隠居たるもの、昼下がりに心地よくまどろむ。「夏に白馬にいるときはなにをしているの?」とはよく訊かれる質問である。うまく答えることができない。冬であればことは簡単、天候が整えば日々にスノーボードをしているからだ。はてさて、いったい私は夏に白馬でなにをしているのか…。東京の酷暑を逃れてこちらで過ごし始め、今日2022年8月8日でそろそろ3週間ともなる。そこではたと気がついた。そう、私はとりたてて「なにか」しているわけではない。そもそも東京で過ごしているときだって同じくそうだ。つまり、私の暮らしぶりは根本的になんら変わらないのである。

近所で見かけた気合の入った軽トラック

「週末でDABADA」

私たち酒飲み夫婦は、週に少なくとも一度、とりわけても区切りの週末に「週末でDABADA」と称して外食をしていた。沢田研二1980年のヒット曲「酒場でDABADA」をもじった、私たちだけに通じる符牒であった。テレビを置いていない白馬である、曜日の感覚が希薄になって「週末」かどうかなんて実のところあやふやで意識することもまれなのだけれども、それはそれとしてやっぱり週に一度は外に飲みに行く。冷蔵庫にある食材の賞味期限を吟味した結果、私たちは「今週は8月7日の夜を外食に」と画策した。ならば日帰り温泉「八方の湯」でひとっ風呂浴びて、酒が飲める馴染みの蕎麦屋まで夕涼みがてら歩いて、美味しいビールをキュッとやろうなどと目論見を広げる。気がつけばその日は日曜日、これぞ「週末でDABADA」である。

地獄に仏、その店の名はSANFERMO

しかし私たちは初歩的なミステークを犯した。午後6時過ぎ、これ以上ない爽やかな心持ちで蕎麦屋に到着したところ、満席だったのである。順番を待っている方々だっていらっしゃる。私たちはというと、たかをくくって予約などしていない。「みなさんお酒を飲みながらお食事されているので、1時間はお待ちいただくことと思います」夏の観光シーズン、しかも日曜日、さもありなん、甘かった…。ならばダメもとと馴染みの白馬飯店に電話もしてみるが、美味しいところはどこもてんやわんやなのか、電話にすら出てくれない。なにぶんに山の中、飲食店が潤沢にあるわけでもない、このままでは「夕食難民」になってしまう…。そのネーミングセンスについて常日頃こき下ろしている馬鹿げた名前の店の前を通りかかるころ、「背に腹はかえられぬ。もしかしたら私たちが間違っていて、実はここは美味しいのかもしれんぞ」とお互いを励まし合い、勇気を出して店に足を踏み入れるまでに私たちは追い込まれていた。

しかして実態は「あ、しまった、これはない…」、やはり「名は体を表す」のである。冷凍されたものを温めたようなものばかりが品書きに並ぶ店内、残念なことにたくさん空席もある。致し方なく「2人なんですけど…」とつれあいが声をかける。するとどうだ、邪悪な店主は「いっぱいなんだよね。次は予約してきてくれる?」と私たちを面倒くさそうに追い払おうとする。企んでいるようなお金を落としそうにない、初老にさしかかったそんなふたり組は彼にとってお呼びでないのだ。仮にコロナ対策で満席にしないよう心がけているのだとしても、私たちとすれ違うように店を出た、犬を連れたカップルのテーブルを急いで片づければ問題なく席は作れたはず。「二度と来るか、ボケ!ああ、気の迷いだった。ああ、恐ろしい。入れてくれなくて本当によかった。」と夫婦は憤りながらも胸をなでおろす。しかしどうしたものか、トボトボ歩くうち、私がはたと思いつく。「あのできたばかりのピザ屋はどうだ?」電話してみると、テラス席でよければ用意できるとのこと。地獄に仏、その店の名はSANFERMO PIZZA ET BBQ(サンフェルモ ピッツァ エト バーベキュー)という。

https://www.syokuraku-web.com/bar-restaurant/81229/

まずローストビーフのシーザーサラダとクラフトビール

黒毛和牛の精肉卸で有名なヤザワミートというお肉屋さんが経営しているのだそうだ。ならば自慢の肉をいただいてみようかとメニューを手にとるものの、いかんせん高い。道路をはさんだ真向かいで建築中のラグジュアリーホテル客をあてこんでのことと察しはつくが、なにせこちとら風呂上がりのビールにありつくのが主眼、なんとかローストビーフのシーザーサラダという比較的に廉価なサイドメニューを見つけ出し、地域のクラフトビールとともに注文する。さすがはお肉屋さん、これが美味しいのである。

イカ墨のペスカトーレとギアラのトマト煮込み

続いてギアラのトマト煮込み、ピザはイカ墨のペスカトーレ、そして白のグラスワインを注文する。これまた本寸法でどれも美味しい。夜食にしようとマルゲリータをもう一枚テイクアウトで追加注文、それを手に下げ私たちは歩いて帰る。夜道はひんやりと心地がいいし、タクシーを呼ぶほどの距離ではない。夏休みの子どもたちを収容したペンションから歓声が漏れ聞こえてくる。庭で花火をしている家族がある。怪我の功名、素敵な夏の夜だ。

とりたてて「なにか」しているわけではない

東京にいても似たようなことをする。大きな湯船につかるのが好きなもんで銭湯「竹の湯」でひとっ風呂浴び、近場の炭焼き「うきち」でビールをひっかけ、いい心持ちになって歩いて帰る。確かにそれぞれ移動する時間は大幅に違う。深川の庵から竹の湯までは歩いて3分、そこからうきちは歩いて1分、帰るのに要する時間はせいぜい5分。それが散種荘から八方の湯までは35分、そこからSANFERMOは歩いて20分、上って帰るのに要する時間はなんとか15分。しかしそんな日は習慣であるウォーキングをこの移動に充てている。だから結局は同じことだ。

どこにいたって朝起きて洗濯して掃除するのも同じこと。ジムに通う代わりにここでは自転車でヒルクライム。時間が空けば本を読む。何日かごとにブログを著す。たまに神保町に本を買いに行くがごとく天気を考慮しつつ軽く山に登る。暗くなるのを待ってから酒も飲む。そう、私の暮らしぶりはなにひとつ変わらない。「夏に白馬にいるときはなにをするの?」と質す人にとって、東京は「仕事をする」場所で白馬は「遊ぶ」場所(彼らが考えるこの「仕事」の中にはおそらく家事は含まれていない)、さらに加えて「来る日も来る日も仕事もせずに遊んでいる」ことなど想像もできない。正確には「夏に白馬で来る日も来る日もどうやってなにをして遊んでるの?」と問うているに違いない。だとしたら私が答えに窮するのもむべなるかな…。

暮らしぶりは変わらねど、散種荘でこの夏エアコンのスイッチを入れたことは一度もないし、東京と違って神経にさわる人工的な音はここにない。今日は開けた窓を通して、人がハンマーで柱をたたいている響きが、親方の声まじりで遠くから聞こえてくる。ああ、もうすぐ隠居の身。だから昼寝がとてつもなく気持ちいい。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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