隠居たるもの、ようやく実って肉を焼く。昔日はペンションも多かったからだろうか、何軒かぱらぱらと飲食店が並ぶエコーランドという一本道が白馬にはあって、駅の方から山を上って来たとするとその入り口あたりに、二段ほどの階段を下りて深山成吉思汗というジンギスカン屋さんがある。2024年6月30日夕刻、散種荘から歩いて10分ほどのこの店で、私たち夫婦は七輪をはさんで座っていた。「この店は初めてですか?」とにこやかに尋ねる店員に、「何度もトライしたんだけど、どうにもタイミングが合わなくてね」と、やっとのこと実現した再訪である旨を告げる。調べてみると前回の訪問は2019年2月8日、5年と5ヶ月前のことだ。これだけのブランクがあったのだ。まさか立て続けに足を運ぶことになるとは思ってもみなかった。
その日、山の家プロジェクトは本格的に動き出す
想い起こしてみると、2019年2月8日というのは重大な日だった。ひと滑り終えたあと、不動産屋さんでもある別荘地管理会社の事務所に立ち寄り、土地の売買契約を交わしたまさにその日だった。ハンコをついた高揚がなかなか収まらず、それを取り繕うように「どんな料理でもいいんですがね、どこか美味しいお店を教えてください」と担当者(今や社長である)に尋ねたのだった。彼女は電話で予約を入れて車で店まで送ってくれた。「深山成吉思汗(みやまじんぎすかん)といいましてね、駅前通りにある深山という焼肉屋が出したジンギスカン専門店で、できたばかりなんですが評判がいいんですよ」とのこと。新鮮で臭みもない肉を炭で焼く、大変に美味しくて再訪を誓った。ちらほらと舞う粉雪を見上げつつ「ふふふ、もはやこの地にゆかりのない人間というわけではないのさ」とホテルまで歩いたあの晩の夜道を想い出す。肩を並べていっしょに山に向かう面々はすでにほとんどオーストラリアの方々であったが、今日の眩暈がするほどの雑踏からはほど遠く、まだまだ牧歌的なものだった。その晩に宿泊したホテルは、今やことあるごとに温泉に入れていただくご近所さんとなっている。
深山成吉思汗再訪に至る5年5ヶ月
そうした記念日を彩った深山成吉思汗である。当然のことチャンスはうかがっていた。しかしタイミングがどうにも合わない。コロナ禍がやって来たからだ。2020年から2022年までの3年、山で鳴くのは閑古鳥ばかりだった。観光地の飲食店にも閑古鳥が群れをなす。その上に時短や休業を要請され、店はやっているんだかいないんだかわからない「開店休業」状態を長いこと余儀なくされる。なかなかコンタクトも取れない。この間に暖簾を下ろした飲食店は枚挙にいとまがない。気にかけてはいたのだが、そのうちに「継続はもう難しいのかな」と店の存在自体を忘れがちになった。
ドレッドロックのあんちゃんが炭に火を入れる
ひるがえって2024年の冬、駅前通りに買い物に出たおり何度か同様の光景を目にする。本店筋にあたる焼肉 深山の前を通りかかると、長く伸ばしたドレッドロックのあんちゃんが店から出てきて、夜に向けて七輪と炭の準備を始める。繁盛しているようだ。肉好きのオージーたちが群れをなしてやってきているのだから当然のことだ。だとすれば深山成吉思汗の方はどうなんだ?この冬、タクシーの運転手さんたちはよく「夕食難民」という言葉を使っておられた。訪れるスキー客の数に対して飲食店の数が圧倒的に足りておらず、夕食を求めて彷徨う主にインバウンドさんたちを指している。そんな状況だったから、私たちも外食をする際は必ず予約を入れてその店に直行した。ゆえにエコーランドをフラフラ歩くこともなかった。だから気づかずにいたのだ。深山成吉思汗は復活していた。
「この店は初めてですか?」
怒涛のウィンターシーズンが過ぎ、骨休めの長期休業を経て、グリーンシーズンになってようやく再訪が叶う。若いスタッフたちがキビキビと働いていて気持ちいい。東南アジアからと思しきインバウンドさんの一団が二つのテーブルを占めている(実物を見たことのない彼らは、スキーをしたいとまでは思っておらず、7月に入ったといえども山の上にまだ残っている雪、ゴンドラとリフトを乗り継いでそれに触って下りてくれば満足なのだそうだ)。「この店は初めてですか?」とにこやかに尋ねてくれた店員が、各種の肉の焼き方を丁寧に教えてくれ、場合によっては自ら手間暇かけて焼いてくれる。フランスからのマトンはさすがに冷凍されたものだが、オーストラリア産の肩ロースおよび信州産は生で仕入れているそうだ。とりわけても一頭買いで仕入れているという信州産の鮮度たるや、白馬はエコーランドに深山成吉思汗あり。
羊を育てている友だち
深山成吉思汗のすぐ上にプラ フロマジェ ウアレという馴染みの店があって、すぐ下に来たというのに顔を出さないのも不義理だから、食後の一杯をいただきに立ち寄った。私たちが散種荘をこしらえ始めた頃、ここの店主もここ白馬で羊の放牧を始めた。そして昨年あたりからようやく軌道に乗り始めたと聞いていた。「冬を過ぎて今年はいかに」などと赤ワインをいただき話していると、深山成吉思汗の店長がやって来てなにやら打ち合わせを始める。聞き耳を立ててみると「明後日の入荷」についてヒソヒソと話している。情熱を込めて羊を育ててきた彼女、とうとう出荷にまでこぎつけたのである。「ちょっと待った、そいつは黙っているわけにはいかないぜ?今日30日は日曜日、さすがに一日おきというわけにもいくまいが、明明後日7月3日の水曜日にまた席を用意してもらって、その記念すべき初出荷を味あわせていただこうじゃないか」と大見得を切り、私たちは立て続けにジンギスカンを食す羽目になる。
雨に洗われた山
下から見上げると、雨に洗われた山というのはことさらきれいに見える。雨上がりに栂池自然園まで上ってみたりする。そうやって身体を動かせば、ビールやジンギスカンは美味しいに決まっている。私たちの席はカウンターに用意されていた。様々な部位を、それぞれに適した焼き方で、店長が身を乗り出し自ら焼いてくれる。つれあいが「あれ?ほらあの子、とり克で働いていた子だよ」と気づく。たしかに冬場によく行っていた焼き鳥屋にいた子だ。あの店の大将は夏は農業に専念するので店を閉める。となると彼はこっちで働くのか。シーズンオフでも白馬に根を下ろした客とスタッフを糾合してこの店は活気づく。その一方、ここ数年の大型投資案件であった仰々しくピカピカに建造された店が、継続が厳しいのか「週末のみ営業」にひっそり移行していたりするのも見かける。私は思う、「おそらく投資家とかいう奴らは御託を並べるが何も分かっちゃいねえんだ。だったら無駄に金を使って木を切って余計なもんをこしらえてもらいたくないねえ」と。それにしても美味しい。ああ、もうすぐ隠居の身。彼女たちが山で手塩にかけて育てた羊を、彼に焼いてもらって、深山成吉思汗でありがたく食べている。