隠居たるもの、門前に立ちほくそ笑む。渋谷から京王電鉄 井の頭線の各駅停車に乗ってふたつ、駒場東大前駅で降りて階段を上って改札を通りまた階段を下りる。そのまま直結する通路の向こうには東京大学駒場キャンパス正門、時刻は2023年12月8日午前11時50分。私は午後からの大学院生の授業にゲストスピーカーとして呼ばれていた。気づいてみれば、この日はジョン・レノンの命日。彼が殺された43年前、16歳の高校1年生となっていた私は、子どもの頃と違ってもはや冗談まじりにも「東京大学を受験する」とは口にしなくなっていた。東大の入学試験に必要な全科目を勉強する気力など自分は持ち合わせていない、とっくのとうにそう気づいたからだ。そんな私が初老にさしかかって「東大デビュー」を果たすのである。大袈裟に言うならば、請われて大学院生相手に東大の教壇に登る、のである。これがほくそ笑まずにいられようか、たとえ「俗物」のそしりを受けようともだ。
勝手に「知性が香り出している」ように感じる
そもそもここで学ぶ学生はさほど多くないから、東大の駒場キャンパスは思いのほか小さい。門を入ってすぐの守衛室で、指定された校舎がどこか尋ねると迷いようもなくあっさり判然とする。12時過ぎと示し合わせていたのでいくらか早い。「東京大学、どんなもんじゃい」とゆっくり巡ってみることにする。ちょうど午前中の2限目が終わったタイミングだったからか、各校舎から学生たちがワッとキャンパスに溢れ出す。同じ学生を街中で見かけたって決してそんな風には感じないだろうに、どうしても色眼鏡で見てしまうから「はあ〜、みんな頭よさそうだねえ」と、なんだか「お上りさん」のような心持ちになる。このキャンパスには大学院生が多いそうで、学部生に比べれば落ち着いているからなおさらそう感じるのだろう。
黄色い葉に埋め尽くされたこの銀杏並木、誰もが頭が良さそうに見える一因はそこに求めることもできそうだ。ペギー葉山が歌った「学生時代」に「秋の日の図書館の ノートとインクのにおい 枯葉の散る窓辺 学生時代」という歌詞がある。それがすっかり頭に刷り込まれているからか(そもそもあの歌の舞台は青山学院大学ではあるが)、こうした並木道には「勉学に励む者」が似合う。「なるほど認可した小池百合子都知事を含めてもマッチョでさ、神宮外苑を再開発しようって側に『知性』ってやつを感じないものなぁ」などと思考は勝手に巡る。そうこうするうち指定された校舎に到着する。「そういえば今や思想界のスターである中高サッカー部の後輩、斎藤幸平もこの大学の准教授さ(面識はないけど、笑)、ここにいたりして」と校舎入り口に掲示された研究室一覧に目をやると、どうしてどうして本当にこの校舎に研究室を構えていたから笑ってしまったのであった。
アウェーの闘い、これいかに
そもそもそんな大それたものでもないのである。ゲストスピーカーを依頼してきた歴史を専門とする教授は、そもそも私の出身大学文学部の同窓だ(1年下というか私が1年留年したせいで卒業年からしたら同期というか)。国会議員というよりもっぱらレイシストであることを生業とする安部派の杉田水脈あたりが根拠もなく喧伝するところのありもしない「在日特権」というおとぎ話を尻目に、授業で大学院生といっしょに在日コリアンが直面する日常の「やっかいさ」をコツコツと聴き取り調査しているという。黒板を背にして大人数を前にして誰かが話をするわけではなく、少人数が車座になってやり取りをする。参加しているのは多様性政策研究を専門にしている博士課程の学生さんとかだ。さすがに私が学生だった40年前と違い、ほとんどの学生さんはノートではなくノートパソコンを広げる。彼らは研究者だからあらためて私から教えることなぞない。とはいえ授業の大半はゲストである私が経験と見聞を彼らに語る。それが彼らの研究の補完材料となればとてもうれしい。酔っ払って「学者になればよかったかなぁ」なんて戯言を弄することもこれまでにはあったが、「あり得ない」と思い知った。目の前にいる彼らに比べて、若いころの私は恐ろしく不真面目でフザけていた。
次なるアウェー戦に備えて
「打てば響く」というのか、90分ほどではあったが優秀な若者とじっくり語らうというのはとても楽しい。世界を少しでもよくしようと学問に励むこうした若者たちの行く手をことごとく妨害してきた、多様性の徹底的な否定において世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と考えを同じくする(だから蜜月の関係だった)どこかの政権与党のもっとも威張り腐った派閥は、裏金疑惑で今や青息吐息だ(銭ゲバであるところも旧統一教会と全く同じであった)。これからは君たちの出番だ。心から活躍を期待している。
お世辞であったとは思うが「まだまだ聴きたいことがあるから是非また来ていただきたい」と教授が切り上げ授業は終わった。その機会があるというなら喜んで受けよう。学生の一人が駒場東大前駅の階段まで見送ってくれた。その子の出身大学は私と同じ都の西北の大学だというので、翌9日に予定されていた同窓会の忘年会、いわばこちらのホームに誘ってみた。彼女は来てくれ「とても楽しい」とにっこり笑ってくれた。まあとにかく、教育など望むべくもない時代と環境に生まれて生きてそして逝った父ちゃんと母ちゃんの墓前に、「来年は還暦という歳にはなりましたが、どんな形にしろ、とにもかくにも」と報告しておくか。ああ、もうすぐ隠居の身。とうとう東大デビューを果たしたのだ、と。