隠居たるもの、ついつい働き者の本性を現す。2022年4月26日から6月8日までのほぼ6週間、一度だけ白馬に赴いた4日間を除き、週に一度の休み以外はGWにも皆勤し、せっせとアルバイトに勤しみ半蔵門に通った。仕事は全国の小学生が春先に受けた学力テストの国語、読解記述問題の採点である。昨年の中学生に引き続き、今年は小学高学年を受け持った。スタッフは「採用テストを経て最も読解力に長けている方たちがこのチームに振り分けられている」と私たちをおだててくれる。全国の少年少女の答案には、ときおりとんでもなく独創的で、読み解いたのちに悶絶を禁じ得なくなるものも混じっている。その「因数分解」にはたしかに読解力が必要ではある。

再録:「指っち能力」??? それって「ゆびっちのうりょく」??

昨年に採点した答案の衝撃をいまだに忘れることができない。なので昨年7月の省察から引用する。「その子は解答欄に、主人公の「指っち能力」を賞賛する論を展開していた。???…。はてさて「指っち能力」とは如何なるものか。それがわからないことには採点の進めようがない。そもそも「ゆびっちのうりょく」と読むのだろうか。そのような言葉を聞いたことがない。はたして若い子の間に生まれた新語であろうか。試しに「指」を「ゆび」ではなく違う読み方にして考えてみる。例えば「しっちのうりょく」、あるいは「さす」から応用して「さっちのうりょく」…。あ!文脈からして間違いない、「さっちのうりょく」つまりは「察知能力」だ。漢字がわからず、とりあえず知っている字をがんばってあてがったのだろう。やられた…、私は悶絶した。腹を抱えて笑い転げたい衝動に必死に耐えた。その分、身体の震えをしばらくの間とめることができなかった。中学生恐るべし、死ぬかと思った。「元のことばがわかる誤字・脱字は大目に見る」というルールに従って、私は正解としておいた。「指知能力」と書かれていたら、この子の真意に辿り着けなかった。「っち」がひらがなで残っていたことが決め手だったのだ。この子と私のシンクロニシティである。」

小学生がやぶからぼうに「高卒がいい」と答案をしめくくる

ひるがえって今年5月20日のことである。「ふたつの選択肢からひとつを選び、なぜそれを選択するのか、そしてそれを実行するためにはどうしたらいいか」という設問に、一所懸命その子は解答欄を埋めていた。なにぶん小学生、言葉使いが拙いのは愛嬌で、その子はなかなかの論を展開していた。そして最後の一文で唐突にキッパリと締めくくる。「なぜなら高卒がいいからです」…。

にわかに答えが浮かばないんだけど頭を抱えながら子どもたちが重ねる健気な努力の果て、奇跡のような答案は生まれる。そこには「普段に使わない『漢字熟語的』な言葉を駆使してどうにか『高尚に』見せよう」というイタイケに背伸びする愛おしい意図が散りばめらていることも多い。文脈から判断するに、おしい…、この子は「なぜなら効率がいいからです」と言いたかったのだろう。「効」の字がわからなくてそれが「高」に、「率」の字は画数が多くて覚えきれてなくて「卒」に、それぞれ少しずつ違ってしまった、それが真相に違いない。しかしもし仮にこの子が字義通り「高卒がいい」と唐突に所信表明したのだとしても、それが今この時のこの子の考えなのだからして、私がとやかくなにか言うべきでもなかろう、若いみそらで決めつける必要はまだないとは思うけれども…。どう採点すべきか、座ったままそんなこんなに頭を巡らしているうち、私はまた悶絶を禁じ得なくなった。もちろん結果は○にしておいた。

ぎっくりは忘れたころにやって来る

この間の私の日常はというとこんな感じだった。まずアルバイトは午後いっぱい働く昼コマのシフトを必ず入れる、1週間のうち2回から3回はそこに午後6時から9時までの夜コマを加える、座りっぱなしの仕事だから通勤には清洲橋を渡りひと駅先の水天宮前駅を使ってたっぷり歩く、浮世の義理の雑事は休みである月曜日にまとめてこなす、もちろん掃除洗濯は毎朝のことで、その他に月・水・金の午前中はジムに通って1時間ほど容赦なく筋力トレーニングに励む、残りの曜日の午前中のどこかに買い物を配分する。夜コマのない日に会食が続いた週もある。そして迎えた6月1日の朝のこと。疲れが溜まっている自覚はあったのだが、「残りあと1週間」と無闇に気が張っていた。朝食を終えて、ダイニングチェアからなにげなく右ふりむき気味に立ち上がり、「あっ…」と声を発したなりうずくまる。ぎっくりと腰に電流が走ったのだ。すぐ後ろでその瞬間を目撃したつれあいによると、Tシャツ越しに右側の腰の筋肉がブルンと波打ったという。その日から3日間、佳境に入っていたアルバイトは申し訳ないことに休まざるを得なかった。

痛みに耐えてよく頑張った!

バイトを再開した6月4日、帰宅した私をつれあいが「痛みに耐えてよく頑張った!」と迎えてくれた。はて、どこかで聞いたことがある。たしか「感動した!」と続くはずだ。しかしニッコリとたたみかけられたのは「今晩はカツオのたたきだよ。さあ、風呂にお入り!」という言葉だった。バイト最終日の8日、最後の採点業務を終えてスタッフから「お疲れ様でした。ありがとうございました。よろしければまた来年も」と送り出された。半蔵門から深川に戻り、しばらく小名木川を渡る夕風にあたってたたずむ。なんとも晴れやかでいい心持ちだった。

私の身体の成り立ちを熟知する日本橋KIZUカイロプラクティックANNEXのコンドーくんによると、「やり過ごせたかもしれないし、やり過ごせなかったかもしれない」とのこと。疲れとともに骨盤周りが固くなっており、いつなってもおかしくない状態にはなっていたが、あの瞬間に右ふりむき気味でなくまっすぐ立ち上がっていればやり過ごせたかもしれないし、だからといってやっぱりどこかでつかまったかもしれないし…。要は、疲れを自覚した時点で、ジムを回避するなりひと駅先まで歩くのをサボって身体を休め、その空いた時間でストレッチなぞしていれば多分やり過ごせたんだと思う。時と場合によっては「高卒がいい」と書いたって「効率がいい」と伝わるんだし、「やるといったからにはやるんだよ!」という性分もこれからは考えものだ。まあ「夏に向けて休んどけ」っていうことなんだろう。ああ、もうすぐ隠居の身。いい歳なんだし「横着」を覚えようとも思う。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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