隠居たるもの、求めに応じてさらりと描く一枚の絵。仕事を辞したのちに絵画を始める方も多いと聞く。しかしこの際、本格的かどうかは問題ではないのだ。嗜みとして、肩の力を抜いたまま、そよ風が抜けるがごとく描けるかどうかなのだ。その点、私には得意技がある。ニャロメを描く、ここにおいて名人の域に達している。
テストデータはニャロメ
つれあいが仕事場のプリンター複合機を買い替え、FAXが繋がっているかを確かめたいと電話をしてきた。まだ隠居にたどり着いていない我が身に、勤め先から「なんかFAXを送ってくれろ」と言う。得意技の出番である。周りの目を盗んで昭和を代表する野良猫(「もーれつア太郎」の「ニャロメにも誕生日があった」の回によれば1941年7月17日生まれ)をささっと描き、ご丁寧に送付状を付けて送る。名人の技というものは人を感嘆させるものだ。回線の向こうで、つれあいはいたく感激していた。
「先生の直筆ですか?」
どれだけ感激したかというと、額装するほどに感激したのだ。ちょっと気取って蝶ネクタイをしているかのように細工を施して。だからといって、不相応にありがたがったわけではなく、茶目っ気も忘れていない。それをトイレに掛けた。来客があった後日、「あれは赤塚不二夫先生の直筆ですか?どこか骨董市とかで見つけたのですか?」と尋ねられたという。タネを明かすと、私のことも知るその来客は驚嘆しきりだったそうだ。つまり、それほどまでの名人芸なのだ。
free note
散歩中、浜町でPAPIER TIGREという心踊る文具屋さんにふらりと入ったときのこと。かわいいイラストが表紙になった「free note」というモノを見つけた。1歳になった姪孫(てっそん=姪の娘)が思い浮かび、何ものかを描くことに喜びを見出す頃合いだろうとプレゼントに購入した。手渡すやいなや、彼女は大変に喜び、早速なにかを描き始めた。もう少し成長すると、これとペンを持ってきて「なにか描いてちょうだい」とせがむだろう。私が描くのはもちろんニャロメだ。姪孫はニャロメに目を輝かせてくれるだろうか。それともあまりの古さに興味を示さないだろうか。姪よ、我が子をきちんと育めよ。意に沿わない絵だったとしても「受け取らない」なんて言わせたり、プイッとした態度をとらせたりしてはいけない。あげくに「受け取っていないのだから、“老後に2000万が必要”という報告書はそもそも存在しない」などと平然と口にできる、あんな恥ずかしい大人の真似をさせてはならない。
ああ、もうすぐ隠居の身。日々是修行。技量を磨いていく所存だ。