隠居たるもの、ひと息ついて身体を動かす。2024年12月22日、目を覚まして外を見やると窓一面が白一色だ。「夜からこの日にかけて日本海側を中心に大雪のおそれ」と天気予報は警告を発していたが、それほど難しい予測ではないにしろピタリ的中させたというわけだ。どこぞの中高一貫男子校スキー部と思しき少年たちに囲まれ新宿発8時ちょうどのあずさ5号12号車で白馬に到着したのは前日となる21日のちょうどお昼ごろ、ときおりみぞれが落ちてくる暖かい曇りで、首にマフラーも巻きつけず行きつけの蕎麦屋に向かう道すがら、「(留守にしていたこの2週間で)もっと降ったのかと思っていたけど、それほどでもないね」などとつれあいと話を交わしたりしていた。天候が一変したのは日が暮れてからだった。

白馬デマンドタクシー

試行錯誤の末「二拠点生活」が常となった私たちにとって深川⇄白馬は日常的な移動である。よって洗濯なぞひと通りの家事をその日の朝にこなしておかないといけないし、とはいっても初老の身に鞭打って無闇矢鱈頻繁に早起きしたくもないので、いつもはもっと遅い便で白馬入りする。ならばなぜに朝一番のあずさ5号に飛び乗るかというと、理由はいとも簡単、一年を通して最も日が短い時期だからだ。ほんの数日でも留守にして戻った雪国の冬の日は「やるべきこと」が多い。まず凍らないように元から「水抜き」していた水道管に水を通さなければ「生活」を始められない。また庭から外回廊を見回しなんらかの異変があれば軽重の度合いに応じて対処しておかねばならないし、その上に冷蔵庫なみに冷え切った屋内を急いで温める必要だってある。数日分の食材を買い物して到着したらすっかり暗くなっていた、それではいざというとき心もとない。ゆえに12月から1月半ばまでは少し無理をする。

*21日の昼ごろ、駅近くの旧白馬ロイヤルホテル周辺の図。ずいぶんと前に宿泊したことのあるこの古いホテルも閉鎖した上でオーストラリア資本に売却されたと聞く。

昨冬はここに「インバウンドさんが押し寄せ決定的に台数が不足するタクシー問題」が加わったところだが、この冬から「白馬村AIオンデマンド乗合交通 白馬デマンドタクシー」が夜間のみから日中にも拡張され大変に助かっている。私たち愛用のスーパーで買い物を終え、スマホアプリでデマンドタクシーを呼び出し料金540円を決済し、停留所に指定されているスーパーの出入り口で待ち、ピックアップしてもらって散種荘のほど近くにある停留所で下ろしてもらう(乗り合うお客さんが他にいないとき、親切な運転手さんたちはたいがい散種荘の前にのりつけてくれる)。おかげで待ち時間と金銭的負担ともに大幅に低減された。こうしてストレスなく我が家についた21日の昼下がり、室温はかろうじて氷点を超える2.2℃まで冷えていたけれど、庭木もシュッと立ち周辺に大した支障もなく、日が暮れると同時に風呂に入れるくらい、なにごとも順調に進んではいたのである。

*白馬デマンドタクシー:https://www.vill.hakuba.nagano.jp/2020/wp-content/uploads/2020/11/demand.pdf

「日本海側を中心として大雪のおそれ」に見舞われた冬の朝

予報されていたとはいえ、あれほどの降り方だ、一夜明けてこうなることはわかっていた。窓の外は雪に支配された銀世界。あっという間に降り積もって若く幹の細い木々の頭も垂れさせる。そもそも悪天候を押してスキー場に行こうと予定するほどに若くはないが、だからこそここまでの降雪に対処するにはどれほどの労力が必要かありのままに認識できる。といっても逡巡している余裕があるでなし、まずは薪ストーブを焚いて室内を温め直し、それから朝食をとり、そしてコーヒーを飲みながら先の10月に亡くなられた「名画を見る眼」の著者 美術史家の高階秀爾さんを追悼するNHKプラス放送「日曜美術館」を観終え、「さてと」と身体を起こし長靴を履く。最初に取り掛かるのは玄関からエントランスの雪かきだ。

私の長い脚を物差しにしてずぼりと膝くらい

「脚が長い」というのは真っ赤な嘘(正確を期すればむしろ短い部類である)だが、門柱に積もっている雪を見るにひと晩でどれほど降ったか想像していただけるだろう。ぬくぬくと散種荘に閉じこもって様々な準備に取り組む一日にしたとはいえ、とにかくエントランスの雪かきをしておかねばいざという時に身動きが取れなくなる可能性もあり、なにはともあれ入退出路の確保なのである。在宅のご近所さんもスノーダンプを手に雪かきに精を出しておられる。冷たい、しかしほどよく湿り気を含んだ空気がなんとも心地よい。

スノーシューを履きながら思うこと

さてお次に控えるは弱りきった庭木の救出劇。渦巻く雪の大海原に乗り出すに際しスノーシューを履く。久方ぶりに装着するその最中、私はふと「こんなことばっかりしてないか?このところ…」と気づく。つい先日のことだ。年の暮れでもあり、鼻歌を歌いながら深川の庵の書斎の可動式棚を配置換えを含め大掛かりに掃除していた。すると「ズリッ」と音にならないただならぬ音がする。可動式の棚を支えるため壁に直に取り付けられたレールがとうとう積年の重みに耐えかね、すべてのネジを飛ばして壁から剥がれそのまま下方に落ちたのだ。

ゾッとするあまり鼻歌は鼻の奥の奥まで引っ込んだ。棚にのるものたちの重みで傾いたままかろうじて均衡を保ち前方に崩れ落ちることはなかったが、このままでは間違いなく大惨事になる。大慌てで本やらプロジェクターやらプリンターやらシェルフやらすべて床におろし、レールを元の位置にずり上げ、より長いネジで深く打ち直し、それだけでは不安なのでこれまでのネジとネジの間すべてに新たなネジを打ち込む。ヘトヘトになりながらもろもろ並べ直し体裁が整ったのは、すっかり日が暮れてつれあいが帰宅するころだった。おかげで書斎という大掃除のメインイベントのひとつは終わったも同然だ。

スノーシューは必需品

除雪機を持たず、降ったら降ったなりに雪を愛でる私たちにとって、スノーシューは必需品だ。雪山ハイクを趣味にしているわけではないから安物には違いなく、年に数回しか使わないとはいえ、これがないと雪のシーズンに庭に足を踏み入れることができない。時系列にそって写真を並べてみると、どうしてどうして、竹箒と身ひとつで「エイヤー」と雪に立ち向かう初老の身もなかなかに健気である(笑)。

それにしても運がいい。なんなく掃除を終えて私たちが白馬に向かった直後に書斎の棚が「ズリッ」となっていたらどうなっていたことか、私たちが白馬に着く直前にこの大雪が降っていたらなにもかも無事であったろうか。以前より簡単に疲れてしまうことは隠しようもないが、それでもまだなんとか身体は動く。さあ準備万端、スノーボードのセッティングも終えた。ああ、もうすぐ隠居の身。満を持して明日こそスキー場に出向く。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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