隠居たるもの、抗えない音曲があるものだ。私には2曲、無条件に身体が反応してしまう曲がある。昨日の夕刻、一向にやまない霧雨の中、傘をさして兜町を過ぎて茅場町のあたりを歩いていた。このタイミングで そのうちの1曲、Bee Gees の Stayin’ Alive がかかる。イントロを耳にしただけで、なぜか私はディスコ好きでもないくせに、風大左衛門がごとぎ腰の動きを止められない。まだ火曜日だっていうのに…。
メガネを外した時の顔がどんどんいかつくなるから
50を過ぎてそれまでにはなかった毛髪のクセが出てきたりして、面倒くさいからずっと坊主というべき短髪にしていた。加齢とともに、メガネを外した時の顔がどんどんいかつくなる。今、久しぶりに髪型を変えている最中で、とりあえず葛飾区青砥の40年来の友人である美容師ヤスに相談した。まずはイアン・ブラウンを目指したい。彼は1963年生まれでブルース・リー好きの同年代、1989年に名盤「THE STONE ROSES」を出したTHE STONE ROSESのちょっと音痴なボーカルだ。身体が抗えないもう1曲とは、このアルバムのラストを飾る「I AM THE RESURRECTION」である。どこであろうと、この曲がかかると背筋がピンと伸びてタイトルのままのサビを合唱してしまう。
1989年のイギリス
「自己責任」の名の下、弱者を切り捨てて今に至るグローバリゼーションの礎を作ったサッチャーの時代。マンチェスターの貧しい労働者階級で、切り捨てられる側だったイアンは、「権威」をかさに自分たちを追い込みないがしろにする者たちに対して、高らかに「尊厳」を歌った。イエス・キリストが復活(The Resurrection)だっていうなら「オレだって復活みたいなもんだ、今この場にオレがいるのも『奇跡』だからな」、「ガタガタ言わずに敬意を払え」と。その時から切り捨てられ続けてきた人たちが、溜まりに溜まった鬱憤を今になって晴らしたのがブレクジットの一面で、日本で報道されているような簡単な図式ではないという現地在住の人もいる。
今こそ “I AM THE RESURRECTION” と歌え
あれから30年経っている。だけどどうだろう、良くなってる?アメリカも含めて海の向こうのことでもないんじゃないか。解消するつもりもない格差、バレない限り横行するいじめとハラスメント、恥知らずにも有罪にならない性暴力、一向になくならない差別やヘイトスピーチ、「上」の人の顔色を窺いながら「弱い者達がさらに弱い者を叩く」夕暮れ…。
恥を忍んで臆面もなくいうが、亡き母は私にありったけの愛情を注いで育ててくれた。ないがしろにされたまま黙っていては母に対して顔向けできない。だから「母ちゃんの名にかけて」私は歌うんだ。“I am the resurrection and I am the life”と。
ああ、もうすぐ隠居の身。一寸の虫にも五分の魂である。