隠居たるもの、毎日難儀なことばかり。すでにつれあいはヌクヌク眠りについている。2026年1月27日午後10時45分、翌日も朝からスキー場に行くつもりだからそろそろ寝床に入ろうという頃合いだ。「さて電気を消そうか」と椅子から立つと、なにやら若者がはしゃぐ声が窓の向こう、庭の方からうっすら聞こえてくる。しかもこちらに近づいているのか、その声が少しずつ大きくなる。疑心暗鬼でロールカーテンを上げてみると、ウッドデッキが切れるほんの少し先、オージーと思しき男女3人組が、膝上までを雪に埋めながら我が庭をキャッキャと横断している。窓を開け「What are you doing!(てめえら、なにしてやがんだ!)」とどやしつけると、最後尾にいた男性が隣の貸しコテージを指し「ここに泊まっているんで」という素ぶりを見せる。「そんなこた知ったことか!Get Out!Get Out!」と畳み掛けると、頭から湯気を出している雷オヤジの剣幕に畏れをなしたのか、3人組はすごすご隣に下りていった。それでは思わず夜の外気に触れて寒さに震えたかというとそんなことはない。怒りで身体がカッカしているからか?そうでもない。つれあいが編み上げたばかりの暖かいカーディガンを羽織っているからだ。

円安と不法侵入
つれあいは闇夜に響き渡った私の怒声にも目を覚さず、朝までスヤスヤと眠っていた。さすがである。こちらはというと昂らせてしまった神経をなかなかに静めることができず、結局のところ深夜を過ぎるまでうまく寝つけなかった。なのでスキー場に出向くことは断念し、こうしてこのブログをしたためている。あらためて2階から庭を見下ろすと、雪にくっきり不法侵入の足跡が残っている。しかし咄嗟には出てこないものだ。「出ていけ」の意の「Get Out」なんぞはかろうじて口にのぼるが、あれだけ時間をかけて勉強したはずなのに「そんなこと知ったことか」となるとまるで思い浮かばない。あらためて調べてみると「そんなの関係ねえ」という意を込めて「That doesn’t matter」と言えばいいようだ。それにしてもこの冬は隣の貸しコテージからの不法侵入が度重なる。思うに要因は二つ。一つは雪の量。歴史的豪雪だった昨冬はあまりの積雪量にそれを乗り越えて隣地に侵入するなんて無謀すぎる試みだった。今冬の少ない積雪はちょっとした冒険にはうってつけなのだろう。もうひとつは円安。ご近所さんとも噂しているのだが、これまでに比べこの冬のインバウンドさん、とりわけオージーは低年齢化が進んだ上になんというかうるさくて「ガラが悪い」。近所で宿泊施設を経営するオーナーさんによると「オーストラリアからやって来た10代だけのグループ」なんてのもいたそうだ。歯止めの効かない円安と諸外国からすればまだまだ「激安」な物価、日本旅行のハードルは下がり続けているのだろう。

雷オヤジがどやしつける
10日ほど前、長らく暮らしてきた東京のマンションで私にとってこれが最後となる新旧理事懇親会に参加した。その際、後を託した若い理事たちから「白馬で使ってください」とルミエールランタンを贈られた。「燃料はセットされていないので、そちらは自前でお願いしますね😁」とのことだったから、白馬に着いてネットで探し取り寄せた。やっぱり絵になる。暖かい心持ちになるってえやつだ。そうそう、あの席で「今年も白馬はオーストラリアの人が多いんですか?」と聞かれたから、「この間、暗くなり始めた時分になにやら玄関口の方から大きな物音が聞こえてくるんで様子を見ようとドアを開けたんだ。そしたらスノーボードをしっかり両足に装着したオージーがさ、すぐ目の上、うちから落ちた屋根雪にのって、我が家の壁に手をつき身体を支えながら、低くなっている隣地に向けて滑り降りようとしていたのさ。身長2m近い仲間3人でゲラゲラ笑い合いながらね。『てめえら、なにしてやがんだ!そこからこっちは俺のテリトリーだ!Get Out!』とどやしつけてやった。『Sorry,Sorry』って謝ってたな。まあこんな感じさ」と応えた。なんとも心持ちが寒くなる話だ。すると若い理事たちは「そいつら、何年か経って酒を飲む時なんかに『そういえばみんなで白馬に行ったあん時さ、着いた日にはしゃいで調子に乗っていたら隣から出てきたオヤジにすごく怒られたじゃん?あの雷オヤジ、ちっちゃくてなに言ってるかよくわかんなかったけど怖かったよなぁ』なんて思い出してゲラゲラ笑い合いますよ」とまた暖かい心持ちにしてくれた。

理不尽な軋轢
「旅の恥はかき捨てた上で日頃のストレスを吐き捨てるために彼らは来ているんだろうけれども、静かに暮らしたいからとここに居を構えた私たち近所の者からすると本当にいい迷惑でしかない。貸しコテージのオーナーやそれを管理しているあなたたちからすれば飯のタネかもしれないが、そのために発生する軋轢を一銭も入らないそんな私たちにばかり押しつけるのはあまりにも理不尽でフェアじゃない。だからなにがしかの金をよこせと言っているんじゃないぞ。あなたに謝って欲しいわけでもない。あなたたちが客への注意喚起をより徹底した上で、地境が明確に意識されるための植樹をするなど、横着することなく根本的な問題解決に向け取り組むよう、強くそして必ず、オーナーに伝えてくれたまえ」寝不足でスキー場に足を運ばなかったからといってそのままぼうっと過ごしていたのでは一夜をかけて沈殿したモヤモヤを晴らすことはできない。朝になって私は一週間ほど前にも呼び出していた貸しコテージの管理会社に電話をかけた。「あの時にあなたたちが施した対策では不十分だった」ことを諭し「こちとら大人しく我慢するようなお兄ィさんとお兄ィさんの出来がすこしばかり違うんだいっ」と啖呵を切りつつ。そのときも私はつれあいが編み上げたばかりの暖かいカーディガンを羽織っていたのだ。

つれあい手編みのカーディガン
ここ数年というもの、つれあいの手慰みは編み物で、私が羽織るこのカーディガンが彼女の最新作だ。寒冷地で日常を過ごすにあたって暖かいカーディガンはとても重宝する。かつてバーニーズニューヨークで買い求め、10年以上にわたって長らく愛用してきたお気に入りがあったのだが、冬ともなれば日々に袖を通すのでさすがにくたびれた。間伸びしたあちこちを繕ってもらい、薄くなった肘には皮のアテを施してもらい、なんとか今日まで着続けた。しかしそれもほぼ限界に近づいており、その後釜として9ヶ月の歳月をかけてブルーとグレーの毛糸をより混ぜて編んでくれたのだ。なんとも色がいい。それに軽くて暖かい。あらかたの電話を終え気が晴れた後ともなればなおさら軽い。

日に日に世界が悪くなる
世の中の一部で「編み物ブーム」らしきものがあるかのように喧伝されているが、ほとんどの方はマスコットのようなもので満足しているのか、つれあいが毛糸を買い求めるショップの店主は「大物をきっちり完成させるあなたのような人はまずいない」と驚くんだそうだ。上の写真は私のカーディガンの前に挑んだ大作、彼女自身のセーターだ。上達の余地はまだまだ果てしなくあるし、なによりも目の前の作業に没入できるのがいいのだという。朝ドラ「ばけばけ」の主題歌を「日に日に世界は悪くなる〜♪」と口ずさみ「まったくその通りだよなぁ」なんてふと思いながら、編み方を調べつつ生き物から分けてもらった毛を自分の手を動かし形にしていると、その時だけは日に日に悪くなる世界から隔たり離れることができるのだそうだ。

白馬で羊飼いをしている友だちがいる。私のカーディガンを編み終えたつれあいは、その友だちが育てた羊から刈られた毛糸で新作を編み始めた。何ができあがるのかはまだ明かされていない。そういえば、この冬に隣の貸しコテージに宿泊するのはオージーばかりだ。昨冬まではチャイニーズと半々ってところだったのに。渡航自粛となったからだろうか。それともとめどない円安のおり(せこいこと今は総選挙に向けあからさまに「円高」にとりつくろうよう誘導していると思われるが)、実際にスキー場ではよく見かけるし、もっと高価なところにシフトして宿泊するようになったのか。どちらにしろ宿に帰ってくれば穏やかに室内で過ごしてくれた彼らがなんとも恋しい。ああ、もうすぐ隠居の身。明日こそつれあいといっしょにスキー場に出かけよう。