隠居たるもの、どうにしたって楽しく生きる。久しぶりに池波正太郎を見かけた。浅草に生まれ育ち、「鬼平犯科帳」を著し、1990年に67歳で没した粋な人だった。いつもと変わらずEテレの日曜美術館で始まる日曜の遅い朝、アーカイブを編集した1981年の画面に現れ、ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」についてひとくさり語っていた。この絵を展示するオルセー美術館、私がパリを訪れた時は「印象派展」といった類の特別展示をしていて、それはそれはものすごい行列で並ぶことすら諦めたことを想い出す。池波正太郎は、ゴッホやドラクロワが好きだった若いころとうって変わり、歳を重ねてからはルノワールを好ましく思うようになったという。なぜなら、ルノワールの絵が「楽しそう」だからだそうだ。

池波正太郎の言い分

「そんなに先が長いわけじゃないから、毎日が楽しくないといやなんだ。仕事にまつわる苦しみは別だけどね。」聞き流した記憶から書き起こしているから不確かではあるかもしれないが、池波正太郎はそのように語った。「1年365日で楽しくないのは3日くらいだよ」とも。思慮することもなく「へえ、一年のうちに楽しくない日が3日もあるんだ…」などと僭越に感受したが、つれあいとつまらない諍いを起こしていたたまれない気まずさのうちに過ごす日もたまにはあるから、確かにそんなものかもしれないと考え直す。収録された1981年当時、池波正太郎は58歳で今の私とさして変わらない。しかし、時代の風潮を差し引いたとしても、ロックTシャツと短パンでブラブラしているこちとらと違って、大御所は流石にドシッと大人っぽい。だとしても、思うことは等しく「もう楽しくないといや」なのである。私がこの厳しい「隠居」修行に身を置くのも、出発点はまさにそこにある。

公演中止、5回におよぶ払い戻し

庵にひとつだけ残っていたチケットが、またしても公演中止にともなう払戻しとなった。渋谷CLUB QUATTROでCorneliusとLOSALIOSが対バンするという奇跡のようなこのライブ、当初3月24日開催予定だったところを9月14日に延期したものの、東京におけるこのところの新型コロナウィルス新規感染者激増を受けてとうとう中止とあいなった。楽しみにしていたけれどもどうにも致し方ない。実はこれだけではないのだ。今年はどういうわけか「これは!」という公演が多く、せっせとチケットを手に入れていた。3月18日お台場はZepp DiverCity TokyoでTHE NATIONAL、5月4日に日比谷野外音楽堂「NUMBER GIRL/ZAZEN BOYS」、5月21日豊洲PitのMGMT、6月1日深川江戸資料館小劇場で「春風亭一之輔/ロケット団」、そしてこれ…。1月26日お台場のZepp TOKYOで、米国インディーの牙城 Bon Iverの素晴らしいステージを観たのが今のところの最後だ。

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払戻しとなり予期せずお小遣いは増えたけれど、「STAY HOME」の日常でさして使うところもなし…。じゃあ「楽しくない」のかというと、そんなこともない。この際だからと岩波書店のBOB DYLANの詩集新訳2分冊を買込んで、可能な日は手持ちや配信で1日に1枚、デビュー時から順繰りにアルバムを聴き読み合わせながら、「なるほど、プロテスタントフォークに決別してからアレン・ギンズバーグの影響を受けるのはこの頃だな」などと彼の詩作の変遷をひとり楽しく悦に入って感じていたりするのである。今だからこそできることだ。もちろん、この分厚い書籍の値段はつれあいには伏せているが…。もう若造じゃないんだから、押してダメなら引いてみればいい。もはや体力を持て余しているわけでもあるまいに、“乙で楽しい” 世界は気づくと座ったままのそこいら辺に転がっていたりするものだ。

楽しめないことはこの期におよんでしたくない

下の図は、観光庁が公開した「新しい旅のエチケット」である。「あれって楽しいんだろうかね?」と聞かれたからどんなだろうと気になり、自民党の二階俊博幹事長が会長を務めておられる一般社団法人 全国旅行業協会のホームページを訪れて見つけた。

マスクだけならまだしも、旅先で神経質に手を洗う場所を探したり体温計まで持参してことあるごとに検温したり、移動中の車中や食事処では人目をはばかった上に時たまヒソヒソ話しかできなかったり…、それに「今はやめて、後からゆっくり」というけれど、そもそも混んじゃいけないんじゃなかろうか?どうだろうねえ…、ううん…、ひとり旅だったらいいかもね…。それにしても、これを作るよう平気で指示できる人たちって、「楽しい」こととはどんなことかを知らないんじゃないだろうかね…。

マネー、モーネー

もう一枚、今朝の日曜美術館で紹介されていた絵画がある。やはりオルセー美術館収蔵、マネの「草上の朝食」だ。この絵が近代絵画、ひいては現代美術の出発点となったことは今となったら理解できる。経験を積み重ねて「楽しい」を感じる領域が広がっているからだ。初めて触れた高校生の時には何もわかっていなかった。その時の美術史の先生を想い出す。先生は日本画の大家 奥村土牛のご子息だった。先生は授業でこうおっしゃった。「似たような名前のマネとモネなんだが、そのどちらが先なのかは、美術の歴史にはとても重要なことだ。マネが先なんだが、こうして憶えなさい。マネー、モーネー(マネーもうねえ)」…。先生、憶えておいででしょうか。私たちの同級にも益子焼の人間国宝の孫がいたことを。こいつが、昨年の忘年会で血筋を誇ってこんなことを言いやがったんですよ。

「ふん、悔しかったらハゲてみろ!」

答えてやりました。「悔しくねえよ」って。愚かな教え子たちをお許しください。ああ、もうすぐ隠居の身。「欲」ではなくて「楽」に添う。

*昨年暮れ、写真にあるコートルード美術館展を東京都美術館で観覧した。お目当てはマネ最晩年の傑作「フォリー=ベルジェールのバー」。写真を隅までよく見ると、この展示は、どうやら三浦春馬さんの音声ガイドを売りにしていたようだ。ご冥福を祈るばかり。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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