隠居たるもの、どこか9月は忙しない。秋彼岸の真っ最中である一昨日、両親の墓参に出向いた。母が逝った9年前の暮れに、歩いて13分くらいのあたりに新しく整理された墓所だ。東京23区内といえども、東日本大震災の傷跡は各方面にいまだ生々しく、再び募集がかけられた墓所の価格もそれほど高くはなかった。暮らす街が寺町であるからこそ可能なことであるし、その浄苑を管理するお寺さんのご住職がたまたま中学高校の先輩であったことも幸運なことであった。いつものように自宅から線香を持って、散歩がてらつれあいとフラリと出向く。墓前で「山の家『散種荘』をご覧になりたかったら遊びにおいでください。だけど急に声をかけないでね、驚いちゃうから」などと両親に声をかけ夫婦でケラケラと笑う。帰りに深川江戸資料館通りにある器の「青葉堂」(http://www.aoba-do.com/)に立ち寄り、山の家「散種荘」用のお椀を買い求める。帰庵して昼食をとり、眠くなったからそのまま昼寝する。もうすっかり秋だ。そうこうしていると、宇都宮の実家に帰っている姪から連絡があった。9月15日に産んだ長男の名前を決めたという。

「BORN REBORN ONE LOOP」と著したのは1年前

昨年の9月22日、私がいまメロン坊やと呼ぶ、9月10日に産まれた姪孫(てっそん)の誕生祝いと、21日が誕生日のお義姉さんの還暦祝いを兼ねた祝宴があった。その顛末については、その2日後の9月24日に「BORN REBORN ONE LOOP」(https://inkyo-soon.com/born-reborn-one-loop/)にて省察した。あれから1年、つい10日ほど前の今年9月12日に、長女の姪にお呼ばれしたメロン坊や1歳のお誕生日会を、江東区で催したその矢先である。新型コロナ禍、直前に移動したのでは診察・応対してもらえないからと、5月には早々と出産のため実家に帰っていた次女の姪、今月に産む予定なのはもちろん承知していて「もうそろそろかい?」などとこちらでも呑気に言っていたのだ。それがだ、「もうそろそろ」との予告がされることもなく、玉のような男の子が15日にあっさりするりとこの世に現れた。こうしたときに「そいつはでかした!」と親族一同がおっとり刀で馳せ参じるところ、それがいまだどうにも憚(はばか)られる昨今である。なんとももどかしいには違いないが、送られてきた写真や動画を何度も眺めては、慶事に想いを寄せている。

セプテンバー、そして9月は

いつものように洗濯を終えて、それらを洗濯機から取り出そうとした今朝のことだ。寝巻きも合わせて3本の長ズボンがからみあいながらキリキリ舞していた。ついこの間までずっと半ズボンで生活していたのだ。いっときに長ズボンをこんなに洗濯するとはなんとも懐かしい光景ではないか。ベランダで広げていると太陽の角度がすっかり低くなっているし、吹く風も爽やかだ。過酷な夏がすっかり去ったことをあらためて実感し、身体が軽くなったような気がしてなぜか竹内まりやの歌を口ずさむ。そう、「セプテンバー、そして9月は♫」なのである。つれあいのお兄さんは4月生まれ、お兄さんの伴侶であるお義姉さんは9月生まれ、おふた方の娘ふたりも9月生まれ、そして長女の長男であるメロン坊やも昨年の9月生まれ、2歳4ヶ月になる次女の長女は私と同じ5月生まれだけど、こうして世に生まれたばかりの次女の長男に至っては9月のど真ん中生まれ。ここには何らかの企てが働いているのだろうか?とにもかくにも、今日が誕生日の姪よ、重ね重ねおめでとう。

姪孫とはまさしく言い得て妙

次女の姪のところに初めて子供が生まれた時、姪の子供のことをどう呼ぶのか調べた。甥の子供も含めて「姪孫(てっそん)」と呼ぶのだそうだ。「へえ、上手いこと言う」と膝をうった。「定年退職」を目前に控えた7月のこと、クライアントでもあった大学の大先輩のもとに後任者を連れ立って訪れていた。先輩は3人の子供を育てる後任者に向かって、私のことを評してニヤニヤとこうおっしゃった。「こいつは頭がいいからさ、逆らったりなんだり色々と面倒な子供をすっとばしてさ、それなのにうまいことやって、可愛くて仕方ない孫をね、いつの間にかそばで遊ばせているんだよ」そう、可愛くて仕方ない「孫」みたいなもんでございます。先輩同様「ジジ馬鹿」なのでございます。ご心配いただいておりましたが、姪たちが近しくつきあってくれて、気がついたら子供のいない私たち夫婦には孫同様の姪孫がもう3人もいるのでございます。

一族郎党そろって顔を合わせるその日に

熊本に暮らすご高齢の曽祖父母は、ひ孫の顔を見たいからとそうそう簡単にこちらにくるわけにはいかない。その反対も同様で、高齢者や新生児の新型コロナウィルス感染のリスクを鑑(かんが)みると、おいそれとこちらからうかがうことも未だままならない。気にかけあいながら、今はリモートで辛抱するしかない。白馬の現場監督から、山の家「散種荘」の階段途中、つまりは吹き抜けの照明を取り付けて室内の工事をほぼ完了したとの現地レポートがあった。そのうちに、ここで一族郎党そろって顔を合わすこともあるやもしれぬ。

これら「自助」と「共助」は、言われるまでもなく確かに私たちの「仕事」だ。だからそれをよりよくサポートする「公助」についてだけ常に真剣に考えてくれればそれでいい。

竹内まりやの「セプテンバー」は、季節の移ろいとともに変心した薄情な彼氏をなじる歌だ。だけどどうして、彼女特有の軽やかでポップな曲調がどうにも華やいだ心持ちにさせる。夏が過ぎて身体が軽くなり、ちいさき命の誕生に心躍る昨日今日、「薄情な」人たちを笑い飛ばしながらついつい声を鼻にかけて軽やかなつもりで歌ってしまう。ああ、もうすぐ隠居の身。「セプテンバー、そして9月は♫」なのである。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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