隠居たるもの、安穏と不穏の狭間を行きつ戻りつ。この3週間というもの、東京の深川に腰を落ち着けている。10月も後半だというのに半ズボンでいられるような日も多く、秋という実感がいっこうに湧いてこない。やっとのこと香り出した金木犀と、気がつけば鶴瓶落としになり始めている秋の陽をたよりになんとか季節感の調整を図り、新しいソファに身体を馴染ませつつ、今年中に片づけなければならないちょっとした「一身上のプロジェクト」を少しずつ進めている今日この頃である。しかし10月といえば「一年のうち最も過ごしやすい月」のはずではあるから、メロン坊やが通う保育園の運動会といったような行事もあって、どんな装いにしようか天気予報を睨んでその都度いちいち頭を悩ませている。
真打登場、これぞ本寸法の舌なめずり
2024年10月12日、昨年に引き続きメロン坊やの運動会は晴天に恵まれた。そもそもからして我が子の出番以外に興味を維持するのが難しい行事、そこにもってきてナショナルリーグチャンピオンシップ進出を決するドジャース対パドレスが同時間帯で行われている。大谷翔平とダルビッシュ有が対決する大一番だ。隙を見てはスマホにかじりつく親御さんたちがあちらこちらに散見され、その人たちの囁き声で接戦ながらドジャース優勢の試合経過を知る。朝から晩まで毎日ニュースでしつこく大谷翔平を見させられることを我が家では「大谷ハラスメント」と揶揄してはいるのだが、この日ばかりは致し方あるまいと微苦笑が浮かぶ。
そんなことはお構いなしに、秋晴れというにはいささか強い陽差しの中、子どもたちはそれぞれにがんばった。一年を経たメロン坊やもメロン坊やなりの成長を見せた。とはいえ大叔父がもっともほくそ笑んだのは、運動会後に皆で中華料理屋で食事をしたその時だ。所望したラーメンがテーブルに届き満面の笑みを浮かべたメロン坊や、父親が冷ましてくれるのを待ちながら「これぞ見本」と呼ぶべきあっぱれな舌なめずりを披露する。スーパースターの一挙手一投足から目を離してはいけない、見事なホームランをかっ飛ばしてくれた。
伊豆の城ヶ崎海岸で「偲ぶ会」
私のことをとても可愛がってくださった大学の先輩がいらした。20歳年上の先輩はご存命であれば今年でちょうど80歳、72歳の秋にガンで亡くなられてからもう8年になる。ちょうど今の私の年恰好のとき、先輩は終の住処として伊豆の城ヶ崎海岸に家を購入された。先輩が亡くなってしばらく経ってから、奥様は一人で住むには広すぎるこの家を民泊ホテルにして観光客に貸し出すようになった。しかし維持管理するのに経費がかかりすぎるので、思い切って売却することにしたのだそうだ。
ここでガーデンパーティーを開くのもこれが最後、奥様は「パーティー好きで生きていたらこの10月で80歳になるはずだった故人を偲ぶ会」を催された。お声がけいただき、メロン坊やの運動会の2日後、お二方の先輩と連れ立って新型コロナ禍以来5年ぶり、東海道線と伊豆急行線に乗って日帰りで出かけてきた。伊豆在住の方々に混じり、何度も遊びに訪れた庭で午後2時半から飲み始める。海岸に向かってゆっくり柔らかく空は暮れなずみ、とっぷりと日が暮れる直前にさあっと風が動いたかと思ったら、木の間に浮かぶ雲のはしから月がポッカリと顔を出した。酔っぱらいたちに囲まれているからそんなはずはないんだけれど、なぜか風の音しか耳に入らなくなって穏やかな心持ちになった。なにぶん「偲ぶ会」のなせるわざだ。
魚屋に向かう道すがら
伊豆から帰った3日後のこと。馴染みの魚屋 安彦水産に向かう道すがら、なにやらでっかいのが自転車にまたがって止まっている。お相撲さんが玄関先に座っている小さなおばあちゃんと世間話をしていた。私の背後の公園で幼稚園児たちが精一杯の声を張り上げ遊び興じていて、どんな話をしているのかは聞こえてこないが、深川らしいいい光景だ。選挙期間に入ったというのにここ東京15区は静かなもんだ。柿沢未途辞職に伴う前回4月の補欠選挙、いかれポンチが跋扈したあの魑魅魍魎大決戦はとにかくひどかった。しかし「さあヒラメや鳥貝そしてタコブツを肴に晩酌を始めよう」、そんなフワフワした気分は流していたTVニュースを見るにつけ次第に怪しくなる。世界はとっくのとうに「安穏」ではないからだ。
「ガザ日記」:https://chiheisha.co.jp/2024/05/01/9784911256060/
もし私が死なねばならぬなら 君は生きなければならない 私のことを語るためだ
パレスチナの小説家 アーティフ・アブー・サイフが記した「ガザ日記」という本を読んでいる。その序文に、ガザ出身の詩人リファアト・アル=アルイールの「もし私が死なねばならぬなら」という詩が掲載されている(上の小見出しに冒頭3行を引用)。昨年の12月7日、彼は兄弟姉妹や4人の子どももろとも殺された。彼らが住むアパートがイスラエルに空爆されたからだ。死の直前となる11月に公開されたこの詩は彼の遺言となり瞬く間に世界中に拡散された。アーティフ・アブー・サイフはイスラエルが侵攻してから85日間ガザにとどまり、この克明な日記を記した。毎日のように親戚や友だちがどこかで殺され、その人たちの生死を確かめ遺体を収容するために瓦礫を掘り起こし、助け出されたものの家族と右腕と両足を失い絶望する美術大学を卒業したばかりの姪を見舞う。幸い彼はエジプトに脱出することができ、この本が世界中で緊急出版されることになる。収益は全額、パレスチナ現地で支援に取り組む団体に寄付されるそうだ。あの先輩がご存命であれば、この本についてともに語り合ったに違いない。
ダイナミックプライシングってなんだ?
ハン・ガンにノーベル文学賞が授与されてびっくりしたが、それ以上に需要と供給を計算して柔軟に価格決定をするというダイナミックプライシングってやつに驚いた。手元にない「すべての、白いものたちの」を読んでみたくてAmazonを検索すると、もともと数を刷っていないから在庫は案の定あっという間に売り切れ。するとAmazonのAIは、定価953円の河出文庫の古本に3,551円の値をつけ「どうです?」と勧めてくる。すぐに読まなければならない研究者の需要とかがあるからそんな値決めになるのだろうが、「なんたる強欲!」といささかゲンナリする。ハン・ガンは、権力を簒奪しようとする者によるジェノサイドで命を落とした人たちと、生き残り命を長らえた人たちの魂の交歓をテーマにした詩的な作品が評価されて受賞した。日本被団協に平和賞が授与されたことを合わせて考えるとき、現下の世界情勢に対するノーベル財団のメッセージは明らかだ。
張り子の安穏な暮らし
ジェノサイドの第一歩はレイシズムと強欲と狂信によって踏み出される。たとえば「『裏金』は政治資金収支報告書に記載すればよかっただけで『その程度』のことだ」と平然と言う人がいるが、この国では「その程度」のルールすら守れない、「その程度」の倫理観しか持たない者が政治家として権力を握ってきた。差別意識を明確に持つハギューダという人を例にとると、彼は自身の強欲を満たすために狂信的なカルト教団までを後ろ盾にしていたのだ(まさに3拍子!)。たとえ張り子であったとしても安穏な暮らしを送りたい私は、選挙を前にしてあれこれそんなことを考る。ああ、もうすぐ隠居の身。あなたのことを語るために、私は生きなければならない。