隠居たるもの、生半可なことでは狼狽しない。はずなのだが、つれあいが思わず発した嘆声で目を覚ました2024年12月7日朝のこと、ベッドを出て窓の外を見るなり私はいささかうろたえた。隣地との境に植え日頃から愛でている若い紅葉が、前日の夕刻から降り続いた雪の重みに辛抱たまらず、今にも折れんばかりに大きくたわんでいたのである。まだ本格的な寒さには至らない、湿った雪が降る冬の走りによくあることだ。水気の多い雪が急激に冷え込む未明に氷となって幹やら枝の先々で凍りつき、となると風が吹いても落ちるはずがなく、その上に新しく降ってきた雪が張りついて肥大化を続け、その重みで木々の頭を垂れさせる。
待ったなしの冬支度
8時ちょうどのあずさ5号に乗って白馬駅に降り立ったのは12月4日午後11時42分。カレンダーをにらんでみるとこちらに来るのはほぼひと月ぶりのことだった。抜き差しならない所用の合間に待ったなしの冬支度をすべくねじ込んだため、今回の滞在は短く、加えて日程的に日の入り時刻が一年のうちいちばん早い。だから、前の晩は中学高校の同級生たちとの忘年会で、いつものごとく2次会までつきあってしまうだろうし(そしてやっぱり楽しくつきあった)朝一番の移動に不安を抱かないこともなかったが、昼にはなんとか着いておきたいとこの電車を予約したのだった。しかし「寄る年波」の利点は早起きが苦にならないところにあり、「アホでロクなもんじゃないことは知っていたけれども、ここまで愚かだったとは。驚いたねどうも…、尹錫悦にはさ」などと、あっという間に潰えたお粗末な「クーデター」について道中つれあいと話しながら宵越しの酒を抜く。暖かさにヤキモキした秋を過ぎ、師走を迎えた山はさすがに雪をかぶっていた。
リゾートバイトの一団
席を占めていた車両があずさ5号の端の方だったため、私たちは改札を抜けるほぼ最後の乗降客だった。そして駅舎を出て駅前ロータリーに展開している光景を目の当たりにし、「まだ12月に入ったばかりだぜ?」と口あんぐり、しばし歩をとめ呼吸を整える。大きなスーツケースを抱えたオージーたちで溢れかえっていたのだ。スキー場の一部のコースがオープンしたとはいえ本格的なシーズンはまだまだ先、いったい何故に…。そこではたと気づく。そうか、この人たちはいわゆる「リゾートバイト」、大挙して訪れるオーストラリアからのお客さんに応対するため冬季のみここで働き、休みの日や空いた時間に自分たちもたっぷり雪山で遊ぶ。そんな彼らがシーズンに先立ち続々と白馬入りしている。中には半袖Tシャツにリュックを背負って闊歩している者もいる。あとにしてきた母国に比べグッと賃金も低かろうに、なんともありがたくご苦労なことである。噂どおり、この冬はすごいことになりそうだ。
散種荘の第三期工事
ひと月ほど白馬に足を向けなかったことについてはある理由があった。夏に地元工務店に頼んでブラインドと玄関網戸を増設してもらっていたが、発注したのはそれだけではなかった。昨冬の終わり3月初頭の夜に繰り返し降った大雪、そのたび玄関扉は雪に埋もれ、朝になって開閉に難儀した。これに懲りて玄関口にも雪囲いを追加設置するよう注文していたのだ。また、東京に帰るなぞしてしばらく空けて戻った真冬の日、冷え切った散種荘はまるで冷蔵庫のよう。とにかく人間が身体を伸ばして生息できる室温に暖めようと矢継ぎ早に薪をストーブにくべていると、どうしても焼き崩れた薪のかけらがタイルを飛び越えてこぼれてきてしまう。火の気をまとったものがフローリングの床に転がり落ちるのはなにぶん物騒で、これまですでにいくつかの焦げ目もついている。この際だ、フローリング材の一部を剥がし意匠も木目調に凝らした上でタイルスペースを拡張する工事もお願いしてあった。
季節の帳尻を合わせる
これまでに積んだ経験からその他にも、薪仕事やボードの手入れなどで汚れ傷ついてしまう土間スペースの壁紙に「腰壁」ともいうべき高さで薄板を張り渡すことと、シャベル類を引っ掛けるフックを外回廊に取りつけてもらうよう発注。それぞれは大規模でないにしても、夏から数えれば合計6つ、第三期工事と呼んで過言でない細々とした依頼をしていたのである。今般、不動産価格上昇率日本一の白馬は建設ラッシュに沸いており、建築関係に携わる職人さんたちはなかなか手があかない。だから初夏に発注しながらも「それぞれの季節に間に合わせてくれれば」として、より手のかかる冬に向けた工事については臨機応変に取り掛かれるよう、ひと月ほど「不在」としたのである。そして見事、季節に間に合わせていい仕事をしてくれた。
おばあさんは庭仕事に、おじいさんはレコードラックの組立てに
私たち自身が取り組むべき主な冬支度は庭仕事だ。成長途上の木々の枝が雪の重みで折れないようしゅろ縄でまとめてみたり囲ってみたり、「『デレク・ジャーマンの庭』のような庭」と称して配置した流木の「彫刻」を集めてウッドデッキの軒下に「疎開」させたり。この作業のリーダーはつれあいで、私の主な任務は他にある。どうしたわけか増え続けるレコードの置き場所を確保するため新たにディスクユニオンから買い求めた「組立式レコードラック」を組み立てることだ。
完成させて配置しレコードを整理する。既存のレコードラックも動かして、裏に潜んでいた埃を吸い出し除湿剤シートを取り替える。必要なものが季節ごとに明確に変わる小さな山の家では、家内と物置との間で頻繁に道具の入れ替えがあり、そのたびいちいち掃除がなされるから大掃除という大掃除をしなくて済む。そうした出し入れのない唯一のスペースがこの既存のレコードラック周りだった。だからこうして掃除がなされた以上、散種荘の今年の大掃除は終わったも同然。収納力アップもさることながら、自ら組立て作り上げたスッキリ感にご満悦な私に、つれあいは微笑みつつ「もうこれでラックを新たに置ける場所はないね。それでもレコードが増えるというなら、減らしてからでないといけないね」と釘を刺す。私は答えを濁しておいたが、「必要は発明の母」、さてどうなるかはわからない。
居合わせたことがこれ幸い
3泊4日の滞在中にスキー場に出向くことは叶わなかったが、テキパキなんとか冬支度を済ませ、12月7日の夕刻に東京に戻るはずだった。暮らす集合住宅の定期総会がこの日の夜に予定されていて、世話役の一人である私が顔を出さないのは面目ないからだ。なのにこの大雪。乗車する予定だった大糸線は、やはり大雪による倒木が原因で運休のまま予断を許さない。とはいえ慌てたって仕方ない。まずは長靴を履いて庭に出て、隣地の楓も含めて木々の枝々を竹箒で払い幹を揺らして雪を落とす。息も絶え絶えだった彼らの頭が「ふぁ〜」とばかりみるみると上がる。救出のタイミングが合わなければ折れていてもおかしくないところ、間一髪で冬支度を終えていて、なおかつこの日に居合わすことができたのがもっけの幸い。そしてえきねっとなぞを駆使して「バスで長野駅それから新幹線」に経路を変更、予定より2時間早く東京に戻るルートを確保し、私たちは散種荘をあとにする。追加設置した玄関口の雪囲いも頼もしい。ああ、もうすぐ隠居の身。私たちの支度を待って、どうやら冬が始まった。