隠居たるもの、品を定めてより分ける。きれいどころの来襲を受け、午後いっぱい酒盛りに明け暮れたその翌日のことだ。つれあいはいくらか仕事をこなして午後から運転免許の更新に赴くと言っていたし、それならばと私は果たすべき用事を済ませ、前回アップの省察「きれいどころに定年退職をあらためて祝福される」(https://inkyo-soon.com/blessed-graduation/)に取り組み始めたところだった。昼時、つれあいから電話が入る。「午後からはかっぱ橋に行こうと思うのだが、いかがなものか、来る?」いささか飲みすぎたのだろう、すまして免許の更新をする心持ちになれないという。確かに、山の家「散種荘」の調理道具は近々に吟味調達しなければならない。この日も暑い昼日中、こうして私たちはかっぱ橋道具街に足を運ぶことになった。

かっぱ橋道具街

合羽橋は、東京都台東区の浅草と上野、より厳密にいえば東京メトロ銀座線の田原町駅と稲荷町駅の中間に位置する。食器具・包材・調理器具・食品サンプル・食材・調理衣装などを一括に扱う道具専門の問屋街である。名前の由来には2つの説があるそうだ。その昔、伊予新谷の城主の下屋敷につめる小身の侍や足軽たちが、内職で作った雨合羽を天気の良い日に近くの橋にズラリと干していたという「雨合羽」説。もうひとつは当然のこと「河童」説。今から約180年前の文化年間、合羽川太郎(本名合羽屋喜八)が、この辺りの水はけが悪く少しの雨ですぐ洪水になってしまうのを見かね、私財を投げ出して掘割工事を始めた。それがどうしてなかなか捗らない。その様子を見かねた隅田川の河童達が、川太郎の善行を助けようと夜な夜な工事を手伝ったという。そして、なぜか河童を見た人は運が開け商売も繁盛したのだそうだ。「どちらだと思う?」と問われれば、こちとら川っ子、「河童」説を支持したい。(参考:かっぱ橋道具街ホームページhttps://www.kappabashi.or.jp/

新型コロナ禍で流石にそういうこともなく空いていたが、外国人観光客の人気スポットになってからだって久しい。食品サンプル屋さんとか調味料専門店とか、なんともキッチュで面白い。とかなんとか言いながら、調理道具を購入するため「かっぱ橋道具街」そのものを目当てにやって来たことなどこれまでにない。いつも差しかかっては目的地に向かうため急いで通り過ぎてきただけだ。なんだか心が弾む。

うちのカミさんがね

「しかし、これだけの店が向こうまで通り両側にズラリと並んでいるのに、首尾よくお目当てのものを見つけられるのかね?」などと訝(いぶか)ってお供をしていたら、なんのことはない、最初から足を運ぶ店は決まっていたそうだ。「そりゃあそうだ…」と従って店に入る。釜浅商店、ここに来るまでにのぞいてきた、軒先まで埃をかぶった商品を並べている店とは趣が異なる。若いスタッフもキビキビ働いていて、こりゃあなんだか頼もしい。「釜浅商店」印ってのもあるぞ。ディスプレイされた調理道具はどれも職人が丹念に叩いてこしらえたものだ。我が家は鉄の調理道具に凝っている。鉄の小鍋で作った朝の味噌汁は五臓六腑に染み渡る。鉄のフライパンで焼いた肉は絶妙に中まで火が通る。そして、滲み出る鉄分が私たちの身体を強くする。

調理道具に魅せられて

そば屋を営む親子の料理人と思しきふたりが、銅でできた卵焼き器をめぐって激論を交わしている。店内をフラフラしているとつれあいから「どっちがいい?」とお声がかかる。このためにこそお供を仰せつかっているわけだから、気合を入れて思案し「こっちだろうね」と応じる。買い替えや買い足しではなくハナからそろえるのだからして相応の購入量ともなり、スタッフは気色ばむ。柄がついてない南部鉄器のフライパンで焼いた肉はさぞかし美味しかろう。「もうこんなところか…」とつれあいが一息ついたその時である。私だって伊達にくまなく店内をフラフラしていたわけではない。「小さな七輪があるといいと思わないかね?」せっかくの森の中の一戸建てだ。ウッドデッキでアジの干物や秋のサンマなぞをちちっと炭で焼いてみるのはどうだろうかね?バーベキューセットなんて大袈裟なことじゃなくてさ、日々の焼き魚を炭で焼いて食すなんてこれこそ贅沢だろうじゃあないか。こんなプレゼンをかまして、黒光りする小さな釜浅商店印七輪を購入品に滑り込ませたのである。釜浅商店、1908年に合羽橋道具街で創業された老舗である。

2020年9月14日午後3時50分、釜浅商店からの荷物が届く

この省察を著していたついさっき、配送を頼んでいた釜浅商店からの荷が届く。ほぼ同時にiPadにニュース速報が表示される。世紀の出来レースが終わったらしい。昨晩、我が庵でも野放図に飲むことを許す「ビール解禁シーズン」の終了を私たちは宣言した。吹く風がすっかり秋になったからだ。その食卓にはこんな話題が上っていたっけ。「モノの本当の良し悪し、食べ物の本当の美味しい不味い、そういうことがまるっきりわからない人の顔をしている、あの人は」「ああ、確かに…。値段が高い、売れている、効率とやらがいい、そんなところでしか判断しそうにないね」ささやかだけれど大切なことがあるのだ。私はなんとも愛おしい調理器具を手に入れた。秋の日、私はデッキでパタパタとサンマを焼くだろう。もしかしたら、高級魚になりつつあるサンマではなくアジの干物かもしれない。いやサバの味醂干し、いやイカの一夜干し…。あえて言う。ああ、もうすぐ隠居の身。「世界はどうしてこんなに美しいんだ」(https://inkyo-soon.com/how-beautiful-the-world-could-be/

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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