隠居たるもの、常と変わらず淡々と過ごす。2025年7月21日もそろそろ夕暮れ時のこと、山の向こうからゴロゴロと雷の音が聞こえてくる。スマホにインストールしてある白馬村防災ナビというアプリがピンコロ鳴って教えてくれるには、山の向こうには記録的短時間大雨情報やら竜巻警報やら物騒なアラートがいくつも出ているようだ。いささか不安になり「雷雲は山を越えて来るかね」と顔を上げてみると、こちらの空は穏やかに少しずつ赤くくれなずむばかりで、いただきをまたいでくるようには見受けられない。「なんとか大丈夫そう」と胸をなでおろし準備を進める。なんの準備かというと、今シーズンお初、ウッドデッキでの炭火焼きの準備である。

東京の暑さに耐えかねて
当初は7月23日に東京から白馬に移動する予定にしていた。その日にしたのには当然のこと理由がある。まず第一に、やっておくべき仕事が3連休までには終わらないだろうから、休み明けの平日22日を予備日にあててすべてを完遂する。そして第二に、観光地である白馬は3連休で混雑するだろうしそれを避ける。それがどうだ。まず第一に、あらためて時機を見計らった方が得策と判断した仕事をひとつ後日に回したこともあって、19日の土曜日までに現時点でやっておくべきことすべてを完遂することができた。そして第二に、観光地の混雑なぞ散種荘に着きさえすれば回避できるし、それよりなにより東京で本格的にぶり返す酷暑の方が耐え難い。ということで予定変更、つれあいも参議院選挙の期日前投票を済ませ、20日の日曜日に前倒しで白馬にやって来た。明けて21日の夕食、七輪をウッドデッキに持ち出して、今シーズン初の炭火焼きと洒落込んだのである。

ズッキーニ、さつまいも、子持ちししゃも、スルメイカ、牛肉、焼きおにぎり
本日のコースは以下のごとし、ズッキーニ、さつまいも、子持ちししゃも、スルメイカ、牛肉、焼きおにぎり。流通の兼ね合いからか白馬において牛肉はとても高価な食材だが、今回は信州牛のモモ肉がそこそこ安く手に入った。焼きおにぎりの上には具としてピリリと辛い唐辛子味噌がのっている。茶人であるつれあいが炭火の具合に気を配り、隙あらば襲いかかろうと様子をうかがう二匹の蚊を私が適当に追い払う(そのうち一匹は仕留めた、南無阿弥陀仏)。二人だけだし小さな七輪でじんわりじっくりと焼いた食材はどれも美味しく、過不足なく満ち足りる。

漆黒の闇に包まれるうち、その静かさゆえに、私たちが前倒しでそそくさと白馬に移動するにあたっては、ここにきてもうひとつ第三の理由が浮上したことに思いが至る。結果はおおむね想像がついていたのだ、その上しばらくお祭り騒ぎが続くだろうことも。つまりはテレビを含め都市部に色濃く残るであろう、参院選のポピュリズム的騒擾にこの身をさらしていたくなかったのである。


桔梗が咲いた
ほぼ一週間ぶりに白馬にやって来た20日、着いてすぐに変わりはないか庭を見渡すと、まるで私たちを出迎えるかのようにぽっかりと一つ桔梗の花が咲いていた。大きく色づき機会をうかがう蕾が4つ、この子たちもそろって22日の朝に花を開いた。これからひと月半ほどが園芸種ではなく野生種であるこの桔梗の季節、「ふふふ、どうやら最初の一輪から最後の一輪までたっぷりと楽しめそうだ」とほくそ笑んでいると、この夏お初にお目にかかるゴマダラカミキリが、重い頭を上にする甲虫特有の飛翔法でうちの庭に悠然と現れ紅葉の木にとまる。穏やかながら営みのあるこうした情景が今こそ貴重に思える。

全山共通シーズン券リピーター割
白馬に着くなり忘れないうちやっておかなくてはならないこともあった。これから来る冬の全山共通シーズン券の購入である。わざわざ東京に「昨冬もチケットホルダーであったあなた方には期間限定でリピーター割が適用されます!」とダイレクトメールが届いた。しかし、昨冬のシーズン券に記載されたチケットナンバーを申告する必要があるので、その券が置いてある白馬でないと申し込み自体ができなかったのだ。忘れないうちに夫婦二人分の申し込みが済んでホッとする。リピーター割とはいえ昨冬に続き10万円を越えているのだ。うっかり失念し買いそびれて期間を過ぎ、二人合わせて余分に23,400円もの料金を支払う羽目になろうものなら大変なこと、「老いるショック!」と笑い飛ばすことなど到底できまい。諸外国のスノーリゾートに比べたらまだまだ安いと言われたところでやっぱり高い。4月から5月に精を出したアルバイトのギャラほぼ半分がこれで飛ぶ。インバウンドさんが殺到するのも資源のないこの国の物価が上がるのも、その主要な根本原因はアベノミクスの果てとめどなく進んだ円安だ。選挙でとりだたされた給付金にしろ減税にしろ、どちらにしたって円安の改善なければ結局のところ対症療法にしか過ぎないことは肝に銘じておくべきだろう。

都の西北、バカ田大学の隣
それでは東京に戻っていた一週間弱の間にどんなことをしていただろうと思い浮かべる。そう、ある同窓会の幹事なぞしているもんだから、母校から呼び出されて、半袖Tシャツと短パンからブツブツ言いながら長袖シャツにジャケットそして長ズボンに着替えてある会合に顔を出したりしていたのだった。もう夏休みに入っているのだろうがそこそこの数の学生たちがキャンパスを闊歩している。私が通っていた40年前から比べて母校が様変わりしていることは一目瞭然、なにしろ女子と留学生が多い。ずいぶん前に理事の先生からこんな話を聞いた。「年々ますますと進む少子化の時代、これまでと同じ数の新入生を国内の受験で取っていたら、間違いなく大学のレベルが落ちてしまいます。なので残念ながら国内からの募集学生数を絞らざるを得ません。しかしそうすると学生が減ってレベルと同時に経営の問題が生じてしまう。だから努力して優秀な留学生の誘致を進めているんです」

なるほど健全な経営を念頭に置きつつレベルの向上を目指して多様化を図っているのだと膝を打ったものだ。それが功を奏したからか、ここ数年で目に見えて母校のレベルが上がったというニュースも目にした。同窓会の幹事をしているから各方面の奨学金事情にもいささかなりとも通じてはいるが、もちろんのこと日本政府が外国人学生を優遇して「1,000万円支給している」などという荒唐無稽なケースは見たことも聞いたこともない。とにもかくにも、様々な国の学生たちがともに談笑しつつキャンパスを往来している図はいつ見ても清々しい。まともに話せるのは日本語しかない初老のおじさんは、そのたび「あの子たちは英語で会話しているのかな、それとも日本語?」とうらやましく詮索してしまう。

そして淡々と決断したのだった
キャンパスとは違って東京を含む都市部では、満たされない鬱憤や憎悪が渦巻きデマに煽られ増幅し合う。今般の参院選で如実に可視化されたそんな光景、率直に言って「身の危険」を憶える。耐え難い酷暑によって拍車もかかる。白馬といえども陽が照れば日中の気温はそこそこに上がる。しかし裏の平川に行けばさあっと冷たい風が吹いて人心地。どこにも存在しないというわけではなかろうが、満たされない鬱憤や憎悪が渦巻く「吹き溜まり」を今のところ検知したこともない。東京で続けてきた私たちの仕事も還暦をすぎたここいら辺でどうやら一段落。そこでもろもろ材料を集めて判断し決断した。そろそろ潮時、主たる暮らしの場を白馬にはっきり移そうと。具体的にどう進めていくかはまたこの省察でご報告することもあろう。ああ、もうすぐ隠居の身。常と変わらず淡々と過ごす、それはそれで幸せなことである。