隠居たるもの、長蛇の列に度肝を抜かす。ようやくのこと予約が取れた馴染みの蕎麦膳で一杯やった帰り道、「そうそう、昨日の朝に見た八方バスターミナルの行列がさ、とんでもなくとぐろを巻いていたんで驚いた」と私が話しかけると、「ええ、あの人たち、SNOW MACHINEに向けてはまちまちに来るんですけどね、終わったとなるといっせいに帰るんですよ」、タクシーの運転手はぼそっとそう答えた。その光景を目にしたのは2025年3月9日午前9時45分、栂池高原スキー場行きシャトルバスの車中からだった。私たち夫婦が乗るこのバスは途中の八方バスターミナルにも停車する。ここで発着する長野駅と白馬を結ぶ高速バス、この冬いつだってインバウンドさんたちでごった返している。なんの気なし「はてさて今日はいかばかりか」と興味本位で窓の外に目をやりおののいた。向かいの乗車ポイントを起点に、ターミナルの外郭に沿って、延々ぐるりうねるように、「とぐろ」が巻かれていたのである。

「あの人たち」とはもちろんオーストラリアの方々のことである
オーストラリアからおびただしい数のお客さんが来白することについて、この省察においてもたびたび言及している。新型コロナ禍明けの昨シーズンはとんでもなかったし、今シーズンに至ってはさらにすさまじいことになるだろうと予想はしていたものの、まさしくその通りでなんというか「呆然」とすることも多かった。それにしたってだ、スーツケースやらボードバックやらそれぞれに大きな荷物を抱え、指定席でもなければ予約制でもない10時10分発のバスに乗るべく並んでいる彼ら、500人、いやもっといるぞ?身体も大きいのにはたして全員乗れるのか?新型コロナ禍が明けてからというもの、高速バスが2台や3台連なるのは当たり前だったが、到底それでも足りないだろう。いったい何台運行すれば間に合うんだ?これからもっと集まっても来るだろう。乗り切れなかったら10時40分発とか11時10分発、いやその後のバスに乗れるまでそのまま並び続けなければいけないのか?かくいう私が乗る栂池高原スキー場行きシャトルバスも、補助席含めまだ少し白馬に残るオージーでぎゅうぎゅうの満席、カメラを取り出し前代未聞の長蛇の列を撮影する余裕はなかった。

SNOW MACHINE、祭りのあと
実のところ、私たち夫婦は東京と白馬を往来するに際して、緊急事態が発生したときを除き“新幹線と高速バス”という経路を今は使わない。もっとも速くて身体も楽なのになぜか。わかりやすく単純な話で料金が高いのだ。とりわけ高速バスはインバウンドさんからの需要を背景にこの冬シーズン突入に際しまた値上げされ、片道3,800円となった(新型コロナ禍前、つまり5年ほど前までは1,800円だったのだ!)。よって大した稼ぎもない初老の身、時間だけは融通がつくからもっぱら中央線特急で移動する。それゆえ昨今の「高速バス事情」については精通していないとはいうものの、ここまでの行列はこれまでに見たことがない。蕎麦膳帰りのタクシーの運転手は、「ええ、あの人たち、SNOW MACHINEに向けてはまちまちに来るんですけどね、終わったとなるといっせいに帰りますから」と言った。それではSNOW MACHINEとはなにか。

SNOW MACHINEとは、オーストラリアで人気の WINE MACHINE の姉妹フェスだそうで、オーストラリアを拠点とする Falcona と 白馬のHakuba.com が共同で主催する、ウィンタースポーツをからめた4日間に及ぶ音楽フェスティバルのことだ。新型コロナ禍明けの昨年から規模も広げて大々的に再開されている。主催者の片割れであるHakuba.comだって、オーストラリア人がオーストラリア人向けに白馬のバカンスをコーディネートする今どきの旅行代理店みたいなもんだから、これは彼らが企画し運営する、彼らのためのシーズン打ち上げともいうべきイベント、まさしくそういうことなのだ。そもそも日本国内からの客は眼中にないので、白馬で開催されるにも関わらず国内ではろくすっぽアナウンスもされていない。そのSNOW MACHINE2025が終わったのだ。つまり、祭りのあとなのである。

その影響は白馬の隅々にまで及ぶ。私たち夫婦が乗っていた栂池高原スキー場行きのシャトルバスは、散種荘にほど近いホテルを始発点として9時30分に出発する。そのホテルの前でいかにもSNOW MACHINE帰りと思しき3人組が大きなバックを放り出したままたたずんでいて、彼らはバスが到着するなり大きな荷物を抱えて乗り込もうとした。このシャトルバスは来場するお客さんに便宜を図るためスキー場がビジネスとして運行しているマイクロバスだ。だから乗った以上は栂池での降車しか認められていない。彼らはそれを理解しておらず、大きな荷物ごと「バスターミナルに行きたいんだけど、停まるよね?」と言う。運転手さんと私が二人がかりでたどたどしい英語でなんとかしぶしぶ納得させ乗車を諦めさせたのだが、彼らもあの後、どうにかしてあのとぐろの尾っぽに連なったことと思う。

おそらく3ヶ月ぶりの蕎麦膳で思うこと
居酒屋メニューも豊富で馴染みの蕎麦膳、冬になるとインバウンドさんが殺到し簡単に予約を取ることができない。しかし私はこういうことをもってして「オーバーツーリズム」と言いたいわけではない。SNOW MACHINEもしかり、もう慣れてやり過ごすなりなんなり対処の仕方も心得た。しかし、「なるほど」と納得した彼のぼやきのポイントは少し違うところにある。彼とは誰か。この冬に頻繁に利用したデマンドタクシーで顔見知りとなったドライバーのことだ(この人は先日の省察で触れた「絵に描いたようなネトウヨ陰謀論レイシスト」とはもちろん別人)。

デマンドタクシーのドライバーのぼやき
「もともとこのデマンドはさ、冬になるとインバウンド客が押し寄せてタクシーがまるで使えなくなるんでさ、年寄りたちが病院や買い物に行く足を確保できなくて困っている、ってんで村が始めたんだ。だから私も『年寄りの役に立てるなら』と応募したんだよ(彼は引退した元バスドライバーのようなのだ)。なのに頭の悪いAI使ってスマホのソフトで予約だなんだってやってんだよ?年寄りがスマホを使いこなせるわけないじゃないか!だから年寄りは冬の間は外に出ない、特に土日はね。だって土日はかろうじて電話受付をしてくれる村役場が休みなんだもの。それでもってルールがよくわかってないインバウンド客ばっかりがこのデマンドを使おうとするんだ(乗合タクシーなのでスキーやスノーボード、大きなスーツケースなどは持ち込みが禁止されている)。なにもルールをわかってない彼らを責めているんじゃない、そのルールが行き渡るようわかりやすく告知しない村が悪いんだ。そもそも主には高齢者のためなんだろ?もう忙しいばっかりでさ、私はもう来年はこの仕事に応募しないよ。」

はたしてオーバーツーリズムか否か
まだ料金も安く客席もガラガラだったころ、私たち夫婦はよく長野駅から高速バスに乗ったものだ。夕方の便を選ぶと必ず乗車していた二人の高校生がいた。白馬から県庁所在地にある優秀な高校に通う高校生なんだろう。あの子たちは常にごった返しここまで料金が高くなったバスで今も通学しているのだろうか。「足」を確保できない高齢者しかり、生活者にあからさまな不都合が生じている場面があるのは事実だ。年間6,000万人のインバウンド客の誘致をこの国は目指しているそうだが、数値目標ばかりをふりかざすのはいかがなものか。肝心なバランスに留意するよう白馬村にも望みたい。

3月13日、めっきりオージーが減ったガラガラの47スキー場で滑った。すっかり暖かくなったから、昼食はふもとの屋外店で天ぷらうどんを食す。隣のテーブルでラーメンをもぐもぐやっていたオージーカップル、食べ終えたのに器をテーブルに残したまま立ち去ってしまった。私は自分たちのついでに彼らの器も片づけ返却口に持っていこうとする。はにかむような笑みを浮かべたお店のねえさんが「あ、いいんですよ」と恐縮する。車 寅次郎ばりに「いいってことよ。文化の違いってぇやつだもんな」と私は返す。ああ、もうすぐ隠居の身。雪解けは始まっている。