隠居たるもの、つくづくたしかにそう思う。「今年の夏の暑さときたら去年の比ではありませんな」、そんなやりとりが当たり前の時候の挨拶となった。しかし不思議なもので、どれだけのさばっていても「暑さ寒さも彼岸まで」。墓参はいつにするか考え始めるとすうっと涼しくなる。2024年9月もご多聞にもれず、彼岸入りの19日になると何を着たらいいかオロオロするほど気温が下がる。18日の夕刻から19日の朝方まで雷雨となった白馬はなおさらで、痩せ我慢しつつ半ズボンにこだわるか、風邪をひいてもなんだし長ズボンに鞍替えするか、しばらく試してから「違う…」と穿き替え洗濯物を無闇に増やすのも業腹だし、あまりに急激な気温差に何を身にまとうべきか初老の身はいささか悩む。

雨上がりの夜空に

白馬駅に降りたのは18日の午後遅く、いつものようにそのまま買い物に繰り出した。今年は豊漁らしく「あたりまえ」な値段で並ぶ秋刀魚を目にし、ウッドデッキに七輪を持ち出し炭火焼きをしようと目論んだ。そのためにそろえた食材の賞味期限からしてXデーは翌19日。しかし雲行きにわかに怪しくなる。散種荘に着きタクシーから降りると空から大粒の雨が落ち始め、家内に逃げ込むと同時に遠くで雷鳴が低く轟いた。それから夜を通して朝方まで雷雨が続く。雷が鳴りをひそめてからも、雨は強くなったり弱くなったりなかなかやまない。そもそも炭火焼きを決行するのかしないのか、それとも延期するのかしないのか、するとしたら賞味期限がまちまちの食材でどう「目論み」を成就するのか、これまた初老の身はいささか悩む。それがどうだ、すっかり日が短くなった19日の夕暮れどき、空を見上げると雨はすっかり上がっている。

まず酒はイタリアの白ワイン。屋根が切れた先のデッキには降り続いた雨水が残り、まだまだ元気な桔梗が文字通り花を添える。コースの順番は以下の通り、1.チーズとアンチョビを詰めた肉厚ピーマン 2.タコ 3.厚切りベーコン 4.今シーズンお初の秋刀魚。「うまい、うまい」と食べているうち、上空に厚く残っていた雲が切れてくる。そこにポッカリお月様、中秋の名月は2日前であったけれども、これはこれでなんとも夢幻な景趣、めったにお目にかかれない綺麗な月だ。虫の声を聴きながら「こんな夜ってなかなかない」と悦に入る。しかしこの雲の切れ間は束の間で、本格的な豪雨は翌20日からだったのである。

線状降水帯の実体は複数の積乱雲の集合体

「石川県の能登で線状降水帯が発生だって。気の毒で言葉がないな…」20日の昼、スパゲッティとピザの店ガーリックで、アマトリチャーナとイカ墨のスパゲッティを待っていた。隣の席に座っていた男女2人ずつ連れだって旅行に来たと思しき若者たちが、スマホを見ながらそう囁き合っている。能登に豪雨をもたらした雨雲の端っこが白馬にかかっていたのだろう、天気予報が「こちらもそろそろ」と注意を促す。1月1日に大地震に見舞われた能登地方の復興が進んでいないと聞く。この豪雨がそこで暮らす方々にさらなる打撃を与えることが容易に想像できる。運ばれてきたスパゲッティに私たちがフォークを巻きつけている横で、頼んだ料理を待つ4人の若者たちはそうしたことを静かに語り合っている。

ここ白馬の散種荘近隣で土砂災害が起きたのは能登半島地震の半月ほど前、昨年の12月16日のことだった。「ダンプカーがめっきり通らなくなったな」と夫婦で語らったのはひと月くらい前のことか、その頃合いに土砂の搬出がようやく一段落したのだろう。立入禁止区域もずいぶんと狭められた。となると散歩の領域が広がるから、遠巻きに見ることしかできなかったあたりを目の当たりにする。フロントガラス全面に亀裂が入り、車体のあちこちが凹み、サイドミラーの片方がもげたホンダのフィットが道の真ん中に置かれていた。被災されたお宅で土砂に飲み込まれていた車だ。土砂が搬出され、ようやく救い出されたようだ。おそらくこのまま廃車になるのだろうが…

車ばかりではない。今も立ち入り禁止になっている、最も奥まった山沿いの通りに建ち並ぶ、土砂が搬出されその姿が露わになった家々、少々手を入れた程度では再び人が暮らせるようにはなるまい。この土砂災害をもたらした細い沢が暴れないよう、急ピッチで堤防づくりが進んでいるが、そもそも気候変動がもたらした季節外れの大雨が原因だったことを思い起こすとき(12月の白馬に降るのは雪で、あそこまで暖かい大雨が降ることなどなかった)、「今後も何が起きるかわからない中そんな対処療法で大丈夫?」と、なんとも心中穏やかではいられない。

暑さ寒さも彼岸まで

再び強く降り出した雨は、21日の午後になって上がった。うっかり油断すると最低気温が10℃そこそこに落ち込むようになったから、薪活(薪を調達する活動)を始めている。それを尻目に動物たちが動き出す。

庭にひまわりの種を用意し設置した「小鳥の保養所」に、常連のヤマガラがめざとく即座にやって来る。ジョウビタキのメス2羽が飛来し友だちどうし「露天風呂」の湯加減を確かめている。ゴジュウカラが遠巻きに順番を待ち、向こうのアカマツではアオゲラが幹をつつき始める。

そればかりではない。この庭で生まれ私たちを恐れずに育ったカナヘビの子どもが足下でじっと日向ぼっこをし、道端に落ちたドングリの実をリスがせっせと口に運ぶ。

涼しくなれば私たちの行動様式も変わる。山を下りて用事を済ませるため久しぶりに自転車にまたがり稲穂の中を走ったり、満を持して意気揚々と八方池トレッキングに出かけたり。

三連休の翌日24日のことだ。「晴れ」という予報に反しゴンドラを降りると標高1,600mより上はすっぽりと雲の中。しかし標高2,006mの八方池に達するのとほぼ同時、サワサワと風が吹き始め、雲の動きがにわかに早くなる。池のほとりからいっせいに歓声があがり、隠れていた白馬三山と五竜岳が顔をのぞかせた。「炭火焼きのときもそうさ、日頃の行いだな」と自賛する私に「そこまで善行を積んだおぼえがない」と返すつれあい。「この歳になり今はさしたる悪行もしていないから、差し引きしてちょっとプラス」というところで私たちは手を打った。

Have You Ever Seen the Rain?

アメリカのCreedence Clearwater Revival、略称CCRというかつてのバンドに「Have You Ever Seen the Rain?」という名曲がある。邦題は「雨を見たかい」だ。この間ニュースは立憲民主党の代表選と自民党の総裁選で持ちきりだった。私は違和感を禁じえない。誰一人として、私たちの生存がかかった喫緊の課題、エネルギー政策について多くを語ろうとしない。このまま野放図に化石燃料を燃やし続けるのだろうか。気候変動の結果もたらされた能登豪雨被害を目の前にしても、この国をつかさどろうという政治家たちはその根本原因から顔を背けたままだ。これを書き終えた午後には自民党の総裁も決まる。一事が万事、私は知りたい。ああ、もうすぐ隠居の身。君はあの「雨を見たかい」?

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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