隠居たるもの、甘美な響きに記憶をたどる。フットボーラーである私にとって、“ワールドカップ”という単語は、様々な情景を蘇らせるもっとも甘美な単語だ。あの時の誰それの美しいプレー、後世に語り継がれるだろうあの時のスーパーゴール、我が庵の建具を調整しに来た職人さんが、堪えきれずに「すいません、一緒に見ていいですか?」というから、遠慮なく手を休めてもらって固唾を飲んで共に見た2002年のあの激闘…。これはサッカーW杯の話なのだが、気がつくとラグビーのW杯が開幕していた。
ラグビーW杯、ヒタヒタと
心待ちにしていたラグビーファンの方々には申し訳ないが、もちろん開催は知っていたのに、街灯にくくりつけられたフラッグなぞを目にしていたのに、「あ、そういえば…」とはたと気づいて、初めて実感が湧いてどことなく慌ててしまったのだ。昨日の昼、いまだ隠居にたどり着いていない我が身は、仕事の野暮用で日本橋から八重洲の地下街に入り丸ビルに向かっていた。八重洲地下街にはスポットのグッズショップができているし、丸ビルの1階ではキックオフイベントをやっていた。ラグビージャージを着用した人もたくさん見かけた。仕事を早めに切り上げ帰庵して、中継を見ようと心に決めた。
リーチ マイケルの “正義” のオーラ
2015年の9月19日、前回のW杯で日本代表は南アフリカ代表を撃破し、スポーツ史上に残る大番狂わせを演じた。あのゲーム展開からの逆襲劇には痺れた。そのW杯直後のことだったと記憶しているから、2015年の11月あたりのことだろうか。新宿の南口方面から西口方面につながる地下街で、日本代表の主将 リーチ マイケルとすれ違ったことがある。威風堂々という言葉がぴったり、ぴんと伸びた背筋にしっかり張られた厚い胸板。何も持たずにセーター姿でひとり悠然と歩いていたと記憶するのだが、とにかくその様子が神話に登場するキャラクターのようだった。チームの先頭を歩く彼の姿を中継で見て、つれあいが想い出した。「何かあったらこの人のところに集えばいいって感じの、絶対的な“正義”のオーラを出してたよね」。そうだった、本当のところどうかはそりゃあわからないけれども、まったくもってそうだった。
五郎丸だって忘れちゃいけない
クリント・イーストウッドの監督作品に、ラグビーを題材にした「インビクタス 負けざる者たち」という映画がある。https://www.cinra.net/column/201909-invictus_yzwtkcl モーガン・フリーマン演じるネルソン・マンデラ大統領と、南アフリカ ラグビー代表チームの主将であるマット・デイモンが、アパルトヘイトを乗り越えるべく自国開催のW杯制覇に向けて奮闘する感動作だ。それを2009年の冬に観ていたから、南ア代表に勝つということがどれほどのことかは理解していた。そして、あの試合でスターになったのが五郎丸 歩だった。私は、大学一年生の五郎丸のプレーを間近に観ている。2004年の11月23日のことだったろうか。毎年この祝日に、秩父宮で関東大学対抗戦の早慶戦が開催される。たまたま足を運んだこの年、彼の大活躍で早稲田が圧勝した。凄い選手が出てきたと一緒に見ていた友人たちと語り合ったものだ。
決勝戦は11月2日、ひと月半近くもやるんだね
松島幸太朗はカッコよかった。3トライだもの。代表選出に「国籍」が条件づけられていないのも、スタジアムに旭日旗がはためかないのも好ましい。ラグビー、いいじゃないか。サッカーのW杯は、どんどん「お金」まみれになって間違いなくつまらなくなるだろう。門外漢であるからラグビーのW杯がどうなのかはその実わからないが、今のところ「甘美な単語」のままで、しばらく楽しい思いができそうだ。
ああ、もうすぐ隠居の身。いざとなったらリーチのもとに。