隠居たるもの、とくと最強寒波を見定める。2025年2月4日から9日にかけて日本海側を中心とした列島各地にこの冬で最強の寒波が襲いかかった。いったん東京に戻った私たち夫婦が再び白馬にやって来る予定にしていたのは2月5日、ならば当該地への「不要不急の外出」を避けるよう連呼する天気予報に従って日取りを変更したかといえばさにあらず。かえって不測の事態が出来した場合に即座に対処できるよう、予約していた午前8時ちょうどのあずさ5号に飛び乗った。中央線特急はダイヤからたった4分遅れたのみで何事もなく昼前に白馬に到着、駅に降り立ち空を見上げれば雪がハラハラと舞っている。二日後には大人5人と子ども3人、総勢8人の大所帯を迎えねばならず「これくらいなら」と胸を撫で下ろしたのもつかの間、夕方を迎える前に、降る雪はざんざんとかさを増していった。

駐車スペース分の雪

8人のうち5人は宇都宮から車でやって来る。別荘地管理事務所に「私たちは2月5日に到着するのだけれども、7日に車での来客があるからそれまでに駐車スペース一台分の除雪をお願いできまいか」と依頼したところ「それでは5日までにやっておきます」との返答。つまり、除雪機を使うにしても雪がざんざん降る最中の作業はキリがないからあなたたちの白馬入りに合わせて今季最強寒波が襲来する前に済ませておく、ということだ。裏を返せばそれは、除雪してから7日までに降った雪については自己責任でお願いしますね、ということでもある。となれば相手は今季最強寒波、頃合いをみて小刻みに対処することが肝要で、直前にまとめて片づけようなどと横着な心構えでいたら取り返しのつかないことになる。ウロウロと私が雪の持って行き場を探している上の写真、2月6日午後1時半頃に撮影されたものだ。スノーダンプにのる雪にご注目いただきたい。24時間も経ずにこの高さだけ積もったのである。

「働くおじさん」

2月6日の午前中、様子見を兼ねて少しだけ八方尾根スキー場に出かけようとしていた。あくまで様子見だからいつもよりゆっくりした午前10時03分発を目指してシャトルバスの停留所へ。しかし定刻を過ぎてもバスはやって来ない。一向にやって来ない。日頃に利用する名木山ゲレンデ行きシャトルバスのこの停留所、ホテルやペンション付近ではなく道端に無造作に設置されている。近隣に貸しコテージがいくつかあるとはいえ日常的に管理する人もいないのか、あらためて見回すと、ここが停留所であることを示す立て札が堆く積もった雪に完全に埋もれ見当たらなくなっている。待っているのは私たち二人だけ。「もしかして今季最強寒波のため運休?それとも東京に戻っていた間になんらかの理由でこの路線自体廃止?」と疑心暗鬼が渦巻く。ヤキモキしながら道の向かいの貸しコテージに目をやると、HONDAのマシンを操るサムが淡々と除雪をしていた。

声をかけてしばし話してみると、どうもサムは疲れ気味。ここんとこ引っ張りだこで、一日中あちこち何軒もの除雪に奔走しているという。そうこうして彼は仕事を終え、HONDAのマシンを軽トラックの荷台に積み上げ「次の現場に行かなきゃ、Good-Bye」と左右に首を振りながら去っていった。シャトルバスは大幅にダイヤが乱れ、およそ30分遅れでやって来た。

さて、スキー場から帰ってきたら私たちの番。スノーダンプとスコップを駆使してまずは駐車スペースの除雪、続いて散種荘を取り囲む積雪への対処だ。屋根雪の落下も加わりその高さたるや推定3.5m、新たな屋根雪を受け止めるゆとりなどもはやない。残念なこと庭に植えた紅葉が一本すでに折られている。新たに60cmほど積もっている屋根雪がさらにここに落ちようものなら、家自体に牙を剥く。踏み固め踏み固め「登頂」し、落とせるだけ落とし、「新入り」の居場所を作る。

小康状態の2月7日

「今年はヤバイね!」散種荘の前に軽トラックを停車し呼びかける者がいる。白馬ピザのショーンだった。エアポケットのような小康状態が訪れた2月7日のお昼前、私たちはここぞとばかり除雪に取り組んでいた。「久しぶり!」と話に花が咲く。つれあいが思い出して「そうそう、これからたくさんお客さんが来るんで明日は宅配をお願いしようと思ってたのよ」と口にする。「ホント?ちょうどよかったよ。この大雪でみんなご飯食べに外に出ないでしょう、とんでもなく注文が入るんで電話もなかなかつながらないよ。今ここで予約を受けるよ」と頼もしい。助手席に座るショーンの彼女と「マルゲリータMサイズ1枚と…」なんてやり取りしているうちに、軽トラックがもう一台停まる。「あのう、ざっとやりましょうか?」、除雪機を積んだ別荘地管理事務所の車だった。このタイミングで通りがかったのが運のつき、初老二人を見かねて除雪機を下ろして除雪してくれるというのだ。もちろんお言葉に甘えることにした。おかげで時間に余裕ができ、姪がライオンアドベンチャーにインターネットでレンタル予約していた姪孫たちのスノーボード用具一式を受け取りに山を下りた。そして午後から三々五々、散種荘に来客がやって来る。

今季最強寒波の洗礼

7日の小康状態のうちにそれぞれが大禍なく到着できたものだから、少なからず油断していたことは否めない。2月8日の朝、雪に埋まる車に私たちは度肝を抜かれる。夜通し深々と降っていたのだ。男手3人+メロン坊やが慌てて除雪に取り組む目の前で、今度はすごい音を立てて屋根雪が落ち玄関口になだれこみ残りの6人を家内に閉じ込めた。しかし考えてみれば、いつかは落ちる屋根雪なのだ、たまたま男手がそろっているときに落ちたことはもっけの幸い、力を合わせ救出に全力をあげる。固唾をのんでいた6人の視線がようやくのこと玄関ドアを開いた私に集中する。さながら映画「デイ・アフター・トゥモロー」のお父さんのようだった(笑)。

スノーボードとそり遊び

「なにもこんな時に」と言ったところで、働き盛りである姪たちはそうそう容易にリスケなどできないし、尋常ならざるたっぷりの雪の中で幼な子たちを遊ばせてもみたい。それにしても子どもってえやつは。乗鞍温泉スキー場のキッズランドと初心者コースで少しだけスノーボードをさせてみると、こんな状況でもそれぞれに「お!」と目を見張る上達ぶりを披露する。来シーズンあたりにはそろそろモノになるかもしれない。彼らのもうひとつの楽しみはそりだ。散種荘のウッドデッキから庭にかけて、幼な子たちがそり遊びのコースを作り滑り興じる。その様子を写真に収めようと2階の窓から身を乗り出し、この冬の豪雪ぶりにあらためて気づく。雪面がすぐそこに迫っていた。

おじさんたちのメカ談義

2月9日、寒波の峠は越えた。義兄が孫たちの手を借りながら雪から車を掘り出していると、隣の貸しコテージの駐車スペースの除雪に取りかかろうとサムがやって来た。つれあいが「He is my brother」と紹介すると、「HONDAのエンジニアだった君の兄さんか⁉︎」と疲れ気味の彼の顔色が一気に晴れる。雪に囲まれ、しばし二人はエンジンを持つメカの談義に花を咲かせていた。

それぞれの居住地に帰る客人たちを、私たちは見えなくなるまで見送っていた。向こうからゆっくりと軽ワゴンが登ってくることだし、さて家に入ろうかと「ふっ」と小さく息を吐いて身をひるがえす。しかし、通りすぎるかと思われた軽ワゴンは私たちの背後で停まる。

地元工務店社長と語らう

冬が来る前に雪囲いの増設をしてくれた地元工務店の社長だった。この雪で問題が生じていないか、手がけた物件の点検に回っているのだという。「頼んでいなかったらと思うとゾッとする」と感謝する私たちに、「間違いなく歴史に残る豪雪、雪が解けたら少し直さないといけないな…」と白馬育ちでほぼ同い年の社長。私たちが高校生だったころの昭和56年豪雪ほどの被害が出ていないのは、除雪車や除雪機など除雪の道具が飛躍的に向上したことと家の強度が上がったこと、ひとえにそれによるという。それにしても人と人の距離が近いのか、白馬では家の前で立ち話に興じることが多い。その晩、宇都宮からの置き土産とうちにあったデイリーワインで、二人だけでゆっくり静かに食事をとった。峠を越えたとはいえ、雪はまだ断続的に舞っている。ああ、もうすぐ隠居の身。気長に春を待つことにする。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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