隠居たるもの、「徳」とはなにか考える。ずいぶんと大袈裟に出たわけだが、このところ頭を悩ませていることがあり、ことあるごとにぼやいているから、皆様におかれましてもお察しいただけているのではないだろうか。もちろん、様々な見方や考え方があるのは承知しているものの、どうにも釈然としないのだ。春日三球・照代が「地下鉄がどこから入るのか」考えると夜に眠れなくなってしまう気持ちがよくわかる。列島各地が「令和2年7月豪雨」に見舞われ、同時に東京における新型コロナウィルス新規感染者が連日200名を超しているこの最中に、なぜ「旅行に行こうぜ!」とばかり「Go To キャンペーン 」を、1.7兆円もの巨額を投じてこの7月22日から開始しなければならないのか。

松尾芭蕉翁との対話

かつて松尾芭蕉が居を構えた町に暮らしている。だもんで、気がつくと銅像となった芭蕉翁がそこいら辺に佇んでいたりして驚くことがある。芭蕉記念館からほど近い江東区立八名川小学校は、熱心に俳句をカリキュラムに取り入れていると聞く。近所のイベントの寄り合いがあって訪れた際、児童自筆の句が廊下の壁に張り出してあり、「ほほう」と感心したことを想い出す。その中に、「この子は天才に違いない」と感嘆した当時小学2年生 “B夫” 君の句があった。児童の個人情報であるから写真の掲載はやめておくが、情景が目に浮かぶ愛おしい名句ふたつを紹介しておこう。

父の日に かえるをあげたら おこられた

お母さん ねながらうごかす うちわをね

昨日、山の家での備品について探査しようと近くのホームセンターに出向いたその道すがら、今まで気づくことがなかった芭蕉翁に出くわしビックリした。せっかくだから尋ねてみる。

「師匠、22日よりGo To トラベルキャンペーンなるものが始まります。そろそろ私たちも旅に出ることといたしましょうか?」

芭蕉翁は応える。「これこれ、はやりやまいが一向におさまらず、旅に出るにしても先となる地が大雨に困り果てているこのおり、そのようなさもしい算段をするでない。お上だって考えものよ。これだけの大水だ、あれほどの金子(きんす)をどこに使うかは自ずと分かろうというものを…ここで一句、『降音や耳もすふ成梅の雨』(五月雨の降る音もこういつまでも聞かされると、梅雨というだけあって耳の中まで酸っぱくなってくる)これくらいに収まっていて欲しいものだが…」

どこにどうして釈然としないのか

まず単純に、1.7兆にも及ぶ多額の予算はこれまでそして今も被災されて暮らしすらままならない方々に回すべきだと考える。国会を開いて臨機応変に変更したらいいじゃないかと思うのだが、しかしてそうした気配は一切ない。それに、そもそもキャンペーンがあろうがなかろうが、新型コロナ禍がどうにか落ち着いたら、可能な方々は放っておいたって旅行に行くしイベントにも出向くだろう。反対に、この豪雨で被災された方々、新型コロナ禍で暮らしが立ち行かなくなった方々は、そもそもキャンペーンがあろうがなかろうが、旅行に出かける余裕などないに違いない。その上、都道府県の境をまたぐ不要不急の移動は「控えてほしい」と公的にアナウンスしていることとどう整合性を担保するのか。一方で、インバウンドさんからの収入が途絶えた観光業界の惨状もまったくもって想像できる。旅の空を好む私である、建築中の山の家視察に白馬に出向くことも何度かあるだろう、納得できないからといって意地を張ってキャンペーンを使わず、みすみす財布を軽くしてしまうのも業腹(ごうはら)だ…。そんなこんなを考えだすと、どうにも腹立たしく釈然としないのだ。

だから私はこう対処することにした

芭蕉翁にも諌められた。もちろん、こんなおりに今すぐ出かけることはしない。しかし、取り下げることをしそうにないから、機会が訪れれば「積極的」に「Go To キャンペーン 」を利用し享受することにする。旅に出る際、普段はインターネットの予約サイトで宿を取り、移動交通手段を直接に自身で調達していたが、最大限の還付を受けられるよう期間中は可能な限り旅行代理店を通してみる。調べてみたところ、彼らは常に変わらず、便宜を図りたい「会社」を通じないと隅々まで「恩恵」に与れないように仕組んでいるからだ。その上で、縁ある熊本への「豪雨支援基金」を探して、キャンペーンで浮いたお金をそのままその分そこに寄付をする。さすれば、かろうじて私たちが使った分だけでも(納得のいかない事務費が差し引かれた上ではあるが)、そうあるべきと望むところに移動する。やれやれ、手間のかかること…。元は自分が払った税金だというのに…。

午前中、買い物をしにスーパーに足を運んだ。連日にわたって雨に降られている小名木川の水は淀んでいた。ほとりにただずむ川鵜は旅に出たいのか遠くを眺めている。これは修行なのである。ああ、もうすぐ隠居の身。いささかなりとも徳を積むべく寸暇を惜しむ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です