隠居たるもの、袖擦り合わせてこそ他生の縁。2026年2月14日、晴天に恵まれた土曜日、私たち夫婦はさのさかスキー場に向かうシャトルバスに乗っていた。乗客は他に同年輩の男性が一人。週末ともなると、八方尾根や五竜、栂池(つがいけ)に岩岳といった白馬の主要スキー場は、オージーやチャイニーズを主軸とするインバウンドさんに国内客が加わり大変に混雑する。しかも国内の愛好者は考えを巡らすこともなく今も漠然と「祝日である2月11日を中心とする一週間ほどがシーズンのピーク」と思い込んでいる人が多いから、この間の週末の混雑はまさに「シーズンのピーク」だ。ならば家でのんびりしていればいいんだけれども、ここまで天候に恵まれるとウズウズ滑りたくなるのも人情で、そういうとき、私たちは10のスキー場が連なるHAKUBAVALLEYの端っこに位置する牧歌的なゲレンデに遠征することにしている。嬉しいことに、この冬からさのさかスキー場と鹿島槍スキー場が共同で、散種荘近くに発着するシャトルバスの運行を開始した。

同年輩の男性が「30年ぶりなんです、スキー」と語り始める

 行きも帰りも同じシャトルバスの乗客となった同年輩の男性は「30年ぶりなんです、スキー」と語り始めた。1年ほど前に移住してきたのだけれど、居を構えるなり昨冬の歴史的な豪雪に見舞われとにかく慣れない雪かきにきりきり舞いする日々(途方に暮れて除雪機まで購入したそうだ)、せっかくだというのにスキー場に出かける余裕をまるで持てなかった。そしてようやく今シーズン、満を持してスキーを再開するにあたり、まずは八方尾根スキー場でスクールに入って感覚を取り戻し、そして色々調べてこの日は村民割があるさのさかスキー場のシャトルバスに乗ってみた、とまあそういうわけだった。晴天のさのさかは青木湖を見下ろす絶景のスキー場だ。だのに混雑というほどには人はおらず、競技スキー部の高校生たちがピタッとしたレーシングスーツで溌剌と練習に取り組んでいる。なんとも質実剛健で好ましい。長年の仕事が一段落して勇気を奮って移住してきたと思しき男性、「決断は間違っていなかった」と感慨を新たにしたのではなかろうか。

ゲレンデの中心でピカチュウが微笑む

 さのさかスキー場よりさらに南、白馬村を越えて大町市に入ったところに鹿島槍スキー場はある。遠い上にこれまで私たちにとって都合のいいシャトルバスがなかったため、訪れてみたいと望んでいながら叶わずにいた。やっとのこと直通のバスが運行され始めた以上、足を運ばないという手はない。晴天の平日を見繕って出かけてみた。ど真ん中が谷になっていて、そこにピカチュウがニッコリど〜んと鎮座していて、取り囲む周囲の斜面に何本かのコースが設えられている。スリリングなコースは少なく、なんともローカル感満載でファミリーなゲレンデだった。そうした特性を知ってか、はしゃいだ声をあげて悪戦苦闘しているチャイニーズの初心者の団体さんが二つ三つ、なんとも微笑ましい。おそらくこれより南に位置する最も規模が小さい爺が岳スキー場に行くことはないだろうから、シャトルバスに揺られて40分強、私たちにとってはここがHAKUBAVALLEY最南端。うっかり「ピカチュウがいる」と教えたら「連れていけ」と請われるだろうからポケモン好きのメロン坊やには内緒にしつつ、タイミングを見計らってシーズンに一度こっそり訪れたいゲレンデだ。

*HAKUBAVALLEYのスキー場一覧図。左から爺が岳、鹿島槍、さのさか、五竜、47、八方尾根、岩岳、栂池、乗鞍、コルチナの各スキー場。私たちは夏のうちにこれらスキー場すべてで使えるシーズンリフト券を手配する。

HAKUBAVALLEYのトレンド

 2月11日に白馬入りし今シーズンの山ごもり第4クールが始まった。「さて12日はどこのゲレンデに向かうか」と作戦会議をしてみると、つれあいが「あまり雪も降らずすでに春なみに暖かくなる日も出てきた今シーズン、終わりも早いだろうからまともな雪が残っているうちに岩岳に行ってみないか」と提案する。なるほど一理ある。マウンテンハーバーというインフラを建設し山岳リゾートとしての白馬を象徴する存在となった岩岳スキー場、ゴンドラも一新した昨シーズンあたりからスキー場としての実力以上に人が集まり(あくまで個人的感想です)、常に混雑するようになった。なのでオージーがめっきりと少なくなる3月を待って訪れようかと計画していたのだが、この陽気である、標高の低いぶん積雪がその時まで持つ保証がない。「シーズンに一度は」と考えるならば今のうちに足を運んでおいた方がよさそうだ。冬の岩岳のお楽しみ、濃厚エビ味噌ラーメンも食べておきたいし。

 案の定、スキーやスノーボードをしない雪山を見たいだけの観光客までやってくる岩岳は、平日だというのにゴンドラ待ちの列が3重のトグロを巻くなど大いに混雑していた。しかしあくまでこれも想定内、「シーズンに一度」を噛み締めるかのように人ごみをかき分けかき分け滑り降りた。その一方で、今シーズン想定外に人気を得ているスキー場がある。栂池高原スキー場だ。シーズン当初の平日に出かけて大変に混んでいて驚いた。ご近所さんと世間話をしていて「なんだか今年は栂池がオージーにすごい人気なんだってね」と話題に上ることも多い。これまで白馬で覇権を争ってきた八方尾根と五竜&47の両スキー場、栂池人気のあおりで客を減らしているようにすら感じられる。オーストラリアでは夏休みが終わり子どもたちの学校が始まる2月になると旅行代金も廉価になるようで、ここ白馬でも円安に誘われた年金生活者と思しき高齢者インバウンドさんが増える。現地人でも同類たる初老だから話しかけやすいのか、そんな彼らから「ツガイキに行きたいんだが、シャトルバスはここで待っていてOK?」と聞かれることもあった。とにかくだだっ広くていいゲレンデではある。ではあるが、新しく何かができたわけでもなく、なぜに唐突にここまで人気が沸騰したのか当初は見当がつかなかった。

いかにして栂池高原スキー場は人気スポットとなったのか

 聞くところによると、近年に相次ぎのれんを下ろしていた栂池高原スキー場周辺の宿泊施設が軒並みオーストラリア資本に買い取られリニューアルされ始めているという。となると「ここをメッカにしてひと儲け」と目論む一味がインフルエンサーとかぬかす軽薄者を動員しつつSNSでオージー向け戦略的キャンペーンを張っているのではあるまいか。白馬にやって来る彼らの有力な情報源はSNSだろうしあり得ないことでもない。現に、東京都知事選挙から始まり兵庫県知事選挙および3度にわたる国政選挙で、考えを巡らすこともなく漠然とSNSに踊らされ容易に付和雷同が巻き起こる光景を目の当たりにしたではないか。どちらにしろ、HAKUBAVALLEYの北方に位置し標高も高い栂池の雪はまだなんとか持つだろう。再訪するのは3月になってからでいい。

お気に入りは乗鞍温泉スキー場

 HAKUBAVALLEYの最北端に隣接するコルチナスキー場と乗鞍温泉スキー場、そのちょうど境目あたりにKitaguni Lodgeがあって、そこで供される切り干し大根やひじきの小鉢がついた定食類が好きだ。その近くにあるRest HAIDIの餃子とラーメンもいい。何がいいってその場でちゃんと作っているのがいい。スキー場のレストランというのはたいがいどこかで作られ持ち込まれたものに熱を通すだけ。料理というものは「効率がいい」から美味しいとは限らない。今も残る個人商店だからこそかけられる手間なのかもしれないが、乗鞍温泉スキー場にはなんというかこうした急がない空気感とでもいうべきものが残っている。帰りがけにスキー場の中心となる白馬アルプスホテルでゆっくり温泉につかるのも楽しみのひとつだ。しかしこのホテルも東京は港区の麻布台ヒルズに入る会社に買われ、来シーズンにリニューアルされることがすでに決まっている。果たしてどうなることやら…。

 さのさかスキー場からの帰り道、同乗した同年輩の男性が私たちよりひとつ手前の停留所で降りるに際し、私たちはお互いに「またの機会に」と声をかけ合った。いつか散歩の途中で出くわすこともあるだろう。そのときにはこう声をかけよう。「袖擦り合うも他生の縁、近いうちにいっしょに食事でもしませんか?」私たち夫婦だけが残ったシャトルバスのドライバーが「もうお客さんたちだけですんでね、停留所じゃなくてお宅の近くで停めますよ」と申し出る。ああ、もうすぐ隠居の身。私たちはお言葉に甘えて散種荘から10メートルのところで降ろしてもらった。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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