近両用メガネなのである。そもそもが近視ではなく遠視であったから老眼が人よりも早く、40歳を過ぎてすぐから老眼鏡を持つようになった。そのうち本当に若くもなくなって、それまでは筋力でねじ伏せられていた遠視が大手をふって姿を表すようになった。となると遠いところも近いところも、裸眼ではどこにも焦点が合わなくなった。そしていつしか単焦点の老眼鏡が遠視と老眼の遠近両用メガネにとって代わり、以来ずっとメガネが手放せない暮らしとなった。

「あなたには頑固っぽくて渋い、そしてクラシカルだけどちょっとクセのあるやつが似合うんです」
「よし、この際だ、新しくあつらえようじゃないか。これはというのを見繕ってくれたまえ」するとDRAMATIC TOKYOを一人で切り盛りし経営する店主は、「日本でこのフランスのメゾンのものを扱っているのはついこの間まで唯一うちだけだったんです。近ごろ関西の方で扱う店がもう一軒できたようですが」と解説しながら、長方形の角を切り落としたような茶色のフレームを私に差し出した。若いものができうるかぎり個性的であることを避けようとする今日において、その装いも含めここまで個性的であらんとする彼は痛快な人材である。今かけているメガネをほぼ三年前にこの店で作ったときにもこのブログでつまびらかにしているが、そんな彼の中で「私に似合うメガネ」のイメージがどうやら確立されている。「頑固っぽくて渋い、そしてクラシカルだけどちょっとクセのあるやつがあなたには似合うんです」と言われるままかけてみるとどういうわけか確かにいい。「白馬で暮らすときは車も運転するだろうし、遠近の遠の方は中距離より長距離の視界がはっきりしたほうがいいですよね?そしてまた調光レンズですよね?色づいたときのレンズの色はグレイとかグリーンとかオーソドックスなやつじゃなくて、青とか、攻めた色でいきましょう。このフレームだと間違いなくカッコいいですよ」といささか興奮している。
*三年前に「DRAMATIC TOKYOでドラマチックにメガネを作る」と題してアップした省察:https://inkyo-soon.com/dramatic-tokyo/
「よし、この際だ」という「この際」とは「どんな際」なのか
私は彼が勧めるままに発注することにした。今どきの物価だし輸入物でもあるしもろもろ合わせていささかおののくような値段が提示されたのだけれど、例えばレンズのグレードを落として代替できるものに変えたとしても劇的に廉価になるわけでもなく、となれば「メガネは顔の一部」で常に酷使される眼を補助する肝心要な道具でもあることだし、「よし、この際だ、ケチらずいこう」と腹を括ったのである。同時に、パソコン仕事や読書に専念するときのための「今現在の度に基づく遠近の遠の方を中距離に合わせた室内用」メガネも一本こしらえることにした。こちらは勤めていた時分に使っていた「軽量で真面目に見える」古いメガネのレンズを交換することで対処するのだが、室内用であるからもちろん調光レンズにはしない。それにしてもずいぶんと思い切ったものである。はたして「よし、この際だ」という「この際」とは「どんな際」なのだろうか。

ビジネス用肌着と靴下を処分する
私が暮らす江東区は定期的に古着を回収している。これらは業者に無償で引き渡され、リユース・リサイクルの工程を経て再利用される。再利用できないものは工業用雑巾(ウェス)に加工されたりフェルトの原料になったりする。私は、箱に詰めて保管していたビジネス用の肌着(ヒートテック等ユニクロの季節ごとの機能肌着)や靴下を「この際」ごっそり処分した。なぜこれまで保管していたのかというと「また身につける日々がもしかして訪れるかもしれない」とやむを得ない再就職に備えていたからであり、なぜ「この際」処分したのかというと「そんな日々が訪れることはもはやないだろう」と判断したからである。なぜか。売りに出していた深川の我が庵、マンションの買主があっさりと決まったからである。

新たなフェーズ
フェーズとは「局面」とか「位相」とか「段階」について指し示す言葉である。買主が決まったことによって「#山の家プロジェクト最終章」のフェーズは間違いなくゴロリと前に進んだ。すでに散種荘竣工時に「人生最後のなけなしの大散財」を済ませており新たに買いそろえるものなどそうそうにはないが、離れもこしらえ暮らしぶりも変化する以上、あらためて吟味すべき備品もほんのいくつか頭にはある。しかしそれより重大なのは深川の庵に23年の年月とともに蓄積された物資の行方。散種荘の母屋なのかそれとも新たにこしらえる離れ、はたまた銭湯の二階かいよいよ手放すか…。着手を始めたところだ。断捨離とリニューアルを経てまた来年の春には新たなフェーズへ。その先鞭をつけるために気分も一新、「攻めた」メガネの新調に至った、とまあこういうわけだ。神保町の東京堂書店に赴いたついでにスノーボードブランドBURTON神田店に立ち寄り、へたった今のものに変わるスノーボードブーツのニューモデルの研究にだって余念がない。兎にも角にも、度もピッタリ合った新しいメガネは来週にできあがる。ああ、もうすぐ隠居の身。新たなフェーズに向けて視界は良好だ。
