隠居たるもの、幼子の成長に目をみはる。「3歳の誕生日パーピー」を開催したあの時以来、日に日に成長し3歳と5ヶ月を少しばかり越えたメロン坊やが散種荘にやってきた。父親であるサッカー部の後輩の勤務先には冬休みがある上に(しっかりした年末年始の休みがないので)、このところの姪の仕事はおおむねオンラインで事足りるから、彼らはじっくり腰を据えて白馬の冬を楽しもうという魂胆を密かに持ち、2023年2月18日の土曜日から26日の日曜日までの9日間でそれを実行に移した。初老にさしかかった夫婦にそれを拒む理由なぞどこにもなく、春の兆しがそこかしこに垣間見える2月の後半、こうして私たちの「合宿」は始まった。
ゴンドラに乗りたぁい!
18日のお昼ころ、私たち夫婦はご一行を迎えに山を下りた。そのまま駅の周辺で昼食をとり、そして買物をし、ゆっくりと散種荘に戻る。そう簡単にはあたらない山の天気予報が、どういう風の吹き回しかあいにくなことこの日ばかりは的中、雨が降り始める。残念なことにそれは雪に変わることなく翌19日の日曜日まで、ときに強くなりながら降り続く。この雨の中、一晩を過ごして態勢が落ち着いたのを見計らい、泣く泣く仕事のためつれあいは散種荘を去っていったん東京に戻る。残された私たちは、ぬくぬくと薪ストーブで火を焚きながら、数字の教育がてらメロン坊やにトランプの7ならべを教えてみる。後方からウルトラセブン、キングジョー、エレキングが優しく見守っている。しかし幼子は飽きてきたのを自分で察するのか「ゴンドラに乗りたぁい!」と思い出したように声を張る。せっかくとった冬休みなもんで働き盛りの若夫婦だってやっぱり滑りたい。そんなこんなで、いくらか小降りになった午後から意を決して少しだけ五竜スキー場に出かけてみることにした。かえって空いていて、ご一行はまんざらでもない。散種荘に帰ってみなが風呂で身体を温め終えたころ、雨は雪に変わった。そしてこの雪は、雨にゆるんだスキー場を、二晩かけて元に戻してくれた。
「おおおじはおち●ちん、キヒヒ…」
これだけ寝食をともにしてくると愛着も湧くのだろう、成長にともなって「照れ」が薄れてきたメロン坊や、嬉しいことに私たち夫婦に遠慮容赦なくまとわりつく。なぜか「ぼくはねぇ、おおおじの顔が好きなの」と、彼の琴線のどこに触れるのかいっこうにわからないが(美的感覚が突拍子もなく個性的なのかもしれない)、大叔父が生まれてこのかた一度も耳にしたことのない文言を真正面から浴びせるからなんとも照れる。なので母親である姪がオンラインで仕事に臨む20日と21日は、父息子と大叔父の3人で、ウッドランドという子どもの遊び場もある、そして館内に温泉まで併設されている五竜スキー場に朝から遊びに行く。サッカー部の後輩がスノーボードの練習に励む間、交代して大叔父一人が彼と遊んでいればいいし、帰りがけ男3人いっしょに風呂まで済ませられる。
それにしても幼子というのは刻一刻できることが上乗せされていくから驚く。目につくものすべて自らよじのぼろうとしたり、そして少しずつできるようになったり、これまでは怖がってやろうともしなかった滑り台やソリに挑んだり、そして嬉々と滑り降りられるようになったり。それに合わせてフェーズも変わる。ここ数ヶ月で彼は完全に「おち●ちん・う●ち紀」に突入している。この日も遊ぶ合間に「おおおじはおち●ちん、キヒヒ…」「おおおじはう●ち、キヒヒ…」と私にふざけかけて喜んでいる。私だって幼少のみぎりに「8時だよ全員集合!」における加藤茶のギャグ「うんこちんちん」に熱狂した経験を持つ。ここで私に期待される役割は、ただ一緒にふざけることや、一方的に「やめなさい」と叱ることでもなかろう。私が挑んだのは哲学問答だ。「大叔父におち●ちんはついているが、大叔父はおち●ちんではない」、「大叔父はう●ちをひり出すが、大叔父はう●ちではない」すると反射的に「じゃあ、おおおじはなんなのぉ?」とまたふざけて問いかけるから、「そもそも大叔父についているおち●ちんや、大叔父がひり出すう●ちは、大叔父がここにいてこそようやくこの世に現れる。つまり大叔父はそれらの元となる根源的存在であるのだ。その尊さについては、まったくもって君も同じだ。」そのうちにわかってくれるだろう。
メロン坊やが渾身のギャグを披露する、「う●ち、キヒヒ…」
星が綺麗な晩に、仕事を終えた母親と一緒にみんなで焼肉を食べに出かけてたくさんのオージーに微笑みかけられたり、白い息を吐いて雪に寝そべって夜空を見上げたり、記憶に残るのかどうかは知らないが、さぞや楽しい刹那が積み重なったのではなかろうか。しかしこの合宿での彼の主戦場はやはり五竜スキー場ウッドランドだ。連日に遊びすっかり馴染みの場となった21日、面倒見のいいお兄ちゃんがいてすっかりご機嫌となったメロン坊や、遊んでくれたお兄ちゃん(推定するに小学2年生)が手を振ってお父さんとともにゲレンデに去ってしまうと、もう一人いたお兄ちゃん(推定するに小学1年生)に勇気を出して「いっしょに遊んで」とアプローチをかけた。そういうことをあまり積極的にする子ではないと聞いていたから、大叔父はハラハラしながら推移を見守る。しかし相手が悪い…。
ウッドランドにずっといたその母息子、どうやら父親は二人をほったらかしてゲレンデでずっと遊んでいるようだ。それゆえ息子は不機嫌で「早く帰りたい」と攻撃的になっていて、母親はやるせなく時間をつぶしているだけのように見受けられた。メロン坊やの粘り強いアプローチを、そんなすさんだ感じの息子は徹頭徹尾まるで無視。「遊んでって言ってるよ」と最初の方に一度だけ声をかけた母親も、つれない息子をそれ以上に説得することなくただただ黙りこむばかりだった。どこをどう切り取っても切ない光景がいたたまれなくて「いやなんだってさ。なあ、大叔父と遊ぼう」と割って入ると、それを合図として彼は「だって、ぼくはこんなにおもしろい子なのに」と証明しようとしたのか、表情のない母親に面と向かって渾身のギャグをキッパリと投げかけた。「う●ち、キヒヒ…」
「コラ、ばか、すいませんねえ」とメロンの両足首をつかんで逆さづりにして母息子から引き剥がす。もう彼らは眼中になかったからどんな表情をしていたかはあずかり知らん。しかしメロン坊やは、キャハハと笑いながら見上げた大叔父の顔に、そう彼が好きだという大叔父の顔に、満面の笑みが浮かんでいたことを見逃さなかっただろう。そうだ、大叔父は「でかした!」と思っているのだ。どんな事情があるにせよ、うちの可愛いメロンをないがしろにするなんざあ百年早い。「よくぞ『F●CK YOU!』と啖呵をきってやった!」と大叔父は心のうちで喝采を叫んだのだ。そのまま私たちは、スノーボードの習得に余念がない父親が帰ってくるまで、二人でくんずほぐれつ楽しく遊んだのだった。
困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ
仕事を切り上げた大叔母が22日昼過ぎに白馬に戻る。23日の祝日にはみんなが勢ぞろいして栂池スキー場に足を運ぶ。母親である姪は24日にも休みを取っていたから、今度は全員で五竜&47スキー場に出かける。メロン坊やの目も自ずとゲレンデに向く。おそらく来冬はスノーボードに乗ると言うことだろう。しかし果たすべき義理があって、私はその24日の晩に後ろ髪ひかれる思いでひと足先に東京に戻らなければならなかった。そこが渡世人のつらいところよ。姪孫よ、これは車寅次郎がおいの満男に語りかけた、「男はつらいよ」の言わずと知れた名ゼリフである。ああ、もうすぐ隠居の身。困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ。